作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(342)

 

 チェーンソーは、つまりは今鎖を振るっているチェーンソーではなく、木を切り倒す方の道具としてのチェーンソーのことだが、実は、あまり刃は鋭くない。

 しかし、それが高速で回転することによって、木を切り倒すような切断力を生むのだ。そこに必要なのは、鋭さではなく、頑丈さと、スピードだ。

 チェーンソーの、この場合は鎖を振るっているチェーンソーの方のことだが、それは確かに、道具としてのチェーンソーに似ていた。

 手首に固定された鎖を、手にかけて、そこを中心に、回転させる。

 さらに、そこから腕を動かすことによって、球にも似た地場は作られた。

 いとも簡単に、入れば、即ズタズタにされる、死の領域が、その場に作られたのだ。

 遠心力のかかった鎖は、細かなチェーンソーの助力によって、勢いが衰えることを知らずに回転する。

 丁度、ギザギザの使っていたトンファーが近いだろうか。鎖も、回転で力を得る武器なのだ。

 しかし、ギザギザとは明かに違う。それは、時間だ。

 いつまで経っても、スピードが衰えない。それどころか、スピードが増しているようにすら感じれた。

 今までは、平気で戦っていた坂下が、一歩、距離を取った。

「坂下が……下がった?」

 気押された訳ではないだろう、しかし、チェーンソー相手に距離を取るというのは、それは自殺にも似ている。どんなに危険であっても、距離を開けては駄目なのだ。何故なら、チェーンソーの方が、明かにリーチが長いのだ。詰めないと、話にならない。

 それを好機と見て取ったのか、チェーンソーが、前に出る。距離を詰めるのではない、坂下に攻撃をするための前進だった。

 今までは、それでも坂下は、カウンターを入れようとしたり、ぎりぎりで距離を測ったりと、それなりに対応出来ていた。

 しかし、今回は違った、何も考えずに、チェーンソーの前進に合わせて、斜め後ろに逃げていた。

 円、というか八角形を描く試合場の中で、真後ろに下がれば、金網に追い込まれてしまう。だから、後ろに逃げるときは、斜め後ろに逃げるのは常套手段だ。

 もちろん、そのぐらいの合理、坂下が分からない訳はないだろうが、しかし、それを坂下が使うのを見るのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 仕方なく防御に回ることは、坂下でもある。しかし、こうもあっさりと、後ろに下がる姿は、かなり珍しいのではないだろうか?

 逃げる坂下を、チェーンソーは余裕を持って追いかけていた。わざわざ、腕を伸ばしたりなどせずに、自分の鎖を振るう範囲に、坂下を飲み込もう、という動きだ。

 チェーンソーの鎖を、ああもなめらかに回転させるその技術は確かに凄いのだろうが、しかし、格好はともかく、技自体は、むしろ今までの中で、一番地味なのではないだろうか?

 一瞬で距離を詰め、射程に入ったと思った瞬間に、いや、入る前から予測されて打ち出される、まるで戦闘機同時の戦いのような、張りつめた攻防から。

 今の攻撃は、ゆっくりと、火力と装甲にものを言わせて詰め寄る、地上戦のように感じる。

 いかに早かろうが、すでに動いている以上、軌道はそんなに極端には変わらない。腕を動かせば、もちろん軌道は変わるが、しかし、鎖自体に慣性の法則が働いている以上、極端に急激な変化はしないし、下手な動きをすれば、せっかく勢いの乗っている鎖のスピードを殺しかねない。

 坂下なら、十分に対処出来てもよさそうなものなのだが、しかし、坂下は下がるだけで、反撃らしい反撃をしない。

「あんなの、余裕……とまでは言わないが、坂下なら、どうにか出来るんじゃないのか?」

 今までの、坂下の動きを見ていれば、そう思ってしまうのも、致し方ない話だ。

「……いえ、あれは、辛いですよ」

 しかし、葵には、チェーンソーの攻撃が、坂下にとって辛いのが理解できた。何も言わないが、綾香にも分かっているだろう。

 そうこうしている内に、チェーンソーは、ずいっ、と一瞬スピードを上げて距離を詰めた。何気ない、一瞬の動きが、坂下の身体を、その射程に入れた。

 ピピッ!!

 その鎖の中に巻き込まれた坂下の道着が、一撃で破けた。

 いや、それは一撃ではなかった。高速で回転している鎖が、二発、ぎりぎりで避けた坂下の道着を巻き込んだのだ。

 オオオオオオオォォォォッ!!

 さて、その感嘆にも似た歓声は、前がはだけて色気のないシャツが見えたものなのか、その威力に対してのものなのか。まあ、多分後者なのだろう。坂下のシャツ程度で喜ぶような危篤な人間は少ない。あのちらちら覗くのがいいという変態も、やはり少ないだろう。

 硬いものは、その硬度よりも強い力がかかれば、いとも簡単に壊れる。しかし、道着のような布は、これで案外丈夫なのだ。

 それが、一撃で破ける、というのは、かなりの威力を持っているということだ。

 ただ、この場合、問題なのは、威力ではない。両方から挟むように繰り出された鎖の威力は、当然上がってはいるが、その技術は今更言うまでもないのだ。

 先ほど、坂下が一瞬逃げ遅れたのは、坂下の意識の間に入ったからだ。綾香もたまにやる。真正面から戦っているのに、どこにも隙などなかったはずなのに、クリーンヒットを奪うときは、だいたいこの技術が使われている。

 人間の意識は、ずっと張りつめておくことなど出来るものではない。張りつめていないのならば、その瞬間は、隙だということだ。

 どうしても出来る意識の隙間、そこに綾香は、拳をねじ込む。そうやって、真正面から戦っても、自分だけ有利に戦うことが出来るのだ。

 それを坂下は、扱えるはずだ。リーチの差があって、どうしても後手に回っているから見せていないが、できないことはないだろう、と綾香は思っていた。

 しかし、チェーンソーも、それを出来ることと。

 チェーンソー自身は、攻撃のタイミングを測らなくてもいい、ということだ。

 坂下の意識の間、それを狙うだけでもかなり難しいが、それが出来るのならば、後は前進するだけでいい。攻撃のことは、何も考えないでいい。

 前に出れば、それで攻撃になるのだ。

 鎖を、身体のまわりで回転させている。高速で回転されるそれには、実際のところ、あまり隙がない。そして、それを止める手だてが、坂下にはないのだ。

 武器持ちの選手ならば、無理矢理武器で止めるという手もある。スピードはあるとは言っても、あれでは重さはそうでもないだろう。

 いや、飛び道具でもいい。中に何か入れてしまえば、それは崩れる。

 だが、素手でそれを行うのは、さすがに無理がある。下手すれば、突っ込んだ腕なり脚なりがズタズタにされるだろう。

 もちろん、どうにか出来る手だても、あるはある。

 しかし、それを、坂下が良しとするかどうか。

 綾香は、する。良しとするに決まっている。出費的には、けっこう大きくはなるが、綾香にとってみれば、大したことはない。

 しかし、坂下は、するだろうか?

 綾香は、黙って、それを見ていた。

 そう、綾香にとって、それは、坂下の試金石となる、大事な場面なのだ。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む