作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(317)

 

 ビュンッ!!

 アリゲーターの持つボウガンから、鋭い風を切る音をたてて、矢が放たれた。

 打撃の距離ではなかったが、しかし、アリゲーターと坂下との距離は、近かった。外れるなど、ありえない。まかり間違っても、身体のどこかには当たる、そんな距離だった。

 当たった!!

 アリゲーターは、ボウガンを放った瞬間に、そう判断していた。

 距離が近すぎるのもあるし、坂下に左右に逃げる動きがなかったからだ。飛び道具を避けるつもりがあるのならば、放たれる前に動作をしておかねば、間に合うものではない。

 今の二人の距離など、坂下が全力で距離を詰めるよりも一瞬なのだ。もうどうする時間も残されていなかった。

 腹の立つことだが、アリゲーターの予想通りだった。坂下は、避けたりしない。後ろの後輩に当たるぐらいなら、自分が受けることぐらい、予測済みだった。

 だから、腹が立つと同時に、アリゲーターは笑ってしまいそうだった。坂下が怪我をすれば、どのみちアリゲーターに勝てる者などいないのだ。庇う意味など、まったくないだろうに、と。それが腹立たしいと同時に、これ以上ないぐらい楽しかった。

 アリゲーターの放った矢は、坂下の太ももに吸い込まれるように飛んだ。スカートからちらちらと覗く太ももには、当然防具などつけている訳もなく、矢は坂下の太ももに突き刺さろうとして。

 カッ!

 アリゲーターが引き金を引いたのと同じぐらいあっさりと、はじかれた。

「……あ?」

 アリゲーターは、一瞬惚けた。確実に刺さる、と思ったのに、何故か、その矢はあらぬ方向にはじかれていたのだ。

 ……この女の肌は鉄よりも固えのか?

 そんなバカな考えが、一瞬アリゲーターの頭に浮かんで消えたが、しかし、そこから正気に戻るのは、高速だった。矢が地面に落ちるよりも早かったぐらいなのだから、それは誉めても問題ないだろう。

 そんな訳ねえだろ!! と自分の考えを否定する。それを一瞬だ。

 一瞬、しかし、坂下相手には、致命的になりかねない一瞬、アリゲーターのこと戦いにおいては正しく動く脳が、機能を停止したのだ。

 だが、坂下は、それを狙って走り込むでもなく、何の変化もないままに、ゆっくりと距離を縮めてきていた。つまりそれは、徐々にではあるが、距離が縮まっている、ということだった。

 アリゲーターは、坂下をなめてはいない。強いと、はっきりと認めている。普通の暴力ではどうにかできないのも分かっている、だからこそ選んだ手なのだ。

 どんな怪物だって、肌で矢が跳ね返せるもんかよ、だったら、考えられるのは一つだけだ。

 矢を、受けではじいた、それしか考えられなかった。

 ありえない、とアリゲーターは考えたが、しかし、肌で矢をはじき返すことを考えれば、それの方がいくらかまともだ。

 飛んでくる、目標としては点である矢を、手ではじき落とした。それが、唯一考えられる防御方法であり、しかし、だからこそ、なめるな、とアリゲーターは思った。

 んなこと、出来る訳ねえじゃねえか!!

 自分を鑑みた場合に、それがいかに不可能なことなのかを、アリゲーターは分かっている。だからこそ、この武器を選んだのだ。

 混乱するアリゲーターを尻目に、坂下は、すっ、と腕を前に出した。

 得体の知れ無さに、アリゲーターは一瞬びくっ、と身体を震わすが、それでもボウガンの狙いを、坂下からは外さない。恐れることに、意味などない、と分かっているからだ。

 しかし、それでも恐怖は、アリゲーターに静々と近付いて来ていた。どうしようもないのだ。それは、感じるものではなく、近付いて来るものなのだから。

 三本、坂下の指が立っていた。

「三回だ」

 何のことか分からないアリゲーターは、残りの一発を撃つべきかどうかをろくに動いてもいない頭で、それでも吟味していた。あまり時間をかけると、致命的な距離まで近付かれる可能性がある以上、すぐにでも決断せねばならなかったのだ。

