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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(309)

 

 健介は、田辺が走ったのを確認するやいなや、大きく腕を振りかぶる。

 それを見たアリゲーターが前進を止めるのも関係なく、その腕を振り下ろした。

 シュンッ……チーンッ!

 アリゲーターの身体があった場所を何かが通り過ぎ、遠い壁にあたって音を立てた。

 健介が投げたのは、五百円玉だった。健介は今、坂下にタコ殴りにされるので、飛び道具を持っていない。坂下にばれても鉄拳制裁されない為に取った苦肉の策が、この銭弾だ。

 実際のところ、五百円玉では質量が足りなくてダメージは与えられない。そもそも、健介は、飛び道具を至近距離での牽制に使うので、このやり方もおかしいのだ。

 しかし、二度目でも分かるように、アリゲーターはそれでも警戒した。

 飛び道具の可能性もあると、マスカレイドで戦って来た経験が考えさせたのだ。

 指ではじく硬貨でダメージを当てることも出来るらしいが、健介はそこまでこれを研鑽していない。振りかぶって投げても、顔にでも当たらない限りダメージにはならないし、そもそも、アリゲーターはフルフェイスのヘルメットを被っており、顔に当たってもダメージが与えられる訳ではない。

 しかし、それで問題はない。ようは、アリゲーターを牽制できれば十分だったのだ。アリゲーターが、田辺を追うより回避に専念した以上、健介の作戦勝ちだ。

 ……が、これで飛び道具がないことはばれたな。

 健介は、酷く冷静に自分の不利を自覚していた。

 まあいいや、どうせフルフェイスのヘルメット相手に、至近距離で牽制なんて意味がねえ。

 それでも、もしかしたら飛び道具がある、と相手に思わせておくことは、相手の動きを制限しておくのには最適だ。何せ、相手は自分よりも上手、勝利するための条件は、多ければ多いほどいい。

 アリゲーターは、すでに追うのをあきらめたのか、健介から間を取っていた。

 そして、にやりと笑う。

「いいのか、今頃、俺の部下があの女捕まえてるぜ? 俺が最初だから、手は出すなって、言ってるが、あいつらバカだからなあ、どこまで聞くか」

「ふん、はったりはきかねえよ」

 もちろん、その可能性は考えた。というよりも、最初にその危険性を考えた。もしそうならば、正直絶望的だった。

 いくら何でも、アリゲーターを相手にしながら、田辺を守る、というのはさすが無理がある。その場合は、どうにかして血路を開いて田辺を逃がすつもりだった。

 だが、状況があまりにも危険過ぎて、反対に冷静になれたのが良かった。冷静になって考えてみれば、それはないことにすぐに気付く。

 人数がいるなら、最初から囲めばいいのだ。他の場所で待ち伏せしておく意味など、まったくない。

 アリゲーターはチーマーのリーダーをしていたのだから、部下は沢山いたはずだ。

「マスカにたてついて、部下に逃げられたか。ま、人望なさそうだしな」

「……黙れ、あいつらは後から殺す」

 アリゲーターの刺さるような本気の殺気を、健介は真っ正面から受けたが、それぐらいでひるむようなら、この場には立っていない。

 おそらく、部下の、いや元部下の制裁を後にまわしたのは、マスカレイドに自分の行動がばれるのを嫌ってだろう。

 つまり、本命は坂下で、その為には、他のものは後にまわす、ということだ。

「……ちっ、逃したか」

 はったりであるのもばれて、すでに田辺の後ろ姿も視界から消えたのを確認してから、アリゲーターは舌打ちする。が、これでアリゲーターの作戦は不可能になったのだから、もっと悔しがってもいいはずだ。

「何だ、思ったよりも落ち着いているな。この後、どうなるかわかってるのか?」

 田辺が助っ人を連れて来れば、アリゲーターは一対二になる。そうでなくとも、田辺が冷静に警察を連れて来るかもしれないのだ。そうなれば、いくらアリゲーターと言えども逃げるのは難しくなる。

「お前が、警察じゃなくて助っ人を呼びに行かせたからな。警察なら逃げといたぜ」

 健介も、そう言われて、自分の失態に気付くが、表情には何とか出さずに済んだ。

 ケンカが趣味、と言うほどに健介はそちらの世界につかりこんでいた。今は、部活に出ているので、ケンカ自体はしなくなったが、そのころの習性が抜ける訳ではない。

 赤目まで行けば、警察とはそれなりのコネを持っているのだろうが、健介は、大人から見れば、単なる不良で、当然そう思われている健介も警察を好きにはなれない。

 そんな感情が、無意識に、警察を避けた、と言えなくもないのだ。

 坂下を呼ばなければ、坂下には危害が及ばないにも関わらず、それを避ける手だてを取らなかった、というのは、健介本人にしてみても、うかつとしか言い様がない。

 しかし、すぐに健介は自分の考えに、馬鹿らしくなった。

「……くくっ、それこそバカらしいな」

 何事かつぶやいた健介に、おそらくアリゲーターはヘルメットの中でいぶかしげな顔をしただろう。

 坂下は、ああ見えてもけっこう常識的なことを言うのだが、この状況で、警察にまかせよう、などとは口が裂けても言うまい。その点、坂下は悪魔のようにきっちりしている。

 このゲスを、きっちり自分の手で倒し尽くすだろう。

 さすが、ゲスだけのことはあり、一度やられてもまだ懲りていないようだが、坂下が、相手に恐怖を植え付けよう、と思って手を出したとき、こんな根性なしに、それが耐えられないだろう。

 だいたい、だ。

 そもそも、健介は、自分が不利な状況、というのは理解していても、自分がこのアリゲーターを倒すつもりなのだ。

 マスカレイドの上位で、五位の差は大きい。しかも、一桁代の選手は、もうそれだけで普通とは違う。

 だが、今ならば。

 もっと凶悪で危険な坂下に、何度も何度も戦いを挑んで、そしてKOこそされて来たが、あきらめずに戦い続けた今ならば。

 ……いや、状況なんて二の次だ。こいつは俺の手でやらないと気が済まない。

 戦いが始まれば、強いの弱いの、など言ってられないし、その暇もなくなる。

「助っ人にかけつけた坂下が見るのは、お前が俺の下ではいつくばってる姿だ!!」

 健介は、アリゲーターを挑発すると、構えを取る。

「けっ、ザコが言ってくれるね。いいだろ、お前を倒して、第二の作戦にうつるとするか」

 自分よりも、かなり下の実力しかない、とアリゲーターは思ったのだろう。その安い挑発に乗らずに、構える。

 

続く

 

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