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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(350)

 

 チェーンソーの意表を突く前進で、坂下は距離をつめた。

 しかし、それすら、チェーンソーの鎖のリーチを潰すほどの効果はなかった。見ている者で、見えている者は全員、チェーンソーの鎖の方が、先に坂下を捉える、と思っただろう。

 しかし、そのチェーンソーの動きは、不可解であり、しかも急激だった。

 脚がまだ完全ではないだろうに、それでも突っ込んで来た坂下を捉えるべく放たれた、このまま行けば、坂下の身体を、完璧に捉える、と思えた横薙ぎの一撃。

 その軌道が、坂下を捉える前に、下に修正された。

 中途半端な動きだった。腕を下に動かしたからと言って、鎖が同じ方向に動くものではない。慣性の法則に従いながらも、下に向けられた力を受けて、斜めに、しかも勢いが殺された状態で動くことになるのだ。

 スピードもパワーも殺された鎖を、坂下は横に飛んで避けていた。一寸の見切りを行うには、あまりにも距離を詰めすぎていたからだ。

 チェーンソーの鎖は、そのまま地面に当たり、勢いを殺される。それを見逃す坂下ではなかった。

 が、その場から逃げるのは、それでも坂下の方になった。残されたもう一方の鎖が、坂下に向かって振り下ろされたのだ。先ほどとは違って、距離が少し開いていたので避けることが出来たが、反撃は出来なかった。

 だが、それは坂下にも言えることだった。避けれないほど距離が縮まっていれば、相手の攻撃を無視して前に詰め、先に攻撃を当てることだって出来ただろう。

 先ほどから、リーチのある蹴りは出しているが、拳はチェーンソーの身体に当たっていない。あまり深くに入れていない証拠だ。

 だから、坂下は、拳を当てることを狙ったのだが、当たるよりも一瞬早く、チェーンソーはそれに気付いてしまったようだった。

 それが、チェーンソーの不可解な動きの正体だ。

 不発に終わったのは、チェーンソーの方ではない、坂下の技の方だったのだ。

 懐に入り込むほどの隙が出来るなどとは、坂下は思わなかった。チェーンソーの反応の良さを見ていれば分かる。隙を突いて、意表を突いてどうこう、というのは、まず不可能だ。チェーンソーの意識の隙と、チェーンソーの鎖を比べると、鎖のリーチの方が明かに長い。

 全部が全部、とまでは言わないまでも、そのリーチ差を埋める、というのは、かなり難しい。

 だが、埋めることは出来なくとも、縮めることは、可能だった。そして、それだけで、坂下には十分だった。

 鎖分のリーチさえ縮めることが出来れば、それで問題ない。そこまで近づければ、坂下には、十分な拳がある。

 坂下は、チェーンソーの胴体や頭を狙わなかった。狙ったのは、手、だ。

 繰り出されるチェーンソーの鎖のスピードは、驚嘆に値するものだ。鎖の先端に行けば行くほど、スピードは上がるだろう。

 そして、そのスピードを生み出す腕も、当然ながら、かなりのスピードがつく。

 そこに、もし、のが正面からぶつかったらどうなるだろうか?

 ものが、チェーンソーの腕よりも硬くなければ、当たったものが壊れるだろう。

 ならば、チェーンソーの腕よりも、硬いものがぶつかれば?

 そして、そのぶつかった場所が、一番スピードのつく、手の先ならば?

 防具をしている意味などない。衝撃を逃がそうが関係ない。限界を超え、手は、壊れるだろう。ましてや、相手もスピードがあるのだ。

 坂下の拳なら、不可能ではない。

 高速で繰り出されるチェーンソーの手に、自分の拳を当てることは、届く距離ならば不可能ではない。

 アリゲーターのときのように、固まっていない手首を壊す、などという悠長なことは言わない。真正面から、破壊するつもりだった。

 しかし、せいぜいクロスカウンターぐらいにしか見えない、しかも届かないはずの拳を、チェーンソーは、避けた。

 軌道のずれた鎖は、とたんに力を失うのに、それすら関係ないと言わんばかりに。

 実際、あのまま行けば、なるほど、坂下の拳は、チェーンソーの手を捉えることは出来ただろうが、しかし、鎖自身はそれでは止まらない。変な方向にベクトルが変化しない限り、その勢いは、増えないまでも、減じないまま、坂下に当たっていただろう。

 そのときに、どちらがより大きなダメージを受けるか、チェーンソーが避けたのが良い例だ。坂下も、そうだと思う。

 もし、それでチェーンソーの方が有利ならば、チェーンソーは迷わずに鎖を繰り出して来ただろう。だが、そうはならなかった。少なくとも、坂下の拳なら、自分の手が壊れる、防具も何も意味を成さない、と判断したということだ。

 反対に、そのとっさなのに冷静な判断で、坂下は必殺の一撃を避けられるはめになった。後のチェーンソーの攻撃など、お茶濁しの攻撃だったが、一気に詰め寄りたい坂下を牽制するには十分で、それだけでいい、とチェーンソーにも自覚があったのだろう。

 ここで、勝負を決する手を出す必要はない、と。

 何故なら、坂下の、おそらくはチェーンソー相手、というか武器持ち相手には、一番危険であろう技が、これで見えてしまったのだ。

 一度は、アリゲーター戦で見せているとは言え、実際に使われれば、印象が違う。そして、分かったはずだ。その一撃は、勝負を決する力がある、と。

 これで、そう簡単には使えなくなったか。

 苦々しい気持ちで、坂下は距離を取って構えていた。今のところ、無茶な前進には意味がない、そう思えば、回復するのを待つぐらいの柔軟さを、ちゃんと坂下は持っていた。

 というより、無茶のように見えても、それはちゃんと相手を倒すための方法の一つに過ぎないのだ。倒す為に意味がないと思えば、やらないだけの話。

 一度見せれば、試合中に十分対処して来るだろう。今坂下が対峙している相手は、そういうレベルだ。

 坂下だって、試合早々にチェーンソーの鎖を大ざっぱに見切っていた。お互い、見切られたところで、それを技の一つとして使う分には、そう問題もないので、どちらが不利になった、ということはない。

 しかし、あれを避けるか。

 避けられること自体は、もうどうしようもない。それだけの反射神経と技術を、相手が持っていただけのことだ。

 だが、さらにそこから、相手の力量を測ることも出来る。

 予測は、されていなかったはずだ。何かある、と思われていても仕方ないが、少なくとも、振られた鎖には、必殺の勢いがあった。

 必殺と思って出した攻撃をつぶして、回避に動けるだけの、力量、か。

 にっ、と坂下は下からなめるようにチェーンソーを不敵な笑みで睨み付ける。

 やっぱり、どうしてどうして。いるところにはいるものだ。

 坂下の目は、その力量を、おかしい、と判断した。不可能だ、と脳が悲鳴をあげて訴えてくるようにすら感じる。無謀だ、相手は人じゃない、とも。

 なればこそ。

 坂下は、足下にからみつくようなもの、人はそれを恐怖と呼ぶ、を、心地よいとすら感じていた。

 止められる訳がない。

 何故なら、その評価は、坂下が今まで戦った中で、今の今まで、ただ一人にしか下さなかった結論だからだ。

 その理由によって。

 坂下にとってみれば、それを感じて、血がたぎらない方が、どうかしているのだ。

 

続く

 

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