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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(323)

 

 向けられた声は、なじる言葉。しかし、これほどまでに、心地よいなじる声があるだろうか?

「前から頑丈だ頑丈だバカは風邪に気付かないと思ってたけど……今回ほど、バカは傷みを感じないと思ったことはないわね」

「るせえ、さっさと帰れ」

 外は、もう完全に真っ暗。長い初夏の夕暮れも、この時間まで足を伸ばすことは出来なかったようだ。

 その中で、煌々とした蛍光灯が、白い背景に反射して、目にまぶしい。

 適度な温度までクーラーで下げられた部屋は、電気の無駄遣いとも言えないでもなかったが、それもベットで寝ている人間の為。

 どこか気味が悪いほど白く清潔なシーツのかけられたベットに、健介は寝ていた。

 脚の骨は平気だったようだが、腕の骨は折れ、肋も数本折れている。まだ、痛み止めと、先ほどの電撃の所為で痛みは感じないが、明日は、おそらく地獄が待っているだろう。

 一応の診断の結果、頭にも内臓にもダメージがなかったのが、幸いと言えば幸いか。

 その健介の寝ているベットの横に、椅子に座った田辺が、いつも通り、まあ、健介から見ても、それが演技と分かるぐらい落ち着いていないのだが、それでも、表面上は一応いつも通り、健介とバカ話をしている。

「お見舞いに来てあげた人に向かって、帰れとは酷いんじゃないの?」

「ぬかせ。そろそろどころか、もう病院は閉まってる時間だろ。さっさと帰れよ」

 だいたい、見舞いに来るのが、こいつと赤目だけってのはどういうことだ。

 まあ、赤目に関して言えば、今回の謝罪と、言わずもがな、アリゲーターのことはまかせてくれという言葉と、後は、けっこうな額の見舞金。

 それほど健介は金には興味がないが、それでももらえるものはもらっておいた。ついでに、入院費も赤目、というかマスカレイドもちと言われたので、それも素直に聞いておいた。

 見舞いに来たのが二人だけ、というのは、さすがの健介も、自分の友好関係を少し考えてしまった。

 坂下達が来たところまでは、健介も記憶を保っていたのだが、後は記憶が飛んで、気付いたときはベットの上だ。

 おそらくは、坂下も坂下で忙しいのだろうが、顔ぐらい出してもばちは当たらないだろうに、と健介は思うのだ。

 しかし、それも仕方ないとも思っている。そもそも、健介自身、自分がろくな人間ではないことぐらい、自分でも十分理解しているのだ。

 最近は、空手部で平和にやっているから忘れそうになるが、健介は、殺伐とした、バカしかいない世界で、ずっと生きてきたし、それを自分でも選んでいたのだ。

「ねえ、そう言えば、家族の人は?」

「両親が死んで天涯孤独の身……と言いたいんだが、まあ似たようなもんだ。どっちも命に別状のないような入院で帰ってくるたまじゃねえし、姉貴とは、正直顔を合わせたくねえ。まあ、俺が家に帰らないなんて、いつもあったことだ。誰も心配なんてしねえって」

「……って、もしかして、連絡してないの?」

「当たり前なこと言うな。トイレ以外で、この部屋から出てねえんだからな」

 ちなみに、健介は自分でトイレに行っている。正直歩くのも辛いが、そこは年頃の少年のプライドというものの方が勝ったからだ。

 しかし、田辺にはそんな少年のプライドも健介の微妙な家族のことも、田辺には関係ないようだった。

「駄目じゃない、電話番号教えて、電話しといてあげるから」

「だから気にすんなって。怪我したなんて電話する方が不気味だぜ」

 両親とも、子供を顧みないという点では、ろくな親ではないのだろうが、それに関して、健介が思うところはない。もし、親が自分にかまっていれば、こんなところにはいなかったかもしれないが、それは言っても仕方ないことだし、何より、健介は、親に対して、正の感情も負の感情もない。

 それに、と健介は思う。

 まわりから見たら、俺の人生はそんなに幸福には見られないのかもしれねえが、今の状況は、俺にとっては、今までで一番楽しいんだよな。

 ただ、それを田辺に理解しろ、というのは酷な話だし、どうせ聞きはしないのだから、さっさと電話させるのが吉かと考える。

「わかったわかった、電話番号言うからメモれ」

「うん、家……実家……どう挨拶しよう?」

「はあ? 言っとくが、多分誰もいねえぞ。最近、姉貴も家にいることが少ねえからな。ま、反対に俺がいることが多くなったから、誰もいない方が楽でいいけどな」

「誰もいないって……ご飯とかどうしてるのよ?」

「作るに決まってるだろ。そりゃ俺はマスカレイドでそれなりに稼いでるけどな。それでも、毎日外食しても平気だと思えるほどはねえし、何より、外食だと栄養が偏るだろが」

「……何か、物凄く意外」

「言われ慣れてる、気にならねえよ」

 栄養が偏ったものを食べていて、身体が作れる訳がない。それとも、マスカレイドの一部の低能な選手や観客のように、強い人間は、努力しなくとも強いとでも思っていたのだろうか?

