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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(351)

 

 私は、ヨシエさんの拳が、チェーンソーの手を捉えきれなかったのを、ほっとするような、しかし残念なような、複雑な気分で見ていた。

 あれを防がれたら、いくらヨシエさんでも、簡単に攻められないだろう。二人の間で、決定的に差のあるリーチを、あれは相殺する可能性を秘めていたのだから。

 それはいいことのはずなのだ。私は、初鹿さんの、いや、チェーンソーが勝つことに賭けている。ヨシエさんが不利になるのは、いいことなのだ。

 それでも、どうしてもヨシエさんの不利には反応してしまうし、チェーンソーを押していると応援してしまう。

 自分でも、仕方ないことだとは思うのだ。

 ここで、ヨシエさんが勝とうとチェーンソーが勝とうと、私には、本当に何も関係ないのだ。どちらが勝とうと、私の益になる訳でもなければ、邪魔になるなる訳でもない。

 それでも、私は、チェーンソーを応援する、と言った手前、チェーンソーの方を応援しなければ、と思うのだが。

 ここまでは、ヨシエさん有利で、進んでいる?

 いや、受けている回数は多いものの、チェーンソーは防具もあるし、急所は打たれていない。ヨシエさんの蹴りを受ければ、普通なら悶絶物だろうけれど、あの防具と、おそらくはダメージを殺すように動いているはずで、完璧な直撃はないはずだ。

 反対に、ヨシエさんの受けた一撃は大きい。回避にフル稼働しなければならない脚に鎖を受けたのは、厳しいはずだ。

 私は、どちらが有利、とも判断をつけられなかった。

 片方が押していれば、もっとはっきりと応援する方を決められるのだが、それも出来ない。いや、決めているだけならば、チェーンソーの方を応援するつもりなのだ。

 それも、あっさりと歪んでしまいそうな、自分の意志の弱さには、呆れかえるばかりだが、しかし、それでも自分である以上は、付き合って行かなければならないのだろう。

 そう、今は試合に集中すべきだ。いらないことを考えても、いいことなど一つもない。問題を先送りにしていると言われれば反論出来ないが、それだって、仕方のないことなのだ。

 現在、試合場の二人は、お互い回復を待っているのか、距離を取ったまま動こうとしない。しかし、それはただ、ダメージの所為だけではないだろう。

 ヨシエさんは、確かにダメージの回復を待っているだけかもしれない。だいたい、いつだってヨシエさんの方から攻めるのは不利なのだ。それを、ヨシエさんは躊躇なくやって、それでもそれなりの成果を出して来る。

 ここで前に出ずらいのは、チェーンソーの方だろう。あまり遠いと、ヨシエさんは後ろや斜め後ろに逃げるし、見切られて反撃される可能性もある。両腕での攻撃すら、ヨシエさんならどうにかしてしまうのでは、と感じているだろう。

 下手な攻撃は、むしろ逆効果だし、有効であるはずの攻撃すら、そう簡単には入れさせてもらえない。

 お互いがお互い、そのことをよく分かったはずだ。

 しかし、ヨシエさんには、それでも躊躇がない。一瞬の判断は即答全問正解、というのは無理があっても、まず攻める、という考えが念頭にある以上、迷いはないように見える。

 だが、チェーンソーは、そうではない。押して引いて、横に縦に、驚異的な実力があるにもかかわらず、そこからさらに最善の手を打とうとする。

 それでも、ヨシエさんを捉まえるのは、難しいのだ。

 チェーンソーとしては、ヨシエさんを深く入れて、逃げられない状態にするか、出来れば、金網まで追いつめて、後ろに逃げることの出来ないようにしたいだろう。

 金網に追いつめる、というのは、なかなか難しいだろう。相手の動きを制御する、というのは、高度な戦いならたまに見られるが、その点で言えば、ヨシエさんは試合巧者だ。簡単に追いつめられるような失敗はすまい。

 そもそも、この試合場は八角形をしているので、追いつめるのには向いていないのだ。円を描いて逃げるのに、適した試合場とすら言える。

 自分が金網に追いつめられたら終わりだというのは、ヨシエさんは当然分かっているだろうから、細心の注意を払っているはずだ。

 と言うより、そもそも、そこまでなるほど、ヨシエさんが逃げるとは思えない。連続で攻撃する以外に、ヨシエさんを追いつめることは出来ないが、いくらチェーンソーだって、連続で技を繰り出していれば隙が出来るし、出来ないように注意を払っても、それで威力の落ちた攻撃をヨシエさんにはじかれる危険性すら出て来る。

 それに比べれば、懐に入れて叩く、というのは、まだ現実可能だろう。ヨシエさんとしては望むところだろうから、攻撃を遅くすれば、勝手にヨシエさんの方から来てくれるからだ。

 しかし、それも、やはり難しい部分がある。チェーンソーに、それが出来るのか、という問題だ。

 逃げられないほどに深く、となると、ヨシエさんの拳が、手足に届く可能性が増えて来るのだ。そうでなくとも、蹴りは届く可能性はかなり高い。

 蹴りだけならば、そう連打出来るものではないので、撃ち合いでチェーンソーの方に分があるのだろうが、ヨシエさんの拳に手を打たれたら、それこそ致命傷になる。ヨシエさんが金網に追い込まれないようにするのと同じレベルで、チェーンソーはそれを警戒しなければならないのに、懐に入れてしまえば、その危険性は格段に上がる。

 ヨシエさんの拳は、空を切った。それ自体は、チェーンソーの能力が、ヨシエさんの不意打ちを上回った結果なのだが。

 避けられてさえ、その拳は、ちゃんと威力を発揮した、ということだ。

 まるで、こうなることを狙って予測していたかのように、ヨシエさんは絶妙のタイミングで、チェーンソーの手を狙った。

 試合運びがうまい、というレベルなのだろうか? 私には、予知能力があるようにしか思えない。それほどの、絶妙なタイミングだ。

 これで、チェーンソーは、下手にヨシエさんを懐に入れることが出来なくなった。

 チャンスは減るが、危険は少なくなる。

 ……いや、それはおかしくないか?

 私は、すぐに違和感を感じた。

 ヨシエさんに限って、安全の為に、そんな策を考えるだろうか?

 何か、違うと思った。ヨシエさんならば、危険を買っても、それをチャンスにつなげるはずなのだ。

 そういう意味で考えれば、その答えも、簡単に出て来た。

 ヨシエさんは、やはり攻めて、勝つためにやっているのだ。

 なるほど、確かに、チェーンソーがわざとヨシエさんを懐に入れることはなくなるかもしれない。

 だが、それは直に、チェーンソーの躊躇となって現れるはずだ。

 そのとき、最初から躊躇しないヨシエさんとの間に、差が生まれる。結局、あのレベルの選手の意志を固めさせることが、一番危険だというのを分かっている人間の、策だ。

 躊躇したチェーンソー、そして、躊躇しないヨシエさん。

 もし、二人の間に、実力差があったとしても、それでは結果が見える。ヨシエさんは、それを、最初から意識してかどうかは分からないが、狙っている。

 確実不確実で言えば、あまり確実性のない策?

 いいや、ここでは、それ以上の策はない。それが僅かな差だとしても、その差は、勝敗には、大きい。

 ヨシエさんには、落ち度はない。策に溺れている訳でもなければ、考えすぎている訳でもない。あくまで、自分の実力を補う為の策。

 しかし、それでも、策は策。

 その策は、通じない。

 まるで、そうあざ笑うかのように、チェーンソーが、鎖をゆっくりと、構えた。

 

続く

 

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