「過去三回、私は受けたら死ぬ、と思った攻撃を知覚した」

 駄目だ、言葉に惑わされるな、これ以上近付かれれば、ボウガンも役にたたなくなる、この瞬間しか、狙う機会はない。いや、攻撃はいいから逃げろ。バカ言うな、こいつ殺さずに逃げるなんてありねえね。

 アリゲーターの頭が、警告を発しながらも、しかし、我慢の限界が来ていたのだろう、引き金にかけた指に、少しずつ力が入っていく。

 大丈夫だ、さっきよりもさらに近付いているじゃねえか、だったら、もう一発打てば、今度こそ外す訳ねえ。

「その攻撃を、私はことごとく受け流した」

 ビュンッ!!

 カッ!!

 アリゲーターの持つあまり質の良くないボウガンから放たれた矢は、それでも初速時速二百キロを越え、速球派のプロのピッチャーの球より五十キロは速い。

 その、前から見れば点である予備動作もないそれを、自分の身体に当たる前に、坂下は腕ではじき飛ばしていた。

 今度は、アリゲーターにも分かるように、綺麗に円を描いた両腕。芸術的、とも言える受けだった。

 プロのバッターが百五十キロの球にバットを当てるのは、ピッチャーの予備動作からタイミングを予測するからだ。しかし、そんなものはない、何のヒントもない物理的に速いだけの、しかも点でしかない矢を、坂下は、軽々とはじいた。

 二発目の矢も、坂下にはまったく届かなかった。つまり、ボウガンはこれで役立たずになったということだ。

「二回」

 坂下は、まるで何事もなかったのように、話を続ける。

「過去二回、私はまったく知覚出来ない攻撃を受けた。それは、受けれなかった」

 ぽろっ、とアリゲーターの手から、ボウガンが落ちる。と同時に、アリゲーターは構えを取っていた。すでに、矢をつがえる時間など、残されていない。

「一度は、葵に崩拳を受けたとき」

 すでに、もう坂下はアリゲーターに向かってしゃべってはいなかった。

「一度は、綾香に最後のKOを受けたとき」

 その一撃を以て、綾香は、空手を辞めた。

 過去、坂下が受けた、一番強烈な一撃。それで、坂下は中学最後の大会を棒に振ることになったのだ。

 棒に振ったこと自体には、悔いはない。あれは、それだけの戦いだった。後のことを考えてなどでは、数秒も持たなかっただろう。

 それと比べて、このボウガンの攻撃は、あまりにも、お粗末なものだった。

「その五回のどれにも、さっきの二回はまったく届いていなかった。そんなもので、この私が倒せる、と思ってるバカは、死んだ方がいいと思うね」

 アリゲーターが用意した必殺の飛び道具は、もっと幼稚で強力な綾香と比べると、おもちゃのようなものだ。

 目の前にいるのは、アリゲーターの常識が通じるような相手ではない。手を砕かれたときに、それぐらいは理解しておくべきだったのだろう。

「ちっ、化け物が」

 アリゲーターは、それ以上の悪態もなかった。それ以上、何が言えるというのだ。

「心外だね、化け物って言葉は、私には相応しくないよ」

 本物の怪物を知る坂下としてみれば、本当にバカにされている気分だった。

 残念ながら、坂下は、そこに届いていないのだから。

 そのうさを晴らす訳ではないのだろうが、坂下は、ゆっくりとアリゲーターに向かって、拳を振るうべく、近付いていた。

 もちろん、うさを晴らす為などでは、ない。

 後ろで倒れている健介の為でもあり、これ以上ないぐらい愚かなこのバカな男に、分からせるつもりだった。

 つめが甘い、どころの話ではない。

 最初から、アリゲーターは間違っていたのだ。

 ただ戦えば、勝敗は決まっていた。一度はいいところまで行った、など、今の坂下を目の前にして、どれほどの意味があるだろうか?

 すでに半分以上腰の引けているアリゲーターを見ても、坂下は、手加減をしよう、などという気持ちには、まったくならなかった。

 だから、まるで油断でもしているかのように、アリゲーターに向かって、無警戒に近付いていった。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む