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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(310)

 

 ……しっかし、どうしたもんか?

 お互いに構えを取ったところで、同じくお互いに、動こうとはしない。すでに、挑発の口論も終わって、後は殴り合うだけなのだが。

 健介が手を出さないのは当然だ。相手の方が実力が上なのだから、待ってカウンターの方が何倍も勝率が良い。

 それに、別に健介は最悪、ここでアリゲーターを倒さなくても良いのだ。田辺が坂下か御木本、寺町でもいい、誰か連れてくれば、確実に勝てる。この三人なら、感じたところでは、アリゲーターよりも実力が上で、その上、その猛者達の邪魔にならないように、二人がかりで攻撃する術ぐらいは、健介も持っている。

 反対に、アリゲーターは、少しでも早く健介を倒さなければならないのだ。通用するかどうか分からない人質に取るにしても、見せしめにボコボコにするにしても、ここから逃走するにしてもだ。

 自分から手を出した方が不利かもしれないが、時間が経てば経つほど、アリゲーターは不利な状況に自分を追い込んでいるようなものだ。

 ただ、このまま時間稼ぎが出来るのは、良いような悪いような。

 効率のことを考えれば、ここは確実に時間稼ぎだ。失敗する要因は、田辺が誰も探せなかったという状況だけ。そんなもの、ごく僅かだ。それに、ここは人通りも多くはないが、それでも何十分も粘っていてれば、人が通るだろう。そのまま見て見ぬふりをされることもあるだろうが、誰かは警察を呼んでもおかしくない。

 健介は、最悪警察には捕まってもいいのだ。マスカレイドから手がまわされて、おとがめなしになる可能性が高い。相手がマスカレイドの警告を無視したアリゲーターなのだから、その可能性は高い。

 もっと最悪、ケンカで捕まったとしても、実刑がつくようなものではない。せいぜいが学校に知られて停学だ。田辺達の安全を、停学程度で買えた、と思えば安いものだ。

 反対に、アリゲーターは許されないだろう。例え、多少怒られる程度で警察から帰れたとしても、その後に待っているのは、マスカレイドからの制裁だ。

 だが、その圧倒的有利な状況でも、健介は攻めることを考えていた。

 理由は一つ。このアリゲーターが許せないからだ。

 人質を取って、坂下に仕返ししようなどと考えていたと知るだけでも、この男の顔面を、拳がいかれるまで殴りたいと思うのだ。

 坂下は、俺が先約なんだよ。お前みたいなゲスがどうこうするのを許すと思うのか?

 それさえなければ、健介は学は低くとも、事戦いにおいては頭のめぐりは悪くない。どの状況が「勝った」と言える状況なのかぐらいの判断はつく。

 ……最悪、俺が負けても、後には坂下が控えてるわけだしな。消耗した状態で、坂下に勝てると思うなよ?

 その冷静な判断と、今の健介の行動は、相反するものだ。だから、無理に攻めても良いという判断を下すと、じりっ、と歩を進めだした。

 アリゲーターの顔には、余裕すらある。しかし、アリゲーターだって完調ではないはずだった。まだ坂下に砕かれた拳は完治などしていないだろうし、制裁のダメージも全快、とはいかないはずだ。

 が、そうだとしても、決して侮れる相手ではないことを、健介は肝に銘じる。

 自分が不利であることの対策ぐらい、当然考えて来てるよなあ。

 健介がそう思うぐらいなのだから、相手もそう思う。そういう点、健介は臆病と言ってもいい。しかし、それが勝ちをつないで来たことも事実。

 それが狂ったのは、名をあげようと、浩之に、正確にはその横にいた葵にケンカを売ったあたりからなのだろうが。

 健介は、その自分の計算の狂いを、決して悔いてはいない。あの失敗があったからこそ、今の、健介にとって楽しい日々があるのだ。

 ちっ、と健介は舌打ちする。アリゲーターに対してではないが、別に隠す気もないので、アリゲーターには何のことか分からなかったろう。

 ここに来て、やっぱり認めないと駄目か。

 空手部の、田辺に言わせればバカの一つ覚えみたいに坂下に向かって行って、痛い思いをしてKOされて田辺に介抱されて、回復したらまた向かって、空手部の人間達とどうでもいいような話をして、坂下に殴られて、田辺にバカにされて。もっとも嫌いなやつも当然いる、もちろん御木本のことである。

