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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(319)

 

「はあっ、はあっ、はあっ!」

 息を荒げて走って来たときには、すでにそれは決着していた。

 バイザー部分が無惨に砕けたフルフェイスヘルメットを被った男、田辺さんの電話の内容から察すればアリゲーターだ、がその場に倒れていた。ぴくりとも動かない。完全にKOされているようだった。

 冷静ではない田辺さんの言葉は、あまり要領を得なかったが、それでも、健介が危機的状態であることと、健介を襲っているのがアリゲーターであることまで分かったところで、私は急いで走って来たのだ。

 いかに手負いとは言え、アリゲーター相手に、私が何か出来るとは思えなかった。しかし、私だって、うぬぼれていなければ空手部の一員で、アリゲーターが何を狙っていたのか分かるだけに、許す訳にはいかなかった。

 それに、田辺さんは取り乱していても、決して順番を誤らなかった。まずはヨシエさんに連絡を取ったのだ。

 私に電話をかけて来たのは、人数は多い方が良いという、とっさの判断なのだろう。冷静ではいられないときに、とっさにでもそれを思いつくのは、さすが空手部の一員である。

 健介が健在であれば、怪我をしているだろうアリゲーター相手なら、二人で抑えておくことぐらいは出来るかもしれない、と私も考えた。

 だから、田辺さんから携帯に連絡を受けて、私は全速力で走って来たのだが、すでに、戦いは終わった後のようだった。

 地面に落ちているボウガンや、あれは見たところスタンガンだろうか、武器が散乱しているが、とりあえず、健介から流れる鼻血ぐらいしか出血は見えない。

 ヨシエさんは健在だし、生きていなくともいいのに御木本は元気だ。唯一、被害があったのは健介ぐらいだろう。

「健介は……遅かったか」

「沢地さんひどっ、死んでないわよ」

 さすがにむっとしたのか、田辺さんが珍しく私に大して声を荒げる。

 しかし、半分冗談みたいなもので、田辺さんもそれなりにもう落ち着いているようだった。

 田辺さんの膝枕で気を失っている健介は、それなりに良いポジションであるとも言える。

 しかし、冗談は置いておいて、健介は本当にボロボロだった。集団リンチを受けた後でもこんなにボロボロになることはないのでは、というぐらいだ。

 顔や腕はあざだらけだし、腕の様子から見れば、折れているのではないだろうか?

 息は正常だし、血は鼻血程度などで済んでいるが、すでに、素人の手でどうにか出来るレベルではないように見える。

 その健介を、田辺さんはいとおしそうに、まるで子供をあやすように、ゆっくり頭をなでている。

 いや、その表現は正しくないだろう。まるで、恋人をいとおしく思うように、田辺さんは健介の頭をゆっくりとなでていた。

 確かに、これと比べれば、ヨシエさんが浩之先輩を膝枕したことなど、お遊戯に見える。あまり直視してはいけないようなものに感じるぐらいだ。

 もっとも、この中で、そんな気を利かせることの出来る人間は私だけのようで、ヨシエさんは平然と見ているし、御木本はけっ、と非常によろしくない態度を取っている。

 田辺さんの邪魔をしないように、そっと私はヨシエさんに耳打ちする。

「あの、医者に連れていかなくていいんですか?」

 言ったように、すでに素人の治療でどうにか出来るレベルではない。さっそく入院するほどのダメージに見える。

「呼んでるよ、そろそろ、マスカレイドの人間が来るみたいだよ」

 それは、分からない話ではない。普通の警察や病院にまかせてもいいが、アリゲーターのことは、マスカレイドとしては許せない行為だ。

 おそらくは、二度とそこで転がる男の姿を見ることはないだろう。どうなるかなど、知りたくもないし、考えたくもない。

 それどころか、今追い打ちをかけたいぐらいなのだ。

 私達の、平和で楽しすぎる空手部に、汚い手を伸ばして、ただで済ませられる訳がない。ヨシエさんと田辺さんの目がなければ、ここで止めを刺してしまいたいぐらいだ。

 というか、さっきから、ちらちらと御木本がアリゲーターの様子、というかヨシエさんの隙をつけないものかどうかと狙っているように見える。

 もちろん、御木本は男色なのでアリゲーターの身体を狙っている、訳ではなく、私の見たところ、ヨシエさんの隙を狙って、アリゲーターに、本当の意味で止めを刺そうとしているようにしか見えなかった。

「御木本、いいかげんあきらめろ」

 ヨシエさんに盛大にため息をもらされて、御木本はちっ、と舌を鳴らす。

「いいじゃねえか、どうせ生きて表に出て来ることなんてねえんだ。ここでひと思いに殺してしまった方が、こいつも幸せってもんだろ」

 ふざけた物言いだし、田辺さんに気付かれないようにそんなやりとりをしているが、しかし、御木本が本気なのは、十分に分かる。

 本当の意味で本気だ。アリゲーターの命を奪うのを、少しも躊躇しない。半殺しとか、リンチとか、そういうレベルでの話ではなく。

「駄目だ」

 だからこそ、ヨシエさんははっきりと御木本を止めた。例えどんなバカであろうとも、御木本を人殺しにするなど、ヨシエさんは許さないのだ。

「それとも、私を敵にまわすかい?」

 そう言われて、御木本は、本当に悔しそうに引き下がった。

 許せないのは、私もヨシエさんも、御木本も、そして倒れている健介も同じなのだ。

 そして、その為ならば、御木本は躊躇しない。おそらく、健介も躊躇しないだろう。自分の手で、と考えるはずだ。

 この大切なものを、自分の手で。

 そう考えた瞬間、私の胸が、締め付けられたように痛くなる。

 思い出さなくとも良いのに、私は、その言葉を思い出してしまったのだ。

 ……いや、知らないふりなど、しても意味がない。私がすることは、思い出さないようにしてごまかすことではない、よく考えて、自分の手で。

 健介ですら、自分の大切なものを、自分の手で守ったのだ。その姿を見て、一方的にやられた、とは思わない。健介の強さも、空手部で一緒にやって来たのだ。理解している。アリゲーターごときに、そう簡単に遅れを取ったりなどしない。

 だから、同じ空手部として、そう、同じ仲間として、私は健介が、一矢どころか、自分の仕事を完璧にこなしただろうことを、信じれる。

 ……違う、違うのだ。

 私のは、そんなものではない。どんなに自分の手で、と思っても、それは出来ないことで。

 守るなんて、出来ないのだ。自分の手でやれば、絶対に壊してしまうのは、目に見えているのだから。

 だから、状況に流されるように、黙っているのか?

 それが、平静で出来るのならば、私の心は、こんなに波立ちなどしなかっただろうに。

 目を閉じるまでもなく、思い出そうと思わずとも、そのときの景色と、声を、私は思い出すことが出来る。思い出させられる。頭の中に、刻み込まれている。

 確かにあった幻聴が、私の頭に響く。

 

「うまくいけば、綾香さんは負けるでしょう」

 

「でも、そのとき、ランちゃんは、二度と、自分で立ち向かうことができませんよ?」

 

「大切なものを、人の手にゆだねますか?」

 

 悪魔のような、柔らかい声が、響く。

「戦いを、やめますか?」

 

続く

 

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