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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(325)

 

「……ちっ」

 健介は、もう一度舌打ちをしたが、それには、先ほどまでの力はなかった。

「よっと」

 田辺も、健介の限界を感じたのだろう、あっさりと、反対に健介と身体を入れ替えて、健介をベットに押しつける。

 マスカレイドで十数位まで登り、完全ではないとは言え、武器も持たずに、九位のアリゲーターを追いつめたのだ。田辺程度に、あっさりと上を取られるような実力ではない。

 しかし、悪ぶるには、健介の体力は、すでに限界を超えていた。

「ほんと、あんまり無茶すると、長引くよ? まあ、あんたはバカだから仕方ないんだろうけどさ」

「俺に無茶させたのは、お前だろうが」

 田辺に、それ以上言わせない為に、健介は、すでに限界の近い身体を使ったのだ。確かに、田辺の所為だ、とも言える。

 もちろん、田辺は、それに納得などしない。健介が、すでにほとんど動けないことを見越して、じと目で睨み付ける。

「何よ、人の告白をつぶすのが男のやること?」

「……」

 男のプライドなど、クソ食らえ、と健介は思っているが、確かに、健介の行動がほめられたものではないことぐらい、健介にだって自覚はあった。

「……ったくよう、別に、男なんて俺以外にもいくらでもいるじゃねえか。空手部には……ああ、まあ男についてはあんまり良かねえが、クラスにだって他の男はいるだろ」

 いかな健介も、さすがに御木本を選べ、とは言えないが、田辺が、クラスの男子にもそれなりに人気があるのを知っている。あけすけな性格は、打てば響くような高校一年の男子には、まぶしく映るものだ。