 それを、健介は楽しいと感じているのだ。坂下に勝つ為、などという理由では、そろそろ隠しきれないほどに。

 誰が、それを狂わせようとしているヤツを許せようか。

 アリゲーターの手には、ナックルがつけられている。アリゲーターの得意武器。アリゲーターほどの腕の人間が持てば、必殺の威力を出す、危険な武器だ。

 片や、日頃愛用していた牽制用の飛び道具すら持っていない健介。真正面から戦っても、ろくなことにはならないだろう。

 でもなあ。

 地面から煙が立つほどに、健介は地面を強く踏みつける。

 だからって、てめえみたいなゲスを殴らないまま、おめおめと引き下がるほど、俺はお人好しじゃねえんだ!!

 ダンッ!!

 健介は、激情にかられるまま、何の小細工もなく、アリゲーターに向かって飛び込む。フェイントなし、本当の意味で真っ正面からだ。

 アリゲーターの口元が、フルフェイスの中でつり上がる。アリゲーターほどの実力ならば、正面から来るヤツなど、余裕でカウンターに切って取れる。勝ちを確信した笑みだ。見えなくとも、健介にはそれが雰囲気で伝わる。

 んなの……

「知ったことかよ!!」

 ゴゥッ!!

 飛び込んだ健介のストレートを紙一重で避けながら、アリゲーターは健介の顔面めがけて、健介の腕の外側からのフック、クロスカンターで健介を切って取る。

 が、そのアリゲーターの確信のクロスカンターが、空を切った。

 カウンターに合わせて、健介はダッキングをして、その拳をかいくぐったのだ。

「!!」

 アリゲーターの驚きが、健介に伝わって、健介はしてやったり、と思いながら、下からアリゲーターの右腕を狙って拳を突き上げる。

 しかし、すでにそのときには、アリゲーターは素早く後ろに飛んでいた。砕けているはずの拳にダメージを与えようとして振るわれた健介のアッパーも空を切った。

 お互いに攻撃は当たらなかったが、状況は、むしろ健介の方に有利だった。

 アリゲーターは、クロスカウンターで沈められる、と確信していただろうが、ばればれのカウンターの上に、そもそも。

 健介は、アリゲーターの心情をくみ取り、とりあえずアリゲーターが一番腹が立つセリフを考える。

「はっ、坂下の打撃にくらべりゃ、お前のなんて止まって見えるぜ」

 ギリッ、とアリゲーターの歯ぎしりの音が響く。健介の思惑通り、言い返せないほど頭に来たようだった。

 健介としては、本当はまったく余裕などない、ぎりぎりの回避だったが、しかし、一度避けてしまえば、それだけでもアリゲーターに対するプレッシャーになる。

 このまま、我を忘れて俺と殴り合ってくれりゃ、俺としても楽なんだが。

 少なくとも、時間稼ぎは出来るし、健介は、アリゲーターを殴る格好の理由が出来る。

 しかし、油断してはいけない。

 健介が、時間を稼いで勝つ確率を上げることよりも、アリゲーターを殴ることを優先したように。

 アリゲーターも、健介を殴ることよりも、坂下に仕返しをすることを優先させる可能性はあるのだ。

 怒らせて、判断力を失わせて、逃がさないようにする。逃げられるのが、一番まずい。こんなゲスを逃がしたら、ろくなことにはならない。

 健介がやらなければならない、最低限の目的であり。

 結局、健介のこと戦いにおいては決して低くない知能が導き出した最低限のことさえ守れば。

 後は、この男をぶん殴ることに、健介は全てをかけるつもりなのだ。

 

続く

 

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