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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(328)

 

 ガッゴッガッ!!

 久しぶりに、気合いの入った私の蹴りが、巻き藁に連続で当たる。脚に伝わるのは、傷みと、それを越える、突き抜けるような衝撃。

 硬い巻き藁に、ほぼ全力の蹴りを入れても、私の脚は壊れていない。痛い練習を、何度も繰り返して来た結果だった。

「……っつう……」

 とは言え、だからと言って痛くなくなった訳ではない私は、傷みに涙目になりながら、脚を押さえてうずくまる。

「ラン、無茶し過ぎ」

「……お、押忍」

 ヨシエさんの容赦ないつっこみに、私は何とかという感じで答える。

 実際、壊れていない、というのは自覚出来ても、壊れた方がましじゃないのか、というほど痛い。それはそうだ。その上に行くまでの練習を、私は築いて来ていない。

 しかし、それでもまったく壊れた様子がないところを見ると、自分なりに進歩はしているようだった。

 ただ、これ以上は無理だ。痛いということは、身体に負担がかかっているということだ。無闇にやれば、今度は本当に脚を壊しかねない。

「久しぶりに、気合い入ってるみたいだね」

「……押忍」

 ヨシエさんに、隠し事が通じるはずもない。それでなくとも、振り返ってみると、最近の私には、気合いが入っていなかった。無闇に入れ込んでいるのか、気が抜けているか。よく、その間に怪我をしなかったものである。

「まあ、けっこういい蹴りが出せるようになって来たじゃないか。ちょっと健介に先は越されてるけど、それでも、ランもやっと一皮むけたんじゃないかい?」

「……」

 私としては、何とも答えようがない。

 健介が一皮むけた、というのは分からないでもない。その場は見ていないが、あのアリゲーター相手に一歩も引かなかったのだ。昔の健介よりも、一回りも二回りも強くなっていると思う。もちろん、アリゲーターと戦ったからではない、ヨシエさんとの練習が、実を結んだだけの話だ。

 だが、私は、一皮向けられただろうか?

 その自覚はないし、多分、まだまだうじうじとしているように、自分では感じていた。

「……そう言えば、他の人間はどうしたんですか?」

 答えようもなかったので、私は話をそらす。ヨシエさんは、少しまゆをひそめたが、別にそれ以上何を言う訳でもなく、私のそらした話に付き合ってくれた。

「健介は、しばらく入院だよ。田辺も、特別に当分は健介のところ行かせておくことにした。今の田辺に、真面目に練習しろ、という方が無茶だしね」

「お見舞いとかは……」

「ラン、あんたお邪魔虫になりたいかい?」

「……いいえ」

 今朝学校で会った田辺さんの、幸せそうなこと。思い出しただけでも、ごちそうさまと言いたくなって来る。

 田辺さんは、言及こそ避けていたが、あれは間違いなく、昨日二人の間で何かあった、と見ていい。あれほどのうかれ具合を見ると、下手をすれば行くところまで行ってしまったかもしれない。

 健介は、まあ思ったよりも悪いやつではないし、田辺さんの意志を尊重するのなら、邪魔をするのも、確かにやぼというものだ。

 友達の幸せは、見ている分には、こちらも幸せな気分になると同時に、少し、寂しい。

 何せ、こちらは、今戦いの真っ最中なのだ。一応のハッピーエンドを迎えた田辺さんを、うらやましいと思うのは、止められるものではない。

「で、御木本は体力不足だと思ったから、今ランニングに行かしてる」

「……はあ」

 走るのは重要だ、と言われて、私も自分のトレーニングに入れているし、その効果は正直、よく分からないが、御木本とランニング、というのは、あまりに合わない組み合わせだ。

「それは御木本……先輩には酷な話ですね」

 強くなりたいという欲求が少ない、とは思わないが、さぼりの常習犯だった御木本が、最近部活に熱心なのは、ヨシエさんと一緒にいたいからだ。

 この巻き藁の置かれた体育館裏にも、最近はよく出没するようになった。非常にうっとおしい存在である。

 私としては、あんなのが近くをちょろちょろしているのを見逃してやる、ヨシエさんの心の広さが一番不思議だ。

「ま、色恋沙汰じゃなくて、もうちょっと部活に一生懸命になって欲しいもんだよ」

 空手一筋で男に免疫がない、という外見をしているヨシエさんだが、御木本を簡単に手玉に取るのは、何かしら空手を応用しているのでは、というのが私の最近の持論だ。

 しかし、その言葉は、私にも痛い話だ。

「それはそれとして」

 思い出したように、ヨシエさんは、何の変化もなく。

「その様子から見ると、覚悟、決まったようだね?」

 何でもないですよ、という態度で、私の確信を、ぐさりと突いて来た。

 それは、ヨシエさんの突きにも似た鋭さがあり、やはり空手を応用しているのでは、という疑惑は、私の中で大きくなる。

 さすがに、こうなると話をそらす訳にもいかないので、私はため息をついて、しごく軽く言えるように努めた。

「まったく、覚悟なんて出来てません」

 その言葉に、嘘はない。正直、覚悟など、まったくつていない。

 したと言えば、こっちに行こうか、と思って、少し歩を進めただけだ。横にそれる道がないから、覚悟を決めて進んでいるように見えるだけで、本当のところは、脇道にそれたいし、それどころか、後ろを向いて戦略的撤退に入りたい。

