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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(322)

 

 一度腹をくくった以上、私は怖い物なし。

 とは、さすがに言えなかった。

 もう、疑うべくもない。チェーンソーの正体は、初鹿さんだ。

 まだ付き合いは短いが、そんなに悪い人には見えない。それはわかっている。

 しかし、性格はともかく、強そうには、こう見ていても、見えないのだ。単なる狂言だ、と言われた方がまだ納得できる。

 納得できるし、自分も安心出来る。

 しかし、もう、怪しむ時間ではない。すでに、私は腹をくくったのだ。もう、初鹿さんの言葉を信じて、話を続けるしかない。

 ただ、唯一、気になることがある。

 初鹿さんは、まだ一度も、チェーンソーが自分だとは、言っていないのだ。

 もう、ここまで来てミスディレクションはない、と思うのだが、それを捨てきれないのは、私が、それが嘘であることをを望んでいるからだろうか?

 悪いことでは、ないのだ。

 これで、初鹿さんが私の敵にまわる、というのなら問題だが、今のところ、その様子はない。であれば、私にとっては、プラスになりこそすれ、マイナスにはならない。

 少なくとも、これで、私はチェーンソーの襲撃を恐れなくていいのだから。

 まあ、結局、それは私にとって、あまり重要なことではないのだ。

 正直、初鹿さんの正体よりも、その後の言葉の方が苦しかった。あれは、私にとっては、猛毒だった。

 逃げているという自覚が、少しなりとも私にはあったのだから、まさに毒でしかなかった。

 それを、一応は乗り越えた今ですら、まだ私は迷っている部分があるのだ。撤回できるのなら、今さっきの言葉を撤回したいとすら思っている。

 いつも、私はこうなのだ。物事が決まっても、自分で決意しても、すぐにぐじぐじと歩みを止めてしまう。

 私の二つある悪癖の一つだ。最近は自分でも理解できるようになって来た。まあ、わかっていても、それをどうにもできないからこそ、悪癖なのだが。

 しかし、初鹿さんは、それを分かっているのか分かっていないのか、いや、ほぼ間違いなく分かっているのだろうが、そんな隙を作ってはくれない。

 それどころか。

「ランちゃんの言葉、はっきり聞きましたよ」

 にこやかにそう宣言するのだ。まるで、私の退路を断つように。

 いや、それこそ被害妄想だろう。退路を断つような場所に来たのは、私の意志であり、それで初鹿さんを責めるのは筋違い……いや、そもそも初鹿さんがそこに私を追い込んだのだし……違う、どうせ、逃げていた私はここに来るしかなかったのだ。

「私も、なるべく期待に応えられるように、がんばりますね」

 頼もしくも聞こえる、初鹿さんの言葉で、私は本当に退路を、断たれた。

「とは言え、まずその為には、一人勝たないといけない相手がいるんですよね。自信ありませんよ」

 にこにことしながら、まったく困った風もなく、初鹿さんは言う。次の相手、私が、こんな状況になった、おそらくは、一番関係のあるだろう人物に。

「……ヨシエさんは、強いですよ」

「知っていますよ。一度だけ、顔合わせをしていますから。と言っても、私は顔を隠していましたが」

 一度だけ、おそらくは凄く短く手を合わせただけだろう。でなければ、どちらもただでは済むまい。それだけのものが、初鹿さんが本当にチェーンソーならば、ある。

 それで、私はふと疑問になり、そして、怖くなった。

「どうかしましたか、ランちゃん?」

「あ、その……」

 それは、聞いていいものかどうか、私は迷った。

 何故なら、あのとき、私は、正体に気付く前から全身に震えが来ていたし、気付いた後は、恐怖で動けなくなったのだ。

 チェーンソーが、浩之先輩を、襲う理由。

 確かに、エクストリームの予選を通過した猛者だ。表で認められていると言える。しかし、正直、マスカレイドの中では、チェーンソーは規格外で、そんなエクストリーム予選通過など、比べものにはならない。

 それで名声を得られるのは、私や、せいぜい健介までだ。今は、それよりも来栖川綾香やヨシエさんが猛威をふるっているので、余計に価値は下がっている。

 もちろん、浩之先輩の強さを疑うものではない。しかし、ただ名声を考えれば、チェーンソーは、浩之先輩を襲う必要がない。

「どうしたの、ランちゃん? 聞きたいことがあれば、聞いてくれていいのよ?」

 優しく、諭すように私に語りかける初鹿さんの声は、それ自体が罠のようにしか、正直思えなかった。

 もし、チェーンソーであるという初鹿さんが、名声ではなく、他の理由で、浩之先輩を狙ったとするのなら。

 ……本当に、浩之先輩は、どうなっているのだ?

 来栖川綾香、チェーンソー、そしてヨシエさん。近くにいる女性は、そろいもそろって、化け物ばかり。私だって、一般の女の子ではない、などと思っていたが、そんなもの、思い上がりだと思わせる、凶悪な面々。

 その中の、二人に、その身を狙われているのだとしたら。

 助かる術など、あるのだろうか?

 ヨシエさんが、その片方を、うまくつぶせたとしても、その後待っているのは、残った一人による攻撃だ。

 浩之先輩は、凄い。いつか、ヨシエさんや来栖川綾香に追いつくかもしれない。私は、自分の希望も含めて、そう考えているが。

 今、襲われて、浩之先輩は、生き残ることが出来るだろうか?

 だから、私が聞くしかないのだ。

 初鹿さんに、浩之先輩を害する気持ちがないのならば、それが一番いい。

 しかし、嘘をつかれたら? いや、それどころか、本当に初鹿さんがチェーンソーであるのならば、何も嘘をつく必要すらない。

 ここで、私を殺してしまえばいいだけだ。

 マスカレイドを、私は侮っていない。殺人の一人や二人ぐらい、もみ消すことが出来る、と思っている。

 チェーンソーは、マスカレイドにとって、なくてはならない人材だ。それを守る為なら、ランキングの低い少女が一人行方不明になるぐらい、問題があるだろうか?

「あの……どうして、初鹿さんは……」

「ん?」

 笑顔が、その奥に怒りを隠している訳でもない、ただの笑顔が怖いと思ったのは、これが初めてだった。

 ただ、私は、精神的に弱い癖に、こういうとき、あまり深く考えずに、とっさに、前に出てしまう癖がある。これを、悪癖とは言いたくない。ただ、あまり長くは生きれないのでは、と自分でも思うのだが。

「どうして」

 でも、それでもいい、と私は思っていた。

 尽くす訳ではないし、それがどれほど意味のあるものか分からないけれど。

 こんな私が、少しでも浩之先輩の役にたてるのなら。

「どうして、あのとき、私達を……いえ、浩之先輩を、襲ったんですか?」

 初鹿さんの口元がつり上がったように見えたのは、私の気のせいだったのだろうか?

 

続く

 

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