作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(315)

 

「よくもまあ、私のいないところで、やってくれたね」

 仁王立ちしていた坂下は、それだけ言うと、一歩アリゲーターに近付いた。

 すると、まるでそれから逃げるように、アリゲーターは後ろに飛び退く。坂下が一歩近付いただけなのに、かなり過剰に反応していた。

 二歩、三歩、と近付くと、一歩目と同じように、遠く距離を取る。

 臆病風にふかれて、という訳ではないことぐらいはわかっていたが、しかし、それでも坂下は、警戒すべきアリゲーターから視線を外し。

 完全に、自分の影に隠れるようになった健介に、視線を向けた。

「健介っ!!」

 と同時に、だっ、と田辺が、倒れた健介に駆け寄って、身体を抱き上げる。

 意識はあるのだろう、健介の燃えるような視線は、坂下に向けられている。自分を抱きかかえている田辺にも、一瞥だけ視線を送ったが、抱きかかえる、というよりも抱きしめる格好になっている田辺は、それに気付かなかった。

「健介」

 坂下は、健介と視線が合うと、にっ、と笑った。

「よくやった」

 おそらくは、健介にとっては、最も聞きたかった言葉。坂下に仕返しをするとうそぶきながら、本人も少しは自覚があるほど、惹かれている先輩からかけられた、本心からのねぎらいの言葉。

 それ以上のものが、今の健介にあっただろうか?

 健介は、自分の仕事を全うしたのだ。

 隠そうとしても隠しきれない歓びが、健介の顔に浮かんだ。その後、苦しげに、身体を動かして、立ち上がろうとしているのだろうか?

「いいから、あんたはそこで休んでな。あのゲスは、私達がきっちりとしめとくから」

「や、俺は手を出さないけどな」

 いつの間にか健介達の横に立っていた御木本が、この状況にもかかわらず、いや、この状況だからこそか、軽口を叩く。

 健介は、忌々しげな視線を一瞬だけ御木本に向けたが、そこで力尽きたのか、目を閉じる。別に死んだ訳ではなく、坂下が来て、気が抜けて気絶しただけだろう。

 とりあえず、生きていることだけを確認して、坂下はゲスの方に視線を戻す。すでに、アリゲーターは、かなりの距離をかせいでいた。

 とは言っても、この距離は、遠すぎる。

「逃げるつもりなら、私が視線を外したときに逃げれば良かったのに」

「はっ!! この絶好の機会、生かさずに逃げる訳ねえだろ!!」

 絶好の機会、とはとても言えない。人質に取れる人間が、確かに二人いる。しかし、その二人に近付こうとすれば、本命である坂下と、アリゲーターの記憶にはないが、ここに来たということは、おそらくはそこそこは使えるのであろう男、御木本のことだ、を通過しなければならない。それは、人質とは言わない。