 単純に、逃げ場が後ろにもないから、前に逃げているようなものなのだ。それを覚悟、などと言われても、気恥ずかしいだけだ。

「ははっ」

 ヨシエさんは、私のどんな顔を見たのか、楽しそうに笑う。

 気持ちよい、笑いだった。確かに、これを見てしまえば、例えその強さがなくても、御木本程度なら簡単に落とせそうだ。これで男に大して興味がない、と言うのだから、世の中はうまく出来ていない。私に、その強さが駄目なら、その笑顔ぐらい分けてくれてもばちは当たらないだろうに。

「いいさ、ちゃんと覚悟させてもらえることなんて現実じゃまれなんだ。せめて、少しでも、自分の意志があれば十分じゃないか」

 ……ああ、何て、ヨシエさんは格好良いのだろうか。私が男なら、本気で惚れているところだった。

 厳しくて、優しくて、格好良い。私も、生まれ変わるなら、ヨシエさんみたいになりたい、と本気で思った。

 でも、今の私には、そのどれも、足りない。足りない部分は、足すことなんてかなわない。

 それが、覚悟の、決め手だった。

「ヨシエさん、少し聞きたい話が」

「何だい?」

「強い相手と戦いたい、というのは、ヨシエさんや浩之先輩を襲う理由に、なると思いますか? いえ、言い方が間違ってますね。そんな理由、理由として、成り立ちますか?」

 初鹿さんが答えてくれた、嘘とも、本当ともつかない言葉。

 私には、理解できない。いや、端ぐらいなら分かるが、私は、あくまで、勝ちたいのだ。自分が強くなる、その為の練習であり、勝ったという結果の為の試合だ。

 もし、私がそんなどこか呪われたような思いに囚われていたのなら、ヨシエさんや浩之先輩に、教えを請うことなんて出来なかった。

 壊れるまで、戦い続けていただろう。

「まあ、なるから」

 しかし、ヨシエさんは、その呪いを、あっさりと認めた。

「私なんかは、その傾向が強い」

「……」

 言われてみれば、確かにそうかもしれない。その為に、わざわざマスカレイドに参戦したぐらいだ。

「まあ、この手の話は、あのバカが一番かな。次に、私や綾香みたいなのが来る」

 あのバカ……それを聞いて私の頭に浮かんだ人間で、ほぼ間違いなさそうだ。何せ、浩之先輩を倒したあの男は、もうどっから見ても、バカだから。

「知り合いでもなくて、私や藤田にケンカを売るってのなら、そりゃあのバカレベルだよ。綾香は、その点に関しては、少しおとなしいからね」

 もっとも、あれは向こうから手を出させる状況ぐらい、簡単に作るけど、とヨシエさんは肩をすくめる。

「で、それがどうしたっての?」

「チェーンソーから聞いた、ヨシエさんや浩之先輩、来栖川綾香を襲った理由、だそうです」

「へえ」

 というか、さすがはヨシエさん。不意打ちのように言ったのに、まるで動じていない。チェーンソーの名前に、過敏に反応してもいいだろうに。

「それで」

 ヨシエさんは、目を細めて、私に尋ねる。そう、それは何も凄んでも、怒ってもいないのに、怖いという言葉以外では、言い表せない。

「ランは、私に何が言いたいの?」

 私は、ごくり、とつばを飲み込んだ。

 ヨシエさんは、からかうように、本気で私を殺すつもりかのように、そっと、私の肩に手を置いて、それで、私は動けなくなった。

 でも。

 確かに怖い、が、この次に待っているであろうことに比べれば、ヨシエさんのおふざけは、まだまだ平和だった。

 それに、これが、私の取りうる、唯一のけじめなのだ。

「今回、私は、ヨシエさんを応援しません」

 真っ直ぐに、私はヨシエさんの、優しげな目を見た。

 応援する、という点においては、至極当然のように、自分の好きな方を、そして、あえて言えば、自分の得になるように。だから、今回は、私が応援すべきは、ヨシエさんではない。

「私は、チェーンソーを応援します」

 それが、空手部との決別を意味していたとしても。

 

続く

 

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