一度腹をくくった以上、私は怖い物なし。
とは、さすがに言えなかった。
もう、疑うべくもない。チェーンソーの正体は、初鹿さんだ。
まだ付き合いは短いが、そんなに悪い人には見えない。それはわかっている。
しかし、性格はともかく、強そうには、こう見ていても、見えないのだ。単なる狂言だ、と言われた方がまだ納得できる。
納得できるし、自分も安心出来る。
しかし、もう、怪しむ時間ではない。すでに、私は腹をくくったのだ。もう、初鹿さんの言葉を信じて、話を続けるしかない。
ただ、唯一、気になることがある。
初鹿さんは、まだ一度も、チェーンソーが自分だとは、言っていないのだ。
もう、ここまで来てミスディレクションはない、と思うのだが、それを捨てきれないのは、私が、それが嘘であることをを望んでいるからだろうか?
悪いことでは、ないのだ。
これで、初鹿さんが私の敵にまわる、というのなら問題だが、今のところ、その様子はない。であれば、私にとっては、プラスになりこそすれ、マイナスにはならない。
少なくとも、これで、私はチェーンソーの襲撃を恐れなくていいのだから。
まあ、結局、それは私にとって、あまり重要なことではないのだ。
正直、初鹿さんの正体よりも、その後の言葉の方が苦しかった。あれは、私にとっては、猛毒だった。
逃げているという自覚が、少しなりとも私にはあったのだから、まさに毒でしかなかった。
それを、一応は乗り越えた今ですら、まだ私は迷っている部分があるのだ。撤回できるのなら、今さっきの言葉を撤回したいとすら思っている。
いつも、私はこうなのだ。物事が決まっても、自分で決意しても、すぐにぐじぐじと歩みを止めてしまう。
私の二つある悪癖の一つだ。最近は自分でも理解できるようになって来た。まあ、わかっていても、それをどうにもできないからこそ、悪癖なのだが。
しかし、初鹿さんは、それを分かっているのか分かっていないのか、いや、ほぼ間違いなく分かっているのだろうが、そんな隙を作ってはくれない。
それどころか。
「ランちゃんの言葉、はっきり聞きましたよ」
にこやかにそう宣言するのだ。まるで、私の退路を断つように。
いや、それこそ被害妄想だろう。退路を断つような場所に来たのは、私の意志であり、それで初鹿さんを責めるのは筋違い……いや、そもそも初鹿さんがそこに私を追い込んだのだし……違う、どうせ、逃げていた私はここに来るしかなかったのだ。
「私も、なるべく期待に応えられるように、がんばりますね」
頼もしくも聞こえる、初鹿さんの言葉で、私は本当に退路を、断たれた。
「とは言え、まずその為には、一人勝たないといけない相手がいるんですよね。自信ありませんよ」
にこにことしながら、まったく困った風もなく、初鹿さんは言う。次の相手、私が、こんな状況になった、おそらくは、一番関係のあるだろう人物に。
「……ヨシエさんは、強いですよ」
「知っていますよ。一度だけ、顔合わせをしていますから。と言っても、私は顔を隠していましたが」
一度だけ、おそらくは凄く短く手を合わせただけだろう。でなければ、どちらもただでは済むまい。それだけのものが、初鹿さんが本当にチェーンソーならば、ある。
それで、私はふと疑問になり、そして、怖くなった。
「どうかしましたか、ランちゃん?」
「あ、その……」
それは、聞いていいものかどうか、私は迷った。
何故なら、あのとき、私は、正体に気付く前から全身に震えが来ていたし、気付いた後は、恐怖で動けなくなったのだ。
チェーンソーが、浩之先輩を、襲う理由。
確かに、エクストリームの予選を通過した猛者だ。表で認められていると言える。しかし、正直、マスカレイドの中では、チェーンソーは規格外で、そんなエクストリーム予選通過など、比べものにはならない。
それで名声を得られるのは、私や、せいぜい健介までだ。今は、それよりも来栖川綾香やヨシエさんが猛威をふるっているので、余計に価値は下がっている。
もちろん、浩之先輩の強さを疑うものではない。しかし、ただ名声を考えれば、チェーンソーは、浩之先輩を襲う必要がない。
「どうしたの、ランちゃん? 聞きたいことがあれば、聞いてくれていいのよ?」
優しく、諭すように私に語りかける初鹿さんの声は、それ自体が罠のようにしか、正直思えなかった。
もし、チェーンソーであるという初鹿さんが、名声ではなく、他の理由で、浩之先輩を狙ったとするのなら。
……本当に、浩之先輩は、どうなっているのだ?
来栖川綾香、チェーンソー、そしてヨシエさん。近くにいる女性は、そろいもそろって、化け物ばかり。私だって、一般の女の子ではない、などと思っていたが、そんなもの、思い上がりだと思わせる、凶悪な面々。
その中の、二人に、その身を狙われているのだとしたら。
助かる術など、あるのだろうか?
ヨシエさんが、その片方を、うまくつぶせたとしても、その後待っているのは、残った一人による攻撃だ。
浩之先輩は、凄い。いつか、ヨシエさんや来栖川綾香に追いつくかもしれない。私は、自分の希望も含めて、そう考えているが。
今、襲われて、浩之先輩は、生き残ることが出来るだろうか?
だから、私が聞くしかないのだ。
初鹿さんに、浩之先輩を害する気持ちがないのならば、それが一番いい。
しかし、嘘をつかれたら? いや、それどころか、本当に初鹿さんがチェーンソーであるのならば、何も嘘をつく必要すらない。
ここで、私を殺してしまえばいいだけだ。
マスカレイドを、私は侮っていない。殺人の一人や二人ぐらい、もみ消すことが出来る、と思っている。
チェーンソーは、マスカレイドにとって、なくてはならない人材だ。それを守る為なら、ランキングの低い少女が一人行方不明になるぐらい、問題があるだろうか?
「あの……どうして、初鹿さんは……」
「ん?」
笑顔が、その奥に怒りを隠している訳でもない、ただの笑顔が怖いと思ったのは、これが初めてだった。
ただ、私は、精神的に弱い癖に、こういうとき、あまり深く考えずに、とっさに、前に出てしまう癖がある。これを、悪癖とは言いたくない。ただ、あまり長くは生きれないのでは、と自分でも思うのだが。
「どうして」
でも、それでもいい、と私は思っていた。
尽くす訳ではないし、それがどれほど意味のあるものか分からないけれど。
こんな私が、少しでも浩之先輩の役にたてるのなら。
「どうして、あのとき、私達を……いえ、浩之先輩を、襲ったんですか?」
初鹿さんの口元がつり上がったように見えたのは、私の気のせいだったのだろうか?
続く