 ……いや、田辺には、俺が強いとは思われてねえか。

 普通なら、何があっても否定するために声を張り上げる場面だが、しかし、空手部では仕方ない、と健介は思っていた。

 何せ、まずトップに坂下がいる。これは、今まで見ていても分かるように、健介をまったく相手にしていない。もう何度KOされたのか、健介だって記憶にないほどだ。

 そして、ナンバー2の池田も、強い。空手の試合のルールでは、正直健介では手も足も出ない。まあ、もし何でもあり、となれば、それなりに手はあるだろうが、それでも、さて、勝てるかどうか怪しいものだ。

 ついでに、あのいけすかないを越えて、許し難い御木本は、ただへらへら遊んでいるのを見ても分かることなのだが、許せないことに、健介よりもかなり強そうだ。

 後は、どんぐりの背比べだが、合同練習に来る他の学校の空手部の、寺町と中谷は、かなり強い。寺町には手も足も出ず、さて、中谷とはやったことがないが、練習中の動きを見る限りは、楽には勝たしてくれそうにない。

 マスカレイドでも、前に十人以上いるわけだが、それでも、空手部の位置で考えれば、マスカレイドでの方が、立場は何倍も上のような気がする。

 しかし、だからこそ、健介は自分の成長を感じれていた。

 正面から戦って、前九位を、完調ではなかったとは言え、相手は武器持ち、こちらは素手であったのに、相手にスタンガンを使わせるせるまでに追い込んだのだ。

 身体を治して、体調を整えてからマスカレイドで戦えば、今度こそ一桁台に入れるかもな。

 一桁、か。

 マスカレイドの、上位。俺が、ずっと目指していた場所。

 前までなら、狂喜乱舞していたことだが、それにあまり魅力を感じなかったことに、健介は、自分でも驚いていた。

 今は、それよりも、さっさと田辺を帰すことの方が重要だった。

 赤目が口をきいているので、普通は面会できないような時間まで残っていられるが、実際、かなり遅い時間になっている。

 夜道は、危険だからな。

「ほれ、んなことたいいから、さっさと帰れ。俺のところはともかく、お前のところの親は心配してるんじゃねえのか?」

「ああ、ちゃんと電話したから。駄目だったら、仮眠用のベットで寝るし」

 付き添い用の簡易ベットが、確かにこの部屋にはついている。

「バカ野郎、お前が良くても俺が嫌だ」

「む〜」

 健介は、そろそろ感覚を取り戻して来たのか、痛み出す、ついでに傷みがなくとも、ろくに動かない身体を起こす。

「あ、ほら、寝てないと」

 手を貸そうとした田辺の手を払うと、健介は引き出しから財布を取り出し、中から一万円を出して渡す。

「これでタクシー呼べ」

「え、ちょ、いいって」

「言ってるだろうが、お前が良くても、俺が嫌なんだよ」

 泊まっていくのはもちろん論外。しかし、そのまま歩いて帰す、という選択肢はない。今日みたいなことはそうそう起きないだろうが、警戒するに越したことはないのだ。

「何、タクシー代も全部経費で落としてやるぜ。何なら、ついでに学校の行き帰りに使ってから、領収書もらって来な」

 その方が、健介としても安心出来る。もちろん、自分が元気でも、全てカバー出来る訳ではないが、それでも、自分が手を出せない場所で、田辺に危険が迫ったら、と思うと、うかうかと入院もしていられない。

 まあ、そういうときは、坂下がどうにかしちまうんだろうけどな。

 今回は、結局自分の仕事をしきれなかった。本当なら、自分があのゲスを倒しておかねばならなかったのだ。

 健介にとっては、自分の弱さが、嫌になるほど自覚できる一日だったのだ。

「……」

 田辺は、何を考えているのか、押し黙って一万円を見たまま、手を出そうともしない。

「おい、田辺」

 それが、まるで呼び水になったかのように。

 田辺は、嫌に真剣な表情で顔を上げて。

 健介の胸に、飛び込んだ。

 

続く

 

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