薄暗くなった道を、私は自分でも幽鬼のようだ、と思うような力の無さで歩いていた。
目的地は、ある。
その目的を、達した方がいいのか、それとも、このままうやむやにしてしまった方がいいのか、私には分からない。
うやむやにしないまでも、結論を出すのは、まだ早いのでは、という気持ちは抜けない。例え意味のない時間稼ぎで、ただ後にまわしているだけだとしても、だ。
そもそも、私の頭には、明確な目的はない。目的地はあるが、まるでそこに誘われているように歩いていても、決して、何かを成そうとして向かっている訳ではない。
自分の性質を、私はよく分かっている。
要は、弱いのだ。それは腕っ節がどうとか、そんなものではなく。
精神的に、まず弱いのだ。一定までは、多分今の女子高生としては強いのかもしれないが、一度折れると、張っていたものがあるだけに、酷く「やわい」。
そして、そんなときに、何をするのか、すでに私は分かっている。
人に、もたれかかるのだ。
最初は、姉や仲間にもたれかかって、自信を取り戻す為に浩之先輩を闇討ち、と言っても、戦い自体は一対一の仁上なものだが。
二回目は、ヨシエさんにもたれかかって、強くなったような気になっていた。
三回目は、ほとんど折れた状態から、浩之先輩に、全てをもたれかけてしまった。
一度体勢を立て直せば、私は戦える。弱くなっているときならばともかく、体勢が整いさえすれば、私は私の力を信じていいと思っている。
今は、自分でも分かる、弱くなっているときだった。
そして、しょうこりもなく、私はもたれかかろうとしている。
自分のことながら、むなしくて涙が出そうだった。しかし、私の身体は、正直に、ふらふらとそこに向かっていた。
その家は、何の変哲もない、普通の民家だった。
まあ、確かに高級そうと言われればそうかもしれないが、せいぜい私の家の三番はないだろう。
しかし、黒幕、というのは失礼か、とにかく、物語の本筋に楔を打ち付けていた人間がねじろにするには、あまりにも特徴がなさすぎる。
いかにもラスボスの城、というたたずまいであれば、私も、戦うか捕まって助け出される要員にまわることも出来たものを。
私は、何の変哲もない呼び鈴を押す。
ピンポーン
代わり映えのしないチャイムの音が鳴って、しばらく。
「はーい」
がちゃり、と不用心に開く鍵。薄暗くなったこの時間に、いくら家族と一緒に暮らしているからと言って、何の警戒もなく鍵を開けるのはどうだろう?
「もう、ランちゃん。そんなことを言っても、私を襲ってどうこうできる犯罪者の方がいる訳ないじゃないですか」
「人の心を読まないで下さい」
「うふふ、いらっしゃい、ランちゃん」
私は、こうやって敵、というにはあまりに味方の、初鹿さんの家に招き入れられた。
「あの、家族の皆さんは……」
他に人の気配のしない一階と廊下と通されて、私は初鹿さんの部屋に入っていた。
「両親は仕事だ遊びだと、まず家にはいませんよ。弟も、部活に入ってからめっきり帰って来るのが遅くなってしまって。まあ、私も何も家にいる時間は短いですから、家族のことは言えませんが」
それでも家族仲は良い方ですよ? と初鹿さんは、いつもと同じ笑顔で、私とどうでもいい世間話をしている。
「初鹿さんが家にいないのは……」
「男性のところに遊びに出ている訳ではないので、あしからず」
ふふふ、と初鹿さんは、自分の冗談に笑っているようだった。
そう、言葉は濁されたが、今だに、私は初鹿さんの言葉を信じられない。
確かに、初鹿さんならば、全ての説明がつくのもそうだが。反対に、初鹿さんでなくとも、別に不思議ではないぐらいの説得力しかないのだ。
「そ、そうです、初鹿さんは、バイオリンひくんですよね?」
「ええ、他のことにかまけているので、そんなに腕前は良くないですから、趣味程度ですが」
そう、そもそも、あのバイオリンケースの仲には、バイオリンが入っていた。武器を隠すのなら、非常に便利そうなあれに入っていなかったことが、最初の私の予測を狂わせたのだ。
しかし、あのときは確信があったのに、何故、私は今、初鹿さんの言葉を信じられないのだろうか?
「今、聞かせてもらえませんか?」
「いいですよ?」
初鹿さんは、快く、机の上に置いてあるバイオリンケースを手に取る。
本当に、私は何をしにここに来たのだろうか?
いや、最初から、何をしに来たのか分かっていないことぐらい、自覚している。しかし、こうやって世間話をして、時間を無駄に消費する為に来たとすれば、何と意味のないことだろうか。
信じられないが、例えばそれが初鹿さんの嘘だとして、何故そんな嘘をつく必要があるのだろうか?
例えば、姉や妹がいて、本当はそちらが本物で、だから初鹿さんが知っていたと……いや、今弟と言ったから、姉も妹もいない……そもそも、それすら嘘なら……
ことっ
目の前に置かれたバイオリンケースの音に、私は身体を震わせた。
恐る恐る、私は顔を上げて、初鹿さんを見る。
もちろん、ヘルメットを被っている訳もないし、そもそも、にこやかな笑みが、作り物とは、あまり思えない。
「ランちゃん、信じたくないんですね?」
そう、信じられないのではない、信じたくないのだ。
今、私の前で笑っている、それなりに心を許した相手である初鹿さんが。
ぱちんっ、とケースの留め金が、音をたてて外れた。
「ランちゃんが見たかったのは、これですか?」
私の目に飛び込んだそれは、決して楽器などではない。
……そうだ、やはり、そうなのだ。
私は、その黒光りするそれを見て、やっと、現状を、飲み込んだ。
飲み込んでしまえば、出てくる言葉は、はっきりしていた。
「初鹿さん、お願いがあります」
まるで、考えていたかのように、するりと口から出て来る。
「何、ランちゃん? 知らない仲でもないんだから、何でも言って下さいな」
悪魔の誘惑のような声に、私は誘われるままに。
……いや、誘われた、というのは、否定しよう。
衝動に近いそれは、それでも、私の中から生まれた。
つい一瞬前までもたれかかっていた私は、すでに、自分の足で立っていられるほどには、持ち直していたのだから。
「来栖川綾香を、倒して下さい」
続く