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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(330)

 

「綾香、相変わらずだよな」

「ん、何?」

 浩之のため息に、綾香は、わかりません、という笑顔で答える。

 言いたいことは、もちろんよく分かっている。浩之は、正体も隠さずに、観客の中にいて、大丈夫なのか、と言っているのだ。

 当然、オールオーケーだ。

 ついこの間、マスカレイドの二位を打破した綾香が歩くと、観客達が脇に避ける。サインをもらおうとなど思う猛者はいない。

 それも当たり前か、今の綾香に声をかけることが出来るのは、ここでは浩之と葵ぐらいだ。それ以外は、一緒に来ているランだって声をかけられない。

 と、綾香は思っていたのだが。

「来栖川……先輩、少しは自重して下さい。観客が怖がっています」

「ん……? ああ、気にしない気にしない。そんなこと言うと、顔を隠していない私、歩けなくなるし」

「……」

 そういう意味じゃねえ、その今放っている凶悪な雰囲気どうにかしろって意味だよ。

 ランのじと目を、綾香は受け流して、当然聞いたりしない。

 いや、正直、綾香は驚いていた。ランが、積極的に綾香に話しかけてくるとは、綾香自身も予想していなかったのだ。

 そういう意味では、この子には驚かされたけど……チェーンソーの話もあるし。

 綾香は、チェーンソーの、つまり初鹿のセリフを思い出す。

 「ランちゃんが傷付くのも、私の望むところではないんですよ」と、いかにも取り繕ったような言葉が、どうにもうさんくさかった。

 そういうセリフを聞くときは、たいがい嘘だ、と綾香が決めつけるのは、考えてみると、だいたい良いこと言っているときの自分が嘘だから、という理由なのだが。

 しかし、初鹿のその見識には賛成だった。

 ランは、勝手に傷付く。大元の原因は綾香にあるが、綾香が何をしようと、傷付いて行くのだ。それは、浩之を好きになった時点で仕方のない話だ。

 私が、下手をすれば浩之を殺してしまうかもしれないのは、間違った話じゃないしね。

 ちらり、と浩之に視線を向けると、何故か浩之は間に葵を挟んでいた。

「……綾香、お前今、危険なこと考えたろう」

 確信ありなのか、浩之は確信を突いてくる。

「べっつに〜。浩之にやましいことでもあるんじゃないの?」

「俺が平和に生きるのに、何でやましいことになる!?」

 しごくもっともな話である。

 が、決して、浩之は平和に暮らしている、とは言い難い。しかも、その戦いに、わざわざ自分で首を突っ込むタイプだ。

 ここまで生き死にには敏感な浩之が、そう簡単に殺されるとも思えないけど。

 それでも、綾香はやるだろう。浩之の必死の抵抗すら意味のないものにして、その身体を貫くだけの実力と覚悟が、綾香には簡単に手が届くところにある。

 葵は、あまりにも綾香に傾倒し過ぎた所為か、それを怖いと思っていないふしがある。まあ、綾香さんだから、と納得するという、ある意味危険な状態だ。

 坂下は、むしろ楽しんでいる様子すらある。まあ、それが決して自分に向けられないことを知っているからかもしれない。

 しかし、ランは、どうだろう?

 この、生きているだけで危険を孕む、この私に、耐えられる?

「まあ、気を利かせる綾香さんなんて、綾香さんじゃないですよ」

 にこにことしながら、殺気を感じなかった訳ではないだろうに、綾香に向かって、ある意味死亡フラグにも似たセリフを言う。

 やっぱこの人凄え、という目でランが葵を見る。

 やば、こう見てると、ランって子、表情で何考えているか分かってけっこう面白い。

「……ヨシエさんにも、似たような部分がありますね」

 綾香の異常を、さらに異常な人間を持って来て打ち消す。ランは、空気を読むようだった。むしろ、ここにいる人間が空気を読まずに自分で走りすぎる、という部分が問題なのだろうが。

「そういう部分も、自分に自信があるからこそなんですよね。私は、まだまだその域には達していないんですよ」

 それに達さないのは、非常に良いことのように思うのだが、葵のどこか真っ直ぐでも、一般的に見るとずれた感覚では、そうなのだろう。

 ランは、やはり不機嫌に見えても、非常に分かり易い表情で、この人頭の中にかびでもはえているのだろうか、と葵のことを見ている。

 それにしても、この子、化けたわね。

 今度は、気付かせることなくランを見ながら、綾香はそんな感想を持っていた。

 浩之と坂下以外には、かなり遠慮した、というか距離を取って接していたように見えたのだが、その壁が、かなり消えている。

 いや、壁、というよりも、恐怖、だろうか?

 マスカレイドという異常な場所に身を置くことは、綾香の近くにいることに比べれば、異常さとしては大したことなどない。

 その恐怖を越えるのは、綾香がその部分を見せないか、もとからその場所に身を置いたもののみ。

 浩之は、例外中の例外だ。まあ、単に鈍感だったから、という意見もないでもないが。

 さて、そんな中に、ランが身を置けているのは、まさに、覚悟の現れとしか言い様がないだろう。

 見たところ、すでにチェーンソーの正体には気付いていると思うけど。多分、チェーンソーの方から、明かしたんだろうけど。

 それで出来る覚悟とは、何か考えれば、おのずと答えは出て来る。

 ……私を、どっちかの手で、倒そうって言う訳ね?

 こうやって仲良くしているように見せているのは、カモフラージュの為。いや、カモフラージュの意味すらない。

 すでに、問題はランの手かは離れたのだ。

 つまり、ランは、もうその問題を、自分で解くことは、出来ない。

 葵にも見える、人に力を借りている部分。それを、綾香は悪いことだとは言わない。

 私よりも弱い人間が立ち上がろうとすれば、それは助けも必要になるかもしれない。

 ランも、葵と同じようなものだ。自分一人で駄目だから、他人に力を借りる。

 それでいい。人はそれでいいのだ。それが人の作り出した英知の一つであり、それで繁栄して来たのだ。

 どんなに辛いことがあっても、どんなに悲しかろうとも、一人で立ち上がる必要はない。

 ただ、私にはそうする力があっただけ。

 浩之との勝負など、冗長にもほどがある。すでに、それは乗り越えたもので、感傷にひたることはあれども、それが今の綾香を動かすことなど、ないのだ。

 しかし、それでも。

 綾香にだって、分かる。

 助けてもらうことが、嬉しいことだってことを。それがまったくの無駄であっても、私は、浩之が気を遣ってくれたことが、とても嬉しかったから。

 だから、私は許そう。ランが、自分で戦うことを止めて、あきらめたからこそ、ここに立てる、というのなら、それを許そう。

 でも、何でか、そんなことはないと、思うのよね。

 綾香は、自分の形にならなかった考えを、まあいいや、という気持ちで切り捨てた。

 ま、結果はどうなるにしろ、私は私、楽しませてもらうわ。

 この試合を。

 

続く

 

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