「あら、私、何か言った?」

「うぎっ……このアマ……」

 田辺の言葉を、最後で遮ったのは健介だ。だから、田辺は口ではっきり言った訳ではない。健介の勘違いの可能性だって……まあ、さすがにないだろうが。

「私が、健介のことを好きになるのが、何かまずいの?」

 勘違いではないことを、田辺はすぐに証明したのだし。

「そりゃ……良くねえだろ。俺は、ろくなヤツじゃねえぞ?」

「知ってる」

「うぐっ……」

 返す言葉もなかった。自分で言ったのだ。否定しようもない。力づくでも、今の健介には、それをするだけの体力が残っていないし……何より。

「でも、あんたが力で女を黙らせるようなやつじゃないのは、知ってる」

 田辺に、健介は一度も手をあげたことがない。

 健介が、言葉での挑発以外で女に手を出すのは、相手が敵である場合だけだ。口は悪いから誤解されるが、暴力でどうこうなる相手を、健介は選んでいる。

「……たまたまだ。いつもてめえを殴り倒したいと思ってたよ。坂下の目があるから、手を出せなかっただけだ」

 しかし、それを認める訳には、いかない。

「でも、手を出さないんでしょ? というか、ろくなヤツじゃないのなら、自分のことろくでもないとか言わないと思うけど」

「言うさ、それが免罪符になることも多い」

 そういう男を、健介は何度も見て来た。ゲスの多い世界だ。そういうとき、健介は話し合いなど、必要としなかった。

 借りたのは、やはり暴力の力。その時点で、もう健介は歪んでいるのだ。

 そして、健介が、何より自分が歪んでいると感じるのは。自分とは、付き合わない方がいい、と思う、最大の理由は。

「俺に姉貴がいるのは、話したよな」

「え? うん、さっき聞いたけど」

「俺の親はさ、仕事が趣味のような人間なんだけどさ。それでも、俺が三歳ぐらいまでは、えらく子煩悩だったらしいんだよな」

 そのころの記憶など、まったくないので、本当なのかどうかは分からない。

「でもまあ、飽きたのか、俺が物心ついたときは、もうほとんど家には帰って来なくなってたよ」

 自分の境遇、それを話すのが、これほど恥ずかしいことだとは思わなかったが、しかし、今の田辺を説得するには、必要なことだ、と健介は、つとめて平静を装う。

「ま、それで俺がどうこうなった、てのはねえ。俺の性格が歪んでいるのは、親の影響じゃあねえ。正直、親にはあんまり思うところがねえんだ」

 反発もなし、親愛もなし。

 それはそれで、一種異常なのかもしれないが、健介は、それを気にしていない。

「問題は、姉貴の方だ。姉貴は5歳のころまでは、子煩悩の親に育てられた所為かな、愛情ってのを過度に欲しがるタイプでな」

 同じ兄弟とは言え、先に生まれた方と後に生まれた方では、境遇も違う。境遇が同じでも、一緒になるとは限らないのだ。

 そういう意味では、健介の姉は、健介よりも異常だった。

「ひとしきり親の興味がひけないか試してみた後、それが無理だと分かると、次は俺のことを標的として来てな」

 健介は、どこか自虐の笑みを浮かべてそう言いながら、続ける。

「愛情をもらえなかった反動か、姉貴は、俺に異常なほど愛情を注ぐようになってな。いや、あれは執着と言った方がいいんだろうな。生活の全部、姉に見張られたよ。今思い出しても、正直、げんなりするな」

 まあ、何とか暴行みたいなもんは、逃れることが出来たんだけどな。

 そう笑いながら言う健介だが、正直、笑えない。

 男と女とは言え、子供のころの一歳の差は大きい。

 それが、性的なものであれ肉体的なものであれ、虐待につながる可能性は、決して低くなかった。健介も、後少し遅ければ、という自覚もある。

「中学二年ぐらいだったか、いい加減、我慢の限界、というか身の危険を感じて、段々と家に近付かなくなって、不良のいっちょできあがりって訳だ」

「……それは、不幸自慢?」

「どうとらえてもらってもかまわねえよ。まあ、そういうことがあるからな」

 だからな、と健介は続ける。

「俺は、駄目なんだよ。人の情ってのが、どうも苦手なんだ。だから、空手部の中でも、一線引いてたつもりなんだけどな」

 負けた相手の舎弟になる、聞いたらギャグ漫画のような行動を取ったのも、健介の苦し紛れの策だった。

 葵のような、真っ直ぐな強さに、普通の少年のように憧れたが、それをちゃんと正面から口に出すことは出来ない。自分の情であれ、それがプラスのものであれば、気持ち悪くなるのだ。

