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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(355)

 

坂下の左腕が、跳ね上がった。

 しかし、その距離は、遠い。腕を動かしたところで、チェーンソーの右手を捉えることすら出来ないほどの距離が離れていた。

 それでも、人間とは不便なもので、目の前に動くものがあれば、それを追ってしまう。動体視力があればあるほど、そうなのだ。

 チェーンソーの目は、フルフェイスのヘルメットで隠されているが、それでも、見えない目が坂下の手を追う。

 シュバッ!!

 その瞬間、チェーンソーは後ろに飛んでいた。その、すでに脚がなくなった場所を、坂下の鋭いローキックが通過していた。

「……え?」

 見ていた浩之には、何が起こったのか、すぐには分からなかった。

 やったことは、しごく単純。腕を動かすことによって、そこに相手の視線を集中させて、それをフェイントにして下の攻撃を出すというものだ。

 うまい下手の差こそあれ、基本と言えば基本。有効ではあるし、何より坂下の動きは、うなるほどのものだ。

 だが、それでもおかしかった。

 坂下がいたのは、手が届かない距離だったはずなのだ。ローキックは、それは拳よりは距離は取れるが、それでも届かない距離があったはずなのだ。

 しかし、ローキックを繰り出した瞬間には、チェーンソーが脚を上げて後退しなければならないほど、近付いていた。

 フェイントの攻撃を、チェーンソーが避けただけ。普通の人間には、それ以上の情報は見えなかっただろう。実力が上がって来たからこそ、その地味ながらも、驚異的な技を、浩之は認識できるようになっていたのだ。

 後ろに下がりながらも、チェーンソーは拳を繰り出す。しかし、斜めに振り上げられるような軌道に、すでに坂下の身体はなかった。素早く、その場から上半身が逃がされていたのだ。

 とは言え、まだ右腕の攻撃は残っている。無理に攻めても無駄だと判断したのか、坂下はあっさりと後ろに下がろうとしていた、ように見えた。

 前に……いやっ?!

 チェーンソーは、残った右の鎖を、下に振り下ろすように放っていた。右半身の構えからとは言え、それでも十分なスピードを誇るその一撃が、坂下によって、あっさりと避けられる。

 いや、これは、前進を止めた、最初の攻防と一緒だった。

 言ってしまえば大雑把に、チェーンソーの間合いを読んで、相手の攻撃をやり過ごす。言って出来るものではない。坂下の、思い切りの良さが生み出す回避方法。

 だが、そんなことは関係なく、見ている浩之は混乱していた。

 ローキックは、射程に入る訳がなかったし、先ほども簡単に後ろに下がるのか、と思った瞬間に、前に出た、と感じたのに、チェーンソーの攻撃を止まってやり過ごしていた。

 チェーンソーも、それにつられるように、右の攻撃を出してしまったのだ。攻撃をやりすごされると、いかなチェーンソーでも、危ない。

 と、言い切れないのが、このチェーンソーの攻撃だった。

 間を置かずに、チェーンソーとの距離を縮めようとする