 が、アリゲーターは、この状況を、最高の状況だと思っていた。

 何故なら、この状態を、アリゲーターは予測していたからだ。何個か用意していた手に、今はまさにぴったりとはまったのだ。

 さらにアリゲーターは距離を取る、と見えて、いきなりその場にかがむと、街路樹の裏から、何か取り出した。

 坂下であろうとも、一瞬でつめるのは不可能な遠距離から、アリゲーターは、それを坂下に向けた。

「さあ、観念しな!!」

 アリゲーターの手にあるそれを見ても、まゆを少し動かしただけで、坂下は表情を変えなかった。

 だが、健介を抱きしめるようにしていた田辺は、健介の身体を、自分の身体で隠す。例え、アリゲーターが本気で撃って来ても、自分の身を盾にするつもりなのだろう。

 日本で生活している限り、テレビの中ですらあまり見ないが、それが何かは、見ただけで判断できる。

 アリゲーターの手にあるのは、ボウガンだった。弦の力で、矢を飛ばす武器だ。弓と違うところは、事前に用意しておけば、弦を引く必要がないことだ。

 アリゲーターは、確かにマスカレイドの選手であったが、そもそも性格は腐っていたし、今はマスカレイドのことなどまったく頭になかった。

 これは、アリゲーターによる私刑なのだ。だから、飛び道具を使うことに、まったくアリゲーターは抵抗を感じなかった。

 もちろん、飛び道具を持てば絶対に勝てると思うほど、こと戦いにおいて、アリゲーターはおめでたい頭を持っていない。

 だから、事前に何度も練習して、この距離なら、百発百中とは言わないまでも、二発に一発は確実に当てる自信をつけてきた。

 そう、二発で当てれば、問題ないのだ。何故から、アリゲーターの手に持つボウガンは、二層式だった。

 ボウガンは、ぴたり、と坂下に向けられている。やや下向きの方に向けられているのは、もちろん理由がある。

 アリゲーターは何も、このボウガンで坂下を殺そう、と思っている訳ではないのだ。結果死んでしまうのは仕方ないが、出来ることなら、十分に苦しませてから殺したい、と思っているのだ。

 だから、頭を狙うなどもっての他。当てる場所は、脚が一番いいのだ。

 それに、頭部は、どうしても狙いが小さくなる。ならば、まだ脚を狙った方がましだ。命中のことだけを考えるのなら、胴体を狙うべきなのだろうが、胴体に矢がさされば、どれだけ生きているか分かったものではない。

 当然、アリゲーターの用意した矢は、殺傷力の高い、本物の鏃のついたものだ。

 これで殺すつもりはないが、結果的には、殺すつもりなのだ。それに、手加減をしてどうこうできる相手でないのは、アリゲーター自身、よく分かっている。

 この距離ならば、なりふりかまわず動かれたら、簡単には矢は当たらないだろう。

 しかし、それを封じる手が、ここにはあった。だから、最高の状況なのだ。

「避けるのはかまわないが、そのときは、後ろのやつに当たるぜ」

 アリゲーターと坂下を結ぶ線上に、倒れた健介と、それを庇うようにした田辺の身体がある。

 もちろん、位置的にこうなるように、アリゲーターは細心の注意を払ったのだ。こうなってしまえば、坂下はこの矢から逃げることは出来ない。

 もし、坂下がその場から動けば、アリゲーターは容赦なくボウガンを撃つつもりだった。

 坂下には生かして仕返しをしたいと思っているが、そこで倒れている男や、それを庇う少女は、死んでもいい、いや、殺すつもりだった。

 その為の二発だ。一発で坂下の後輩を殺し、後一発は、坂下迎撃の為に使用する。

 考えたくもないが、残りの一発を避けられて、さらに負けたとしても。

 後輩を守らずに、逃げたことが、どれほど坂下のダメージになるか、アリゲーターはよく分かっていた。アリゲーター自身は感じないでも、罪悪感というものを有効活用できることを、道具として知っているのだ。

 さらに、それで後輩が死ねば。

 どれほどの罪悪感と、それを越す誹謗中傷が、坂下を襲うことになるだろうか。

 アリゲーターは、それを考えただけでも、顔がにやけてくるのだ。

 だから、アリゲーターにとって最高なのは、坂下がボウガンの視線から逃げて、後輩が矢で死に、さらにアリゲーターが坂下を倒して、十分に犯してから、殺さずに帰すことだ。

 それが、坂下に最大のダメージを当てる方法だからだ。

 ただ、そううまく行くとは思っていない。何より、無抵抗の坂下が目の前にいれば、自分を押さえる自信など、アリゲーターにはなかったし、その必要すら感じれなかった。

 まあ、最悪でも、犯して殺すつもりだけどな。

「さあ、後ろのヤツを助けたかったら、その場に跪け!!」

 テンションが最高潮に達しているアリゲーターは、ボウガンを後ろの二人に向けて、坂下に要求をつきつけた。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む