「それって凄くない?」
「チェーンソーの試合の動画って、全然出回らないじゃん」
チームの面々は、そう言って一斉に画面をのぞき込む。
「ほら、あんたら、邪魔だ邪魔」
しっしと、ゼロはたまったチームの人間を追い払う。そして、改めて坂下に向き直る。
「私がつてで手に入れた、かなり貴重な動画だ」
坂下の知ったことではないが、チェーンソーの動画は、確かに手に入り難い。普通に上位の試合の動画には、まわってくる数に限りがある上に、チェーンソーの試合は、とくに公開され難いのだ。
だからこそ、チケットが非常に手に入り難い。健介が、二枚手に入れたのだって、本当を言えば、奇跡に近いのだ。
ただ、健介の場合、その奇跡を、有効に使った、とは言い難いのだが。
ついでに、坂下としても、ゼロが手をつくしてくれたのだろう、その動画に、それほど興味がなかった。
「ゼロ、ごめんけど、私あんまり興味ないんだ」
言葉を濁すのも微妙だったので、坂下はそうはっきり言った。
ただ、興味がない、というのは、嘘だ。それが、単に自分とは関係ない、ただ見るだけの試合ならば、坂下は喜んで見ていただろう。マスカレイドの一位の試合だ、一方的であろうと、接戦であろうと、面白くない訳がない。
だが、今は、純粋に試合を見るだけにはとどまらない。
坂下の頭にあるチェーンソーは、一度顔合わせのように襲われたときのものしかない。試合を見に行ってもないし、そもそも、坂下はあまりマスカレイドの試合を見ていない。
マスカレイドの試合を見た回数が少ないのは、あくまでかかわった時間が少ないからだが、少なくとも、自分が戦うとなれば、坂下は相手を、どうしてもそういう目で見てしまう。
攻め方は? 技のタイミングは? どうやられたら、どう対処する? 苦手なものは、得意なものは、身体を痛めていないか、注意しなければならないポイントは何か。
見るべき部分はいくらでもある。その情報の一つで、大きく状況が変わるかもしれないのだ。
結局、強い弱いなど、相対的なものであり、相手を上回れるのなら、どんなに弱くとも問題ないのだ。
どんなスポーツにも言えることだが、本当に頭が悪い人間は、スポーツでは勝てない。ルールや駆け引きが複雑になればなるほど、最後にものを言うのは頭で。
その中でも、相手の情報というものは、値千金の価値がある。
やっている者にしかわからない高度な駆け引きのある格闘技で、相手の情報があるというのは、かなり有利なのだ。
だからこそ、坂下は、あまり相手の情報を入れたくない。
「試合が始まってから体験した方が、より楽しめるだろ?」
相手の実力を測るのには、それこそ対峙したあの一度だけで十分だ。
もちろん勝つ気ではあるが、負けるかもしれない、と思う相手だった。だったら、それ以上の情報など、必要あるだろうか?
坂下が、あまり大会で良い結果を残せなかったのは、綾香が邪魔だったということもあるが、相手をあまり調べなかったという点も大きい。
まあ、今の坂下ならば、例え相手のことをまったく知らなかったとしても、まったく問題ない、と思えるのだが。
これも、浩之や葵、それに、マスカレイドで倒して来た選手達のおかげかもしれない。
気分を悪くしたのか、ゼロの肩がぷるぷると震えている。
まあ、そりゃ親切心で動画持って来たのに、こう言われたらゼロでも怒るか。
悪いことをしたとは思うが、坂下としてはいらないものはいらないのだ。
「……甘い」
「え?」
「甘い!!」
ゼロは、突然叫びだした。いくらレディースの集まりで、人が視線を向けないとは言え、それでも注目が集まる。
「相手は当然研究して来てるに決まってるだろ! だいたい、相手のことを調べるのも戦いの一つだってのに、それをランと言いヨシエと言い! こちとら格闘マニアだ、本当の格闘技じゃ勝てやしないが、こっちには情報があるんだ!! 情報をなめるな!!」
ゼロはそう一気にまくしたててから、息が切れたのか、ぜいぜいと息を荒くする。
「正直私らには、試合の動画見ても、単に凄いとしか思えないんだけど」
ゼロの言い分を、あっさりとした言葉で否定するレイカを、ゼロがじろりと睨む。
「マニアでも選手でもないミーハーなレイカは黙ってろ」
「うわっ、仮にもリーダーに大してその態度、これだからマニアは」
しかし、言いたいことは、坂下には伝わっていた。
坂下が、素手で戦うと同じように、ゼロは、情報という武器で戦っているのだ。資質の問題もあるし、信念の問題もあるだろう。
「……とにかく、私の問題はいいんだ」
ゼロは、レイカとのじゃれ合いを切って、真面目な顔をして坂下に言う。
「ヨシエ、頼むから、これは見ておいてくれ。あんたの、相手のことを知らなくてもいい、という気持ちは尊重したいけど、これは、やばい。一度見たからって言って対策が練れるものじゃないと思うが、知らないよりは、絶対ましだから」
「……そこまで言うのなら、見てもいいけど」
自分で自分のことを格闘マニアと言い、確かに見る目だけならば、それなりのものを持っているゼロがそこまで言うのだ。それなりに理由があるのだろう、と坂下は考えた。
単純に、試合を見る分には、面白いだろうという気持ちもあった。
「チェーンソー対イチモンジって、どこの男ファンをつるつもりなのかって組み合わせだけどね」
「どっちも本物だよ」
レイカのやはり軽いつっこみに、ゼロは冷静に答えると、動画を起動させた。
実際、動画が始まってしまえば、途中で口を挟む者もいないほど、皆試合に集中しだした。
例え、イチモンジが男のファンを意識したキャラを作っていたとしても、試合が始まってしまえば関係ない。
ゼロが言ったように、どちらも、本物だった。武器を手足のように扱う。すでに人に向けて使っていいレベルは、遥かに超えている。
試合は膠着状態、いや、攻め手を防がれたという意味で言えばイチモンジが不利で、ダメージの点ではチェーンソーが不利。
もちろん、そこにたどり着くまでの戦いも、決して一言で表していいような軽いものではなかった。
だが、ここは、序曲だった。
「来るよ」
ゼロの言葉と同時に、チェーンソーがゆるりと動いた。
その動きだけで、ざわりっ、と坂下の中の何かが警告を上げた。
指の間を通された鎖が、背中をまわされて、もう片方の手に届く。
「私の、この格闘マニアの常識を覆した、どうしようもない技だよ」
ギンッ!!!!
背中をまわされて張られた鎖。
予測しても読んでもどうしようもない、情報という武器を、完全に無意味なものに変える、知覚できない、スローでも見えない、常識外の一撃。
だから、ゼロはそれを坂下に教えたかった。
知ってもどうにかなるものではないと分かっていても、言わずにはおれなかった。
そもそも、知る、と言っても、それを目にすることは、ない。
気付いたときには、イチモンジの木刀は、チェーンソーの一撃にはね飛ばされていた。
「ヨシエ、あんたなら、この技、どうにかしてくれると、信じてるよ」
情報という武器を、完膚なきまでに無意味にした相手に対する、それがゼロの出来る、唯一の抵抗だったのだ。
続く