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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(312)

 

 渾身の力を込めて振り下ろした肘が、空を切る。

 理由ならば、いくらでも出せる。もともと実力差がある上に、研究して来たとは言っても、実際に戦ったことがないこと。もしアリゲーターが健介が研究したころと変わらぬスピードと踏み込みを持っていれば。アリゲーターが、一瞬遅れた所為で動きに迷いが出た健介の動きをその一瞬分見ることが出来たこと。

 しかし、理由をいくら並べたところで、何の意味もない。

 必殺の気合いを込めた肘は空を切り、かわりに、アリゲーターは、飛び込むのを遅らせ、隙だらけの健介の顔面を、射程に入れていた。

 ゴッ!!

 肘が空を切って、低い位置にあった健介の顔に、まともにアリゲーターのナックルをつけた右ストレートが入った。

 元九位の実力のストレートは、ナックルがなくとも危険なものなのに、そこにさらに金属製のナックルが入れば、威力は推して知るべし。

 健介の身体が、頭から、はじけるようにのけぞる。

「はっ!!」

 鼻で笑った、アリゲーターのいかにも楽しそうな気合いのかけ声と共に、完全にバランスを崩した健介に、ヤクザキックが打ち込まれる。

 それを、健介は避けることも出来ずに受けた。

 健介の身体が、簡単に後方に飛んだ。それは後ろに飛んで威力を殺した、とかではなく、蹴りの勢いが、健介をはじき飛ばしたものだった。

「甘え甘え、俺のタックルを狙おうなんて百年早ええんだよ!!」

 アリゲーターは、もしあのまま突っ込んでいれば、肘に捉えられていた、というのを自覚している。回避できたのも、あくまで自分の身体が衰えたからこそ、というのも分かっている。性根は最悪でも、実力は疑うところのない実力差だ。

 しかし、だからこそ、その起死回生の一撃を避けられたことの大きさを、よく分かっていた。

 時間にすれば、僅かな時間だったが、しかし、アリゲーターは、目の前でぶざまに倒れる知らない男、健介の実力を測り、自分も決して安心できる戦いでなかったことを分かっていた。

 だが、どんな危険な相手であろうと、倒してしまった以上、アリゲーターの方が上であり、弱者をいたぶることに、アリゲーターは何の躊躇もなかった。

 それでも、火急速やかに止めを刺そうとしたのは、例え直撃を二発当てても、決して油断してはならない、というその性格とは裏腹な戦いにおける慎重さのたまものだ。

 倒れる健介に向かって走り寄ったアリゲーターは、しかし、それよりも素早い動きで、後ろに飛んで避けた。

 健介の、倒れたまま狙った地面すれすれの水平蹴りは、空を切ったが、それでアリゲーターを危険な距離から待避させる。

 じゃりっ

 地面をつかむように、ゆっくりと、健介が立ち上がる。

 打撃の直撃、しかも片方は右のナックル付きストレートに、片方は目立たないが必殺の鉄板入りブーツのヤクザキックだ。

 どちらも、直撃だったはずだった。しかし、健介は、それを受けても、ほとんど休みの時間さえ取らずに立ち上がったのだ。

「ちっ、バカは鈍い分打たれ強えから嫌だぜ」

 舌打ちをしながらも、アリゲーターはとっさに健介を注意深く観察しながら、構えを取って待ちに入っていた。

 健介のダメージを考えれば、ここは確実に攻めきる場面だが、しかし、自分の渾身を二発も受けて立ち上がった健介を、警戒した。

 決してアリゲーターは認めないだろうが、健介に、言い様のない恐怖を感じたのだ。

「……クッ」

 顔をあげた健介は、傷みの所為か、顔が歪んでいた。口から、苦しそうな声ももれていた。それを見たアリゲーターは、一瞬ほっとして、攻めに向かおうとした瞬間。

「クックックッククククッ」

 健介は、笑い出した。

「……気でもふれたか?」

 ダメージはちゃんとある、それが分かっても、アリゲーターは健介に気押されていた。いや、確かに今の健介は、横に田辺がいれば有無を言わせず罵倒されるぐらい怪しい。

 どこか狂気にも似たそれを顔にはりつけたまま、健介はアリゲーターに向かって怒鳴った。

「なめんな!!」

「なっ……」

「てめえの攻撃なんて、坂下とくらべりゃゴミクズだ、蚊が止まったかと思ったぜ!! 生きてる価値すらねえ、さっさと死ねバカが!!」

 もう少し語彙を増やした方がいい罵倒だが、健介は、非常に気分が良かった。目の前にいるアリゲーターはへどが出るが、それ以上に、頭の中がハイになっている。

「俺もバカだったぜ、何がマスカレイド一桁台の猛者だ、誰一人坂下に勝てねえじゃねか!!」

 それは、アリゲーターだけではない。他の健介も含めたマスカレイドの選手、全員に言えることなのだが。

 そんな些細なこと、今の健介にはまったく問題とならない。

「ありがとよ、てめえに殴られて目が覚めたぜ。何で俺が坂下以外のやつに気後れしてんだ。元九位? んなもん、毎日相手してる坂下の方が億倍怖えぜ」

 ダメージは、ちゃんとある。アリゲーターの渾身の攻撃は、多少衰えていたからと言って、そんなに甘いものではない。

 しかし、その攻撃を直撃、しかも二回も受けたにも関わらず。

 そう、健介の感覚でも、限界はとっくの昔に来ているはずなのに、ここで倒れてもまったくおかしくないのに。

 健介は、それが当然とばかに立ち上がっていたのだ。

 坂下に毎日それこそアリゲーターではないがゴミクズのようにぼろぼろにされながら、戦って来たことは、健介に、ちゃんと身になっていたのだ。

 もちろん、それだけでは説明がつかないことも多い。

 最低、精神力が今の健介の耐久力の限界を凌駕しているのは確かだった。

 しかし、だからこそ、今の健介は、こんなちんけな相手に負ける気が、まったくしない。

「覚えとけ、俺はマスカレイド十五位、ビレンだ。今から、てめえを殴り倒す、生きてりゃいくらでも仕返ししてきやがれ!!」

「聞いてねえんだよ、ザコが!!」

 一時は気迫に押されていたアリゲーターだったが、それを怒りがあっさりと凌駕し、健介に向かって、走り込む。

 しかし、それは健介も同じだった。

 もう沸点は、とっくの昔に凌駕しているのだから。

「こっちのセリフだぜ、黙れザコが!!」

 お互いをザコと呼び合う、ある意味気の合う二人が、正面から、激突した。

 お互いに、相手を殴って黙らせる為に。

 

続く

 

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