作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(352)

 

 坂下の相手の手を狙う攻撃を、チェーンソーは警戒しない訳にはいかないはずだった。それはつまり、坂下をなるべく遠くで相手をする、ということだ。

 距離が遠ければ、坂下がチェーンソーの鎖を避けるのも簡単になるが、しかし、坂下の方も、チェーンソーの手を狙うようなことは出来ない。

 遠くで戦うということは、お互いに決定打を欠く、ということだが、チェーンソーの方が有利であるはずだった。

 しかし、チェーンソーは、まるでこれから自分が攻める、と言わんばかりに、右半身に身体を構える。

 右半身、と疑問を浮かべるところだ。チェーンソーの利き手が左手であるという情報はない。左右を変えたぐらいで、というのは、いささかなめ過ぎか。

 利き手を代えた構えを取られると、確かに相手し辛い、というのはある。右が利き手の多い中で、一人左手の人間がいれば、対応する方は、それは慣れていないので難しい。

 左に代える方にも、それなりの練習は必要である。少なくとも、力の強い利き手で、最大の威力を出せなくなる、というのは、理にはかなっていない。

 だが、チェーンソーであれば、その不利はないように思えた。

 構えが、そもそも違う。右が前になっているのに、右腕は前に出されるのではなく、鎖を背中にかつぐような構えを取っているのだ。

 上から下へ。軌道はさすがに制限されるが、これなら、右が前であろうとも、右の威力は出せるだろう。鎖を遣っているチェーンソーならでは、と言える。

 しかし、言ったように、遠い距離では、坂下は、後ろに下がって避ける。いや、下手に上下の動きならば、後ろに下がる必要もなく、横に避けるかもしれない。

 おそらくは、左が横に振られてそれをカバーするのだろうが、正直、素直過ぎる。構えが代わったぐらいで、坂下の鉄壁の守りを抜くのは、限りなく難しいだろう。

 難しいということは、何かあるということだ。

 どんな手で来るのか。それを坂下に深読みさせて、精神的消耗を誘う、という手もある。が、それはあまり意味があるとも思えない。

 わからないのなら、突っ込んでみるまで。

 坂下は、精神的攻防も、そう苦手な訳ではない。しかし、遠ければ避けられる、近ければ、相手の末端を破壊する、という手だてを持っていた。

 何より、半端な対応ならば、その喉笛をかみ切る能力が、坂下にはあるのだ。

 チェーンソーが構えを取って、一秒もたたなかっただろうか。坂下は、素早くとびこんでいいた。地面を蹴るのではない、まるで地面をすべるような、見事な動きだ。

 それに、チェーンソーが右の攻撃を、上から合わせる。

 しかし、その距離は、近い。いや、打撃を放つのには、いささか距離があるが、しかし、チェーンソーの振り下ろされる手を狙うには、十分な距離だった。

 動きが縦になろうが横になろうが、少々軌道を変更させようが、坂下にとってみれば、同じこと。

 振り下ろされる手に、坂下は狙いを定めていた。

 斜めに振り下ろされるチェーンソーの鎖に、坂下が、拳を合わせる。観客達の目には、写らないほどのスピードの攻防。

 結果から言えば、チェーンソーの手は砕かれずに、済んだ。当たる前に、手の軌道を変えたのだ。しかし、その所為で、鎖の軌道は変更、力ないものとなる。

 はずだった。そこまでは、坂下の読みの内だったのだ。

「っ!?」

 坂下は、素早く頭をスウェイして、その攻撃を避けていた。本当にぎりぎり、紙一重の差で、鎖が、坂下の顔の前を通り過ぎる。

 直で受けるには、十分に危険な威力で、坂下の顔を狙って、鎖が飛んできたのだ。

 一瞬にも満たない時間で、坂下は、すぐに理解した。チェーンソーが、鎖の軌道を変えて来たことを。

 鎖の軌道が、無害になるように、坂下は相手の動きを調整したはずだった。それでも当てようと、下手に逃げようものなら、坂下の拳が、チェーンソーの手を砕いているはずだったのだ。

 だが、チェーンソーは、腕の動きは、坂下に制御されているように見せかけて、鎖の軌道を変えて来た。

 鎖に、指をかけたのだ。

 指をかければ、鎖は、そこから曲がる。その角度を計算して、手の先を中心に円運動をした鎖が、坂下の予測を超えたのだ。

 こう見れば、右をかつぐようにしたのは、明かだ。いつもと手首から先の動きが違うことを、坂下から隠す為の構えだったのだ。

 攻めて活路を見出そうとしたはずなのに、まんまとチェーンソーの策にはまってしまった、ということになる。

 無理な回避行動が、坂下の動きを制限する。

 次に来るのは、左の追撃。坂下は、すでにバランスの崩れた身体でそれでも回避行動を取ろうと動く。一発、予想しなかった攻撃を避けたぐらいで、どうにかなる坂下ではなかった。

 坂下を捉えるには、それだけでは足りない。

 それでも、坂下の予想を超えたのは、指をかけて軌道を変更するだけでは足りない、そのことを、チェーンソーも、よく分かっていたことだ。

 坂下は、チェーンソーの動きを、予想に反して来た右の鎖の攻撃をぎりぎりで避けるころから、それでも見ていた。

 動きによどみがない。つまり、チェーンソーは、最初からそのコンビネーションを打つつもりだったということだ。

 坂下の身体は、多少無理があっても、相手の動きを即座に理解、フェイントではないと素早く判断して、防御の動きを取ろうとしていた。

 その刹那の時間に、坂下の背筋に、悪寒が走る。相手の動きは、まだ見えている。防御は間に合う、しかし、それでも、まずい、と本能的に察知していたのだ。

 いや、それは本能ではない。坂下の、血のにじむような努力の結果、と言った方正しいだろう。来てもいない攻撃の危険性を、即座に理解しているのだから。

 ドゴンッ!!!!

 大地も揺るがそうかというほどの威力の、チェーンソーによる左ミドルキックを、坂下は、がっちりとガードしていた。

 鎖が来る、と思うのは、対戦相手の勝手な想像だ。チェーンソーは、普通の打撃も、そしておそらくは組み技になっても、かなりの猛者のはずだった。

 だが、坂下は、それを受けた。コンビネーションに入れられたミドルキックは、素晴らしいスピードと威力があったが、それでも、坂下には防御出来る。

 しかし、がっちりと防御した坂下の中には、それとはまったく別のものが浮かんでいた。

 まずい!!

 ミドルキックを、後ろに逃げるには時間が、いや、坂下ならばそれでも、その短い時間の中で回避出来ただろう。しかし、それではまずい、それでは、脚を全て使ってしまう。

 だが、相手のミドルキックを防御すれば、身体はそこに縫い止められるのでは、一緒だ。

 防御した瞬間から、坂下は、防御の為に止めた脚を、一瞬で切り替えて、後ろに飛ぼうとしていた。

 しかし、それすら、もう遅い。

 右半身になるということは、助走距離を取れるという理由で、左の攻撃の方が、威力が上がる、ということだ。

 左のミドルキックは、確かに左半身のときよりも威力はあっただろう。

 だが、それは、単なる足止めでしたなかったのだ。

 避けられるか?!

 どうにもならない、という意味では、まったく意味のない後悔にも似た気持ちを、坂下が感じたのは。

 残ったもう片方、左に威力の、スピードの高い一撃を放とうとして残されていた、鎖が、チェーンソーの身体から放たれた、その瞬間だった。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む