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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(311)

 

 怒りに身を任せるか、とも思ったのだが、しかし、健介のその淡い期待を裏切るように、アリゲーターは、左半身の構えを取る。

 強いだけでは、なかなかマスカレイドの上位には食い込めない。性根が腐っているアリゲーターのような性格ならなおさらだ。

 すぐに我慢の限界に来る、怒り易いアリゲーターが、それでもマスカレイドの上位に食い込めたのは、例え激怒していても、身体が冷静に反応する、という特技を持っているからだ。

 戦う、という基本理念を守ったところでは、アリゲーターの身体は、驚くほど有能に出来ているのだ。それは、才能と言っていい。

 アリゲーターは、健介の挑発で怒っていても、決して健介に油断を見せたりはしない。

 先ほどまでは、その可能性があった。しかし、クロスカウンターをかいくぐって来た相手に、油断するような低能を、アリゲーターはしない。

 とうとう、ケンカ屋として本気出させちまったなあ。

 ひとごとのように、健介は考えていた。事実、ひとごとに限りなく近い。アリゲーターが油断しようが本気になろうが、健介の行動は変わらないからだ。

 アリゲーターが本気になったことで、健介は、改めて考える。

 手にナックルこそつけているが、アリゲーターは武器使いというよりは、オールマイティな格闘家に近い。

 ナックルは、むしろ健介の牽制の飛び道具に近いものがある。

 本気で打撃をやっている人間に、そう簡単に拳が入るものではない。リーチも伸びないナックルでは、武器としてのうまみは少ない。

 しかし、アリゲーターの拳に、ナックルがある、というのを、対戦者はどうしても気にせざるを得ない。当たらなければ平気だ、と簡単に割り切れるものではないのだ。

 そうやって、ナックルを牽制として相手の動きを鈍らせたところで、アリゲーターは普通に格闘技を行う。とくに、相手が拳を警戒するので、組み技を狙っていくことが多い。

 結果として、拳でKOするのと、組み技でギブアップやKOを取るのが半々ぐらいになるが、その結果は、単なる結果でしかない。

 倒す方法を、いちいち選んだりはしないのだ。アリゲーターが苦手なものはない。だから、うまいぐあいに進むようにすれば、何で倒そうが関係ないのだ。

 オールマイティの上に、そこにナックルという武器が追加されるのだ。弱いはずがない。

 しかし、そんな相手でも、分かっていれば、出来ることもある。

 健介が、まず警戒しなければならないのは、タックル。

 これはほぼ間違いない。クロスカウンターを避けられた以上、打撃ではそう実力に大きな差はない、と感じているはずなのだ、となれば、次は組み技を試してくるのは自明の理。

 武器なし、と判断すれば、躊躇する理由もない。タックルは、坂下にもかかったのを考慮に入れれば分かるように、アリゲーターの技の中でも、かなり得意としている技なのだ。

 唯一、健介が有利なのは、健介はアリゲーターのことを知っているが、アリゲーターは健介のことを知らないことだ。

 俺が、打撃だけ出来ると思うなよ?

 とは言え、健介は基本的に打撃を得意としており、組み技はやはり数段劣る。それでも、来ると分かっている相手を狙い打ちにすることぐらいは出来るのだ。

 組み技殺しの肘、後頭部に叩き込んでやるぜ。

 まず、相手にタックルをかけさせて、十分内に入れてから、上から避けることも出来ない後頭部に肘を入れる。

 マスカレイドで、一度だけ健介はこの技で決めている。タイミングがそう簡単なものではないから、多用は出来ないが、しかし、アリゲーター相手には通じる、という自信がある。

 実力的にはまだまだだったが、それでも、順位的には、健介はマスカレイドで一桁台を狙える位置にいたのだ。

 一桁でも、数が大きい方の選手は当然ターゲットであり、その為の研究も、健介は怠らなかった。

 一度でもいいから、順位を一桁に持って行きたい。そう思ったならば、相手を研究するのは当然のこと。

 九位のアリゲーターなど、まさにねらい所だ。だから、タックルを肘で切って落とすタイミングは、手に入れたビデオを使って、何度も研究した。

 勝ちたい一心だった。それ以外の感情などなど、まったくなかったのに。

 それが、まさかこんな路上の、マスカレイドとはまったく関係ないところで使うことになろうとは、思ってもみなかった。

 しかし、悪くはない。自己顕示欲だけで練習したそれが、このゲスを倒すのに役に立つのなら、これ以上のものはない、とすら思えた。

 じりっ、とアリゲーターは歩をつめる。まだ、アリゲーターのタックルの距離ではないのだ。それも、研究して良く分かっている。

 恐るべきは、ここまで来ても、まだアリゲーターの動きは、打撃を放つそのものであり、タックルに移行する気配すら見えないことだ。

 健介は、もしかして、アリゲーターは打撃で来るのかも、と迷う。それほどに、アリゲーターはタックルの気配を見えない。

 いや、この男は、基本的に臆病だ。絶対に、タックルを仕掛けてくる。

 健介は、その迷いを、無理矢理振り切る。

 迷いは、即負けにつながる。間違えても駄目だが、迷うなどそれよりも悪い。実力差のある相手に、正攻法で勝てるなどと、健介は思っていない。だから、タックルに合わせるつもりの肘は、むしろ分の良い方の賭けなのだ。

 賭けに負けたときのことを、考えるな。勝てないから、賭けるのだ。ただでさえ負けているというのに、迷って賭けては、勝機など生まれるはずがない。

 このゲスは、ここで倒さなければいけない。迷いは、捨てろ。

 アリゲーターとの距離が、さらに縮まる。

 射程……圏内!!

 しかし、アリゲーターは動かない。すでに、健介が考えるアリゲーターのタックルの射程には、足の裏半分ほどはみ出している。

 タックル……じゃない?

 その迷いは、一瞬だった。しかし、その一瞬で、健介はすぐに迷いを捨てた。それしかない、と無理矢理意識を持って行く。

 僅かな差だが、それはこの実力においては致命的であることを、健介はよく分かっていた。だから、一瞬しか迷わなかったのだが。

 しかし、迷ってしまったことには、代わりなかった。

 事実から言えば、健介の読みは当たっている。アリゲーターは、確かにタックルを狙っていたし、近付けば即座に仕掛けるつもりだった。

 健介の目は確かで、アリゲーターのタックルの間合いを、健介は間違えなかった。

 しかし、それは勝負のあや、というやつなのか。

 アリゲーターは、本調子ではなかった。坂下とカリュウこと御木本から受けたダメージは、アリゲーターをまだ完調とは言わせなかったし、傷が多少なりとも癒える間、アリゲーターは身体を動かすことが出来なかった。

 アリゲーターは、衰えたのだ。そのアリゲーターにとって不利のはずの出来事が、アリゲーターを研究して来た健介には、致命的だったのだ。

 一瞬遅れるように、アリゲーターはタックルに移行していた。

 タイミングを逸した健介だったが、しかし、それだけで終わるほど、健介もやわでなかった。

 ずれたなら……無理矢理合わせる!!

 下に飛び込んでくるアリゲーターに、無理な動きで身体が悲鳴を上げているのも無視して、健介は、肘を打ち下ろした。

 ここで、倒す!!

 健介の、渾身の思いを乗せた肘が。

 空を、切った。

 

続く

 

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