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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(343)

 

 チェーンソーが、そう速いスピードではないが、坂下との距離を、簡単に見える動作で詰める。それに、坂下は慌てているように、少しぎこちなく、距離を取る。

 二人ほどのレベルから言えば、稚拙な攻防とも言えなくない。何せ、片方が降り続ける武器から、片方が逃げているだけなのだから。

 しかし、その中では、想像以上に、レベルの高い攻防が行われているのだ。

 坂下は、まず自分からは手が出せない。武器持ちではない坂下には、それを止める手だてはないのだ。

 反対に、チェーンソーは何も考える必要がない。鎖を回転させている限り、その中は安全なのだ。自分は安全圏から、坂下を追い込めばいい。

 しかし、チェーンソーの攻撃は、それだけにとどまらない。一見、何も考えずに距離をつめているように見えるが、その一つ一つで、坂下の意識の隙を狙って距離を詰めているのだ。

 だから、坂下の動きは、どうしてもほんの一瞬、遅れる。今のところ、最初の一回に、道着を巻き込まれただけで、何とか難を逃れているが、それはチェーンソーがあまりスピードを上げずに近付いて来ているからに過ぎない。

 チェーンソーが高度なのは、相手の意識を隙をつけるところだが、それと今のチェーンソーの鎖の回転は、かなり相性が良い。チェーンソーは、坂下の隙が見えたら、何も考えずに前に出ればいいだけなのだ。そうすれば、それが直に攻撃になり、防御になる。

 武器を持たない相手に対する戦い方として、よく考えられている。綾香だって、ああなってしまえば、ジリ貧だ。どうにかする手だてが、ない。

 だからこそ、それは試金石だった。

 好恵は、このピンチを、乗り切れるかしら?

 綾香が、マスカレッドに手首を掴まれ、もう少しで詰み、という部分まで追い込まれたことは、記憶に新しい。

 今は、あのときと、状況はかなり似ている。決定的ではないが、少しずつ少しずつ、時間が経てば経つほど、状況は悪化するのだ。

 マスカレッドのあれと違って、相手には疲れる可能性もあるが、先に根をあげるのは、坂下になるだろう。防御も出来ている、攻撃は考えなくてもいいという状況のチェーンソーと、隙をいいように突かれることしか出来ない坂下とでは、疲労が違う。

 ましてや、相手はあのチェーンソー。十分二十分、あの鎖を回し続けても、それで速度が落ちるとは思えない。

 思えないし、そもそも、この状況が、十分も二十分も続くとは、坂下は考えていない。

 やられるか、打破するか。

 綾香が思うのは、この二つの結末だけだ。ひよってまだ試合が続く、などというのは、考えられない。

 ……いや、試合は、もしかしたら、続いているかもしれない。

 しかし、そのときには、この状況は打破されているはずであり。

 そのときになっても、坂下はまだ負けていない、ということだ。

 反撃する手だてのない、はっきり言って詰んでいる状態だが、綾香は、マスカレッドのときには、それを覆した。

 もちろん、相手が仕掛けを使って、自分の腕を捉えた、という、不利ではあるが、しかし、だからこそ相手にも危険のある状況を、最大限に利用した、というのもある。

 が、だ。

 仕掛けだけではない、その実力も今まで戦ったマスカレイドの選手の中で一番だったと綾香が感じているマスカレッドを、何の抵抗も許さず連続で地面に投げつけることが、他の人間に出来る訳ではないのだから、それは、綾香の力でねじ伏せた結果、と言えよう。

 坂下も、さて、この状況、力でねじ伏せるか。それとも、それ以外のもので、打破するのか。

 方法は、ある。綾香は、それにすでに気付いていた。というか、今のチェーンソーの攻撃のからくりにも、すでに大方気付いている。

 高度な攻防、と言ったのは、何も、チェーンソーが坂下の意識の間を突いているからだけで言っているのではないのだ。

 ただ、武器を振り回しているだけにも見えるチェーンソーだが、それにも、かなりの技術を使っているのだ。

 隙を作らず、スピードを落とさず、ただ延々と鎖を回転させ続けることが、どれほど難しいことか。

 さらに、それだけにはとどまらない。同じ軌道を降り続ければ、それを坂下に読み切られる可能性も否定できなかった。だから、微妙に軌道を変えながら回転させているのだ。

 ついでに言えば、ここに、あまり速くはないとは言え、前進が入る。それだけで、回転の軸はぶれるのだ。それをずっと維持することの難しさは、見ていては分からないだろうが、綾香には十分に理解できていた。

 それでも、チェーンソーは、打破されるか、打破するまでは、それを止めないだろう。なかなか仕留められないからと言って、手段を変えるには、坂下はあまりにも危険過ぎる。

 自分の神経もすり減るのを、チェーンソーは覚悟しているのだろう。そもそも、この二人の攻防に、神経のすり減らない攻防など、混ざる余地などないのだから。

 それでもこの状況は、チェーンソーに有利なのだ。

 坂下が、この状況を打破する方法は、実に簡単なことだった。

 道着を、脱げばいいのだ。

 スピードが上がるとか、邪魔なものがなくなるとか、そういうものではない。ただ単純に、それをチェーンソーに投げる為だ。

 鎖の動きは、道着一つで止まる。少なくとも、その回転は止められる。そして、そうなれば、一瞬以上の時間、チェーンソーの鎖は攻撃能力を失うのだ。

 道着によって、鎖を絡め取る。武器を持たない坂下にとっては、かなり使う場所を熟考しなければならない方法だ。

 おそらくは、チャンスは一度。

 しかし、そのチャンスだけで言えば、鎖は完全に沈黙する。

 金網をあっさりと切り裂き、先ほど、道着も巻き込まれて破れたのを、見ていないのか、という言葉は、半分本当で、半分嘘だ。

 金網への攻撃は、チェーンソーの体勢は万全で、全力で打てた。そして、先ほど道着を破ったのだって、片方ではない、両方から挟み込むようにして、力をうまく利用してのことだ。

 いつだって、あの威力が出せる訳がないのだ。

 不十分な体勢から放たれる鎖では、道着を貫通するまでは、いかない。そして、一度からまれば、しばらく、その鎖は使えないどころか、チェーンソーの邪魔となる。

 ましてや、今はずっと回転させている状態。それは、決して手を突っ込んで無傷でいられる威力ではないが、道着を引き裂けるほどの威力が、出る訳がないのだ。

 道着を投げつけて、それを封じて攻める。シンプルで、最大の効果を出せる戦法だろう。

 もちろん、それにチェーンソーは気付いているだろう。

 チェーンソーは、いつばれるか、戦々恐々としながら待っている、ように、綾香にも見える。しかし、それを綾香は、額面通りに受け取らない。

 おそらくは、それも、罠。

 いや、チェーンソーにとっても、それは賭けなのかもしれないが、しかし、道着を投げつけられる、という、一見不利な状況利用して。

 チェーンソーは、勝つつもりだ。不利な状況を、反対に利用した綾香は、同じものとして、それを感じ取っていたのだ。

 

続く

 

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