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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(333)

 

 余裕すら見せる坂下が、観客に一通り愛想をふりまいた後で、赤目は、また声を張り上げた。

「対するはっ!!」

 ざわっ、とその一言で、観客達の関心が、一瞬にして集まる。

「マスカレイドに参戦して、今だ負けなし!!」

 試合数で言えば、一桁台になって戦った回数が、十を遥かに超えるのに、それでも、今だ一度も負けていない、嘘偽りない、無敗。

「この一言に尽きるでしょう、マスカレイド、最強と!!!!」

 おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!

 端的で、そして正しい、それを表すのに、一番相応しい言葉。ここにいる者は、誰しもがそれを知っているのだ。

「神をも引き裂く鎖の刃を持つ、マスカレイド、一位、チェーンソー!!!!」

 その瞬間。

 試合場は、一瞬で静かになった。

 控え室から、花道に出てきたチェーンソーの放った、一瞬の威圧によって。

 普通なら、何も感じないであろう、ずぶの素人である観客すらも黙らせる、はっきりとした、そして怖ろしいまでのプレッシャーに、誰もが声を無くした。

 浩之や葵などは、肌に刺さるようなそのプレッシャーを、普通の人間よりも、より激しく感じていた。

 物理的効果など、あるわけがない。物理法則を越えようかという動きをする人間はいても、あくまで、物理的な力で動いている。

 しかし、それは、風となって、観客達の中を突き抜けたように、浩之は感じた。

 身体は、迷うことはなかった。背筋に悪寒が走って、危険をマックスまで感じた身体は、素早く逃避行動に移ろうとしていた。

 葵ですら、一瞬、構えを取りそうになったのだ。自分が狙われているのではない、とちゃんと理解できていても、これなのだ。

 しかし、その中で、一人。

 いや、二人。

 見えない風にふかれたかのように、一瞬、綾香の髪がなびいた。

 そこから見えた綾香は、ぺろり、と妖艶に、自分の唇をなめた。目が、完全にできあがっていた。

 これから、自分がチェーンソーと戦う、と言われないのが、むしろおかしい、と言わんばかりに、今度は、綾香から、殺気がチェーンソーに向かって放たれる。

 あっという間に、本能で危険を察知した観客達が、今までもあまり近くにはいなかったのに、余計に綾香達から離れる。

 そりゃ、ゆっくり見れていいけどよ。

 何とか、自分を取り戻した浩之は、綾香の放たれる殺気をスルーしながら、ため息をついた。葵などは、すでに綾香の殺気には慣れているのか、あまり慣れていない方、チェーンソーの方に、ずっと神経を集中させている。

「一位と聞いていたので、凄いとは思っていましたけど……本当に、凄いですね」

 葵の持論は、戦ってみないと、強さなどわからないなのだが、あそこまであからさまにプレッシャーを見せられれば、納得せざるを得まい。

「綾香さんと好恵さん以外に、女性であんなプレッシャーを出せる人がいるとは、思っていませんでした」

 そう、ヒートアップした観客達を、何のパフォーマンスどころか、声一つあげずに黙らせる、その非常識な人間が、マスカレイド一位であり、何と、女性である、というのだ。

 もっとも、細身の男が胸に詰め物をしていれば分からない、とはさすがに言えない。男と女では、骨格に大きく違いがあるのだ。

 言葉で説明することは出来ないが、葵などは、格闘技というものの中で、男と女の骨格の違いを、感覚的に理解している。だから、チェーンソーが女性であるのは、間違いないと判断していた。

 こういうプレッシャーはともかく、実力的には、その綾香と坂下に列ぶ、少なくとも坂下は倒したことがある葵だが、やはり女性という不利を、甘く見てはいない。

 そして、決定的なものだとは、思っていなかった。

 男だろうが、女だろうが、強い者が勝つ。そうやって、綾香は何人も倒して来た。女相手に手加減してやったという強がりを、誰にも言わせないほどに。

 男だろうが女だろうが関係なし、という元凶を作っている怪物、綾香は、にこやかに、そんな言葉を、流した。

「まあ、いいんじゃない? とりあえず、好恵に言って、変わってもらおうと思うんだけど」

 完全に、スイッチが入っていた。試合を見に来ているぐらいだから、一応のところは、先に坂下が一位に当たるのを許したはずなのだが、その綾香の我慢をぶちこわすかのように、チェーンソーは、誰これかまわずに挑発したのだ。

「駄目だろ」

「えー、もったいない」

 坂下の後、戦えばいいだろ、と浩之は一瞬言いそうになって、言葉を止める。

 実際のところ、浩之としては、もちろん見てみたい、という興味はあるが、しかし、出来ることなら、チェーンソーと綾香は、戦って欲しくない、と思った。

 勝敗がどちらになるにしろ、お互いに、無傷では済まない。綾香に殺されそうになったマスカレッドの例があるように、下手に実力が拮抗していると、綾香のたがも外れてしまうかもしれないのだ。

 綾香が傷付くのも嫌だが、綾香が殺人者になるのも嫌だ。だから、止めるレフェリーのいないこの試合形式に、綾香はもう出るべきではない、と浩之は思うのだ。

 止めたところで、聞いてくれるわけはない。

 力尽くで止めるには、あまりにも綾香は強すぎるのだ。もし、本気で今から綾香が乱入しようとすれば、止められるものではない。

 戦いたくてうずうずしている綾香を止めたのは、予想していない方向からの視線だった。

 それを受けても、まったく平然としていた、もう一人の人間だった。

 坂下が、試合場に向かってゆっくりと歩いてくるチェーンソーには、まったく目を向けずに、じと目で、綾香の方を睨んでいる。

 目が明かに言っていた。これは私の試合で、あんたがでしゃばるな、と。

「な、何よ?」

 静かだったから、坂下には綾香の不満たらたらの声が聞こえたかもしれない。しかし、それで坂下が引き下がる訳がない。

 綾香も、極上の相手を前にしているとは言え、それが自分の相手でないことは理解している。坂下の、まるでおやつを取るな、という平和そうなじと目に、我に戻ったようだった。

「もう、冗談よ、冗談。仕方ないから、今回は好恵にゆずるわよ」

 当たり前だ、ゆずるとか言うな、とまるでランほどに目が物を言ってから、安心したのか、やっと坂下の目は、向かって来る相手に、向けられた。

 とたん、先ほどまで観客達の動きを止めていたプレッシャーが、かき消えた。

 観客達には、何が起こったのか、理解できなかったのだろう。それでも、ぽつぽつと、歓声を取り戻し出す。

 一度戻れば、後は簡単だった。すぐに、煩いほどの歓声に、試合場は包まれた。

 破邪。

 とでも言おうか。坂下の一睨みが、チェーンソーの放ったプレッシャーを、打ち壊したのだ。

 それに気付いたのは、見ている中でも、ごく一部。しかし、その二人の異常性は、観客の誰しもが感じただろう。

 異常は、異常同士、お互いに、相手に不足なし、と言ったところだ。

 やっと動き出した進行に、文句をつけるように、綾香小さく、本当に小さく、舌打ちをした。

 誰に言うでもなく、綾香はつぶやく。それは、聞くでもなく、でも聞こえてしまった浩之の耳の奥に、響いた。

「ほんと、もったいない」

 綾香の、本音らしい言葉が、浩之の耳からは、なかなか離れなかった。

 

続く

 

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