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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(335)

 

「Masquerade…Dance(踊れ)!!」

 試合開始の合図があったにも関わらず、お互いに、まったく動こうとしない。

 しかし、それすら関係ないのか、観客達は喉が割れんばかりに歓声を上げている。まるで、二人を後ろから後押しするように。

 だが、試合場にいるのは、その程度の後押しで、動いたり止まったりするような二人では。なかった。

 相手を探っているのか、動いた方が負けるのか、少なくとも、お互いの身体は、緊張しているようにはまったく見えなかった。

 ごく自然体で対峙する二人は、確かに、達人と言われても納得しそうな、そんな雰囲気を醸し出していた。

 その中で、先に動いたのは、チェーンソーの方だった。

 ジャラッ、と自分の腕に巻いていた鎖が、まるで手品でも見るようにほどけ、その先が地面に落ちる。

 腕をそれ以上動かすでもなく、スローモーションでも見えそうに軽やかに、チェーンソーは後ろに、飛んだ。

 動作がゆっくりしているのに、その後退のスピードは、可視するにも難しいものだった。しかし、確かに大きく二歩、チェーンソーは後ろに飛び。

 前から後ろに、自分の左脇腹に突き上げるように、右腕が動き、それに巻き込まれるように、身体全体がそこで回転、後ろにあった金網を鎖が下斜めから引き裂くとほぼ同時に、裏拳のように振られた左腕の鎖が、上から切り落とすように、金網を打ち抜く。

 ガンッ!!

 金網は、響くような音も立てずに、あっさりと引き裂かれた。

 浩之の、人よりもかなり優れているはずの動体視力で、外から見ているというのに、それですら動きが追えないのでは、と思うほどのスピード。

 ごくりっ、と浩之は、つばを飲み込む。

 ……何だ、あれは?

 金網も、そんなにやわなものではない。それを、たったの一撃で、十字に引き裂く。しかも、とがったものではなく、鈍器とも言える鎖で、だ。

 短い時間、チェーンソーの相手をして、冗談ではないほど強いのは分かっていたが、しかし、ここまで桁外れだとは、正直思っていなかった。

 これが、人の身体なら、どうなっていただろうか?

 一撃で、肉はちぎれ、骨は砕けるだろう。

 今まで、チェーンソーと戦って、死人が出た、というのは聞いたことがないが、おそらくは、とどめに関する技に関して言えば、チェーンソーが手加減しているとしか思えなかった。

 でなければ、何人も殺してしまう、そんな動きだった。

 何より怖いのは。

 これだけの攻撃を、単なるデモンストレーションとして放ったところにあった。

 うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!

 観客達ですら初めて見る破壊力に、テンションがさらにヒートアップする。このままいけば、倒れる人間もかなり出てくるかもしれない。

 これで、まだ試合は始まったばかりで、お互いに手も合わせていないというのだから。

 これが、武器を持った人間が、綾香と同じレベルに、達した結果、か。

 正直、嫌な想像しか出来なかった。あれを受ければ、浩之だろうが坂下だろうが綾香だろうが、一撃で負ける。一撃で、死ぬ。

 素手ですら、人を殺傷せしめることが出来るのだ。ここまで達した武器使いが、人を殺さないで済む訳がないのだ。

 いや、まだ手加減できる実力差があればいい。

 しかし、実力が拮抗して来たとき、相手の身を心配して、威力を落とすような余裕が、持てるだろうか?

 坂下ならば、チェーンソーに余裕を持たせないほどの戦いが出来る、それは保証してもよかった。

 余裕を持たせないほどの戦いが、出来てしまう。

 止めるべきなのでは、と浩之は、坂下が聞けば激怒しそうなことを考えていた。

 今なら、間に合うかもしれない。少なくとも、坂下は五体満足のままだ。必要あれば、綾香の力を借りてもいい。坂下と綾香の二人がかりならば、例えチェーンソーであろうとも、問題にならない、ならないはずだ。

 しかし、大丈夫、と言い切れない自分に、浩之は恐怖していた。

 下手をすれば、止めようと入った人間ごと、チェーンソーは、引き裂く。

 だが、甘かった。浩之は、甘すぎた。

「へえ〜」

 綾香は、何故か余裕しゃくしゃくで、いや、綾香に関して言えば、チェーンソー相手でも、無傷で勝つ自信を持っているのかもしれないが、それにしたって、余裕が有りすぎた。

「チェーンソーのやつ、なかなか言うじゃない」

「……は?」

 浩之は、綾香の言葉の意味が分からず、間抜けな声を出す。

「あれね、金網を背にしても、まったく無意味だ、というのを好恵に言いたかったのよ。教えなければ、それだけで一つ、チャンスが作れるってのにね」

 ……綾香は、何を言っているんだ?

 いや、理論的には分かる。チェーンソーの武器、鎖は、下手に物に当たると、それに巻き付いてしまう。だから、金網を背にして戦うのは、悪くない手だ。

 だが、チェーンソーは、後ろ向きで放った攻撃で、金網を引き裂いた。それはつまり、一番スピードの乗っている先端で、金網を捉えた、ということだ。その後の、連続の左でも、まるで同じように、距離を調節していた。

 おそらくは、その気になれば、数センチ、いや、ミリ単位で距離を変えることが出来るのかもしれない。それは、打撃精度としては、かなり凄いことだが。

 あの威力を、見せたかったわけではない、というのに、浩之は驚愕していた。綾香が言うからには、おそらくはそれで正しい。

 ただ、妥当性としては、その威力が、明かにおかしい。

 その異様な光景を、坂下は、反対にぴくりとも動かずに、見ていた。まるで、相手を待っているかのようだった。

 いや、実際、待っていたのだろう。何をするのかと、表情には出ていなかったが、心躍らせて待っていたはずだ。

 ……そんあ訳あるか、あんな異常な光景を楽しいと思うなんて、見ているだけでいい観客ぐらいだ。

 浩之は、自分の考えに突っ込んだ。だが、おそらくは、そうなのだろう。

 いいものを見させてもらった、とでも言うように、やっと、坂下が動き出した。

 と思ったら、坂下も、背を向けて、金網にむかって歩き出す。

 おそらく、背中は隙だらけで、あの距離があろうとも、チェーンソーほどの選手になれば一瞬であるのだろうに、チェーンソーの方も、それを律儀に見ている。

 坂下も、金網を引き裂いて見せるつもりか?

 綾香が言うように、チェーンソーは、金網を背後にすることの無意味を言いたかったのだろうし、坂下がそれを理解していない、とは思えなかった。

 こういう人間は、こういうところだけは、まるでテレパシーのように共感しているのだ。

 坂下は、無造作に右拳を脇に構える。しごく基本の、正拳中断突きの構えだった。

 その前にあるのは、チェーンソーの身体ではなく、金網だけなのだが。

 おもむろに、坂下の拳が突き出され。

 ゴウンッ!!!

 そのスピードは、浩之の目にも、またもや写らなかった。

 

続く

 

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