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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(307)

 

「ほんと、バカじゃないの?」

「うるせー」

 田辺の言葉通りバカにしたような、しかしどこか嬉しそうな声に、健介は不機嫌な声で答えた。

 いつも通り道場の外で回復するのを待って、また向かっていくという、まるで学習しない健介に、田辺の言葉は的確過ぎた。

 今日は、さらにそこに寺町も加わっているものだから、余計にややこしくなっている。

 寺町は、実は坂下よりもよほど手加減をしてくる。しかし、それが、余計に健介の神経を逆撫でするらしい。

 まあ、寺町はどう見ても、健介の身体のことではなく、自分が楽しむ為の手加減をしているとしか思えないので、健介がむきになるのも分かる。

 まあ、今日は後半はバカらしい、しかし無駄にレベルの高い、寺町と御木本のおいかけっこで時間を取られたので、いつもよりは健介にダメージはなさそうだ。

 二人は、部活が終わって帰宅途中だった。少し前ならば、ここから健介は夜の街に出て、やりたい放題するのだが、このごろはそれも控え気味だ。

 そもそも、何度もKOされるぐらいに部活動に打ち込んだ後に、まだ街ではしゃぐほどの体力は残っていない。帰ってご飯と風呂を済ませて、さっさと寝たいぐらいだ。

 だが、この後自主トレも入れている健介は、すでに街に出る、ということすら考えから消えてきだしていた。

 さらに言えば、何の罠か、健介の家と田辺の家は、けっこう近いのだ。その結果、何故か二人で帰る、ということが、このところ日常となっている。

 他人からつっこまれれば、健介も何か言い様もありようもあるのだろうが、自然とこうなった流れもあるし、田辺は、それについては何も言わないので、こんなことになっているのだ。

「もっと計画的に練習すればいいのに」

 田辺だって、人のことを言えるほど強くはないのだが、しかし、健介の後先考えないやり方には、十分文句がつけれる。

「はっ、強くなるのに計画も何もあるか。それにな、俺はやられっぱなしってのは性に合わねえんだよ」

 健介は、決して、楽してマスカレイドで十何位にまで食い込んだ訳ではない。そういう意味では、そこらの不良とは根性が違う。

 しかし、だからと言って、勝てない相手に延々と挑戦するのは、さて、まともな神経をしているのか、というところに関しては、多いに疑問だ。

「ほんと、バカ」

「しつけえなあ、坂下相手に何もできねえお前に言われたかねえよ」

「はあ? 当たり前じゃない。坂下先輩は別物なんだから」

 自分が負けることをさも当然、といばって言う田辺も何だと思うが、事実だから当然だ。それに、田辺は高校から空手を始めた口で、そういう意味では、上達が早いと坂下にほめられるぐらいなのだ。

「っとに、そんな無計画につっかかっていって……坂下先輩も、怪我させるとか考えないのかなあ?」

 無計画に、それこそ、全てをかけているように坂下に向かって行く健介を見るのは、田辺としては、非常に複雑な思いなのだ。

 そもそも、田辺が健介のことを気にしだしたのは、その、純真な子供のように、何の迷いもなく坂下に向かっていくその姿があったからなのだ。

 しかし、それはつまり、健介の思いは、全て坂下に向いていて、自分にはチャンスがない、ということでもあり。

 さらに、あそこまで坂下が手ひどく倒していれば、いつか取り返しのつかないことになるのでは、と不安になったりもする。

 そんな思いが、田辺には非常に珍しく、坂下を責めるような口調になったのだ。

「あ?」

 それを聞いた健介の口調が、一瞬でがらりと変わる。先ほどまでも、あまりがらが良いとは言えなかったが、しかし、今の口調に比べれば、まだ親しみがあった。

「見てるだけの人間が口出すな。坂下と俺の問題だ」

「な……っ」

 突き刺さりそうな、鋭い眼光。いきがっているがらの悪い一年、などではない。何人もの猛者を倒して勝ち上がって来た、ケンカ屋の目だ。

 しかし、田辺は、それに怖さなんか少しも感じなかった。ただ、寂しい、と思うだけだった。

「それにな、坂下の野郎、わざわざ月一で医者で検診受けろとか言いいやがってるんだ。それこそお門違いだぜ」

 それは、口調こそ荒いものの、誰がどう見たって坂下の味方である内容だ。

 気迫に押されたのではない。ただ、何も言えなくなって、田辺は黙った。

 もし、少しでもからかうだけの余裕があれば、健介は顔を真っ赤にして怒っただろう。そんな余裕は、当然ないけれど。

 しかし、気まずいのは、何も田辺だけではない。

 言った健介だって、いい気はしないのだ。目の敵にしている坂下をかばうようなことを言ったのもあるし、そもそも、嫌っているならば、田辺と一緒に帰宅などしたりしないだろう。

 二人の間に、気まずい空気が流れる。

 そのときだった。

 うつむいて歩いていた田辺の肩に、健介の手がかかる。

「……健介?」

 名前を呼びはしたものの、いきなりの健介の行動に、田辺は混乱して、凍り付いたように動けなくなっていた。

 いつもとは違う、それこそ、坂下に向かっていくと同じぐらい、真剣な目がそこにあった。

 不思議と、健介は真面目な顔をした方が幼さを感じさせる。別に、たよりなさ、を感じる訳ではなく、邪気のなさとか、純真さをそこに見て取れるからだろうか?

 田辺は、その真剣な顔をした健介を見たまま、金縛りにあったように動けなかった。代わりに、心臓の音が、煩いほどに田辺の胸を騒がせる。

 何か言わなければ、と思うのだが、のどがカラカラに渇いて、何も出て来ない。

 時間にすれば、おそらくは数秒だったのだろう。しかし、田辺にとってみれば、あまりにも長い数秒だった。息すら、忘れていた。

 そして、その数秒後、健介は田辺の肩を持って、その身体を引きつけた。

「あ……」

 そして、そのまま、健介は、田辺を自分の背中の方に隠し、その真剣な目を、田辺とはまったく別の方向に動かした。

 もしかして、という田辺の思いは、あっさりと破壊され。

 そんな田辺の思いなどまったく気付いていない健介は、いつもの、あの小犬の吠え声のようなきゃんきゃんとしたものではない、田辺が聞いたこともないような、低い声で、うなる。

「俺に、何か用か?」

 何を、と田辺が思ったのも一瞬、健介の言葉に、どこからともなく、答える声があった。

「別に男に用はねえよ」

 そのこもるような声に、田辺は、背筋に冷たいものを感じた。

 

続く

 

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