 だが、舎弟ならば、情は薄い。だから、はたから見れば、バカな行いとしか取れない態度で、葵の舎弟になった。

 姐御、と呼んだのも、自分に対する皮肉のようなものだ。自分を狂わせた、そして、最後まで付き合ってやらなかった、姉と自分に対する。

「何の因果か、坂下に倒されちまって、そっからは、階段を駆け上るような気分だったぜ」

 階段を、転げ落ちるような気持ちでは、なかったのだ。

 望んでいる訳ではないのに、息が切れて、歩みを止めたいのに、前に、はっきり自分の意志で進んでいる、矛盾した気持ち。

「ああ、確かに、俺は坂下が好きなんだろう。でもな、やっぱりどっか歪んでるんだよ」

 田辺が失恋した瞬間、それを、健介はあっさりと流した。

「あいつの、見放したようにすら見える、俺を信頼しているような態度が、俺には心地良いんだ。な、歪んでるだろ?」

 マゾの気はねえつもりなんだけどな、と健介は、せせら笑う。

 親は、自分をゆがめなかった。しかし、姉は、はっきり、自分をゆがめた。

 それにうらみの一つでも言ってやりたい気持ちは、正直、ない。

 健介は、良くも悪くも、自分の責任、というものを分かっている。正直、分かりすぎている。自分で責任を取らないと気が済まない、そういう歪みが、確かにある。

「だから、こんな変態やめとけ。お前は表面的にはサドだけどな、実際のところ、真性のマゾだぜ。わざわざ、俺に付き合ってたんだからよ」

 ほれ、タクシーで帰りな、と健介は、財布ごと田辺に投げて渡す。

 田辺は、それをとっさに手で受け取る。

 と見せかけて。

 バシッ

「ぐおっ!!」

 投げてよこした財布を、田辺は綺麗に健介の顔に向かって、平手で打ち返した。バレー部の顧問がいれば、その場でスカウトしそうな容赦の無さだ。

「て、てめえ、俺はマゾじゃねえんだよ!!」

「じゃあ、自分が不幸だとか言ってヒロイン気取りでもするつもり? この少女趣味!!」

「ち、てめえ、それはいくら何でもひでえだろ! 前々から思ってたが、お前、俺をなめてるだろう。いいだろ、ここで決着つけてやるよ、どうせ壊れた身体だ、坂下に折檻されるのも一興だ!!」

「坂下先輩に手なんか出させないわよ!!」

「ああ、てことは、今の俺の状況ならお前でも殺れるってことか? いいだろ、相手になってやるよ。俺をなめるなよ、悪役なんて名前、ちと格好つけすぎか、とか思ってたところで痛いところ突きやがって!」

「何よ、図星じゃないの! そんなもの中二で卒業しときなさいよ!!」

「意味わかんねえよ!」

「分からないのは私の方!!」

「いーや、俺だ!」

 ……末期症状の患者が痛みに叫んでも、音が聞こえないように作られた特別製の部屋に入れれたのは、この状況を予測してなのか、それとも、もっと下品な想像のもとなのか。

 少なくとも、今の健介の状況で、エッチなことをすると、それこそ命に関わりそうなのだが、その点どう考えていたのだろうか?

「わかんないわよ、あんたの都合なんて!」

「分かれよ!!」

「分かるわけないでしょ!! 空手部で、あんたが楽しそうにしてたのを分かってないのは、あんたの方じゃない!!」

 健介は、黙った。

「……分かってるに決まってるだろ」

 健介は、歪んでいる、と自分では思っている。

 それでも、ああ、確かに認めない訳にはいかないほど、空手部の生活は、健介にとって、楽しくて仕方なかった。自分のようなバカが、こんなに普通の、楽しい時間を過ごせるとは思っていなかったほどに。

 ああ、よーくわかってんだよ。

「あんたが、私と楽しそうにしてたの、分かるなって、言うの?」

 真剣な、田辺の瞳が、健介をまっすぐに貫く。

「……ちっ」

 そんなの、言うまでもねえ。ああ、わかってる、気付かない方がどうかしてるよ。

 田辺と一緒にいる時間は、楽しかった。坂下といるときのような、上から包まれるものではない、対等の好意。

 劇的という意味では、葵や坂下に勝てるものではないが、そんなものではなくとも、結局、心が動かされるときは一緒なのだ。

 引きずられていくのが、劇的ではない、というのならばだが。

 心が折れた、という表現を使うのならば、心が折れたのは、健介の方だ。

 勝った、というのならば、田辺の方が、勝った。

「私の、こと……」

 負けた、と健介は、はっきりと認めた。勝てない、と思うことはあっても、負けた、などと、一度も思ったことなどないのに。

 いつか、勝てると、いつだって信じていたのに。

「……ああ、俺、お前のこと、好きだよ」

 だから、もし、二人がケンカ別れでも、自然消滅でも、悲しい別れでもいい。

 何かのはずみで、離れたとしても、健介は、一生、その顔を忘れないだろう。

「……聞こえなかったんだけど」

 そのときの、田辺の意地の悪そうな顔を。

 一刻も、脳裏に焼き付いたそれを忘れるべく、健介は、田辺を抱きしめて。

 傷みに、不覚にも、意識が飛んだ。

 

続く

 

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