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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(332)

 

「凄い人気だな!」

「ヨシエさんですから!!」

 浩之もランも、歓声にかき消されないように、声を張り上げて会話する、普通の声では、この中ではかき消されて、横の相手にも聞こえないだろう。

 白い空手着に、腕にはウレタンナックル。足にはバンテージこそまかれているものの、素足。

 華を欲しがるマスカレイドの中において、珍しいほど地味な格好だった。いや、その点について言えば、おかしくはない。彼女は、マスカレイドの選手ではないのだ。

 それに、格好の地味さなど、まったく問題にならないのは、この歓声を聞けば分かるはずだ。

 マスカレイドの人気選手さえしのぐ、惜しみない歓声。

 いっそすがすがしささえ感じる、圧倒的な「恐怖」が、坂下の両拳に宿っている。それが、格好以上に、坂下に華を持たせるのだ。

 そして、観客達は、その格好に、さらに驚かされる。

 このマスカレイドにおいて、武器を持たない選手は、それなりの数がいる。しかし、防具すら持たずに、武器持ちの選手と戦おう、などという選手はいないのだ。

 坂下の身体を守る服も身につけているものも、何の変哲もない、防具には使えないようなものばかりだ。それどころか、靴すら履いていないのだ。

 普通よりも、無防備とすら取れるその格好に、観客達の歓声には、驚きも含まれていた。

 坂下が倒した、カリュウだって、ギザギザと戦うときは、腕に防具を仕込んでおいた。でなければ、防御すれば一方的にダメージを受けることになるからだ。

 マスカレイドでは、それは武器持ちとは判断されない。攻撃部位さえ素手であれば、装備していると考えないのだ。

 それなのに、坂下は防具をつけていない。しかも、相手は並どころではない、マスカレイドにおいて、今まで一度とすら負けたことのない、本当の意味で、マスカレイド最強のチェーンソーなのだ。

 武器を持つ有利不利の話ではなく、何も考えずに、まずは防具をつけるべきのところ。

 しかし、だからこそ、観客は感じずにはおれないのだ。坂下から発せられる、本物の覚悟というものを。

 決してあなどってなどいない。武器持ちに対して、それでも本当の意味で、素手で戦う、戦える、とする、その異常さ。

 観客達は、その狂気に巻き込まれるように、歓声をより一層大きくする。

 しかし、坂下は、一人その狂気に感心がないように、観客達に一瞥もくれることなく、ゆっくり、真っ直ぐに試合場に向かって花道を進んでいた。

 狂気に飲み込まれていても、やはり恐怖は感じるのだろう。金網の間から手を伸ばせば、手が届くだろうという場所を坂下が歩いているのに、誰一人として、そこに手を伸ばそうとはしない。

 まるで、その手を、彼女がかみ切ってしまう、そう思っているかのように。

 派手なパフォーマンスもなく、一言も何か言うでもない、ただ、坂下は普通に歩いて、普通に試合場に入り、そこで、やっとまわりを見渡した。

 さっきまでの平静が、まるで嘘のように、坂下はまわりの観客に向けて、軽く手をあげて答える。まさか、こういうサービスが、彼女からあるとは思っていなかった観客達は、一様に興奮し、歓声をさらに上げる。

 観客が思っている通り、綾香でもあるまいし、坂下は、観客に愛想をふりまくようなことは、普通しない。

 しかし、今の彼女はどうしたのだろうか、観客に愛想をふりまくついでに、固まっていた浩之達に目で合図する余裕すら見せた。

「ふーん、好恵も、だいぶこういうところに慣れて来たのね」

「いや、そういう問題か?」

 浩之は、むしろそんな坂下に、不安すら感じていた。

 坂下の持ち味は、どこか姐御肌然としたところから、真っ直ぐ、迫力ある行動をすることにある。だから、その男前ぶりに、女子に人気が高いのだ。

 こんな、観客に一種こびるような行動をしよう、などと思うタイプでは、決してない。

 いつもと違うことは、罪悪ではない。しかし、ことスポーツにおいては、普通と違うということは、つまり調子を落としているということだ。

 いつも通りの力を発揮できれば、という言葉は、つまり、いつも通りの力を出せない人間が多いことを物語っている。

 本番に弱かった葵などは、良い例だ。

 しかし、葵とは反対に、本番に強い人間もいる。プレッシャーを感じるときに限って、明かに練習中よりも素晴らしい動きをする人間も、もちろんいる。

 しかし、そこに行くために、もちろん十分な実力は兼ね備えての話であり、実際のところ、自分の実力を上回るものではない。

 坂下は、まず確実に、本番に強いタイプだ。日頃から強いのだが、例えどれほどプレッシャーがかかる場面であっても、いつも通り、いや、それ以上の実力を出す。

 浩之も、かなりそのタイプなのだが、それを知らないのは、本人ぐらいのものだ。

 とにもかくにも、その坂下が、いつもの様子ではない、というのは、かなりまずいことのように浩之は感じるのだ。

 浩之は、まわりの人間の反応をうかがう。おかしいと思っているのは、自分だけなのか、と考えたからだ。。

 綾香は、まったく心配している様子がない、それは心情的に、坂下が不利だろうがいつもの実力を発揮できなかろうが気にしない部分が全面に出ている所為なのだろうが、葵もランも、少し不安そうな顔をしていた。

 余裕が、むしろ有りすぎる。いつもの坂下と違う、というその異常は、試合前に余裕がある、という普通なら喜ぶべき状態なのに、不安を覚えさせる。

 坂下が、いつもと違うのも、分からないでもなかった。

 チェーンソーは、本当に強いのだ。それこそ、綾香と同じか、それ以上かもしれない、と浩之が感じるほどに。

 そんな相手を前に、いかな坂下と言え、いつもの冷静な態度をずっと保つ、というのは、難しいだろう。

 それが、試合を待ち遠しく思っているのか、それとも、あまりありえない話だが、チェーンソーと戦うことに、恐怖を感じているのか、それは分からない。

 だが、一抹の不安を感じるのだ。

 浩之が今、思い出すだけでも、寒気を覚えるような、そんな強さを持ったチェーンソーと戦うことに。

 不安を感じない人間が、この世の中に、いるだろうか?

 ただ、今回、この部分に関しては、浩之の予想は、大きく外れる。

 チェーンソーという、あまりにも大きな相手に、浩之の判断が狂ったとしても、致し方ないことなのだ。

 少なくとも、浩之の近くで、普通に楽しそうにしている綾香は、チェーンソー相手でも、不安を感じたりは、しないだろう。

 ただ、ただこう思うだけだ。

 戦って。

 ほぼ決定事項のように、勝つ、と。

 

続く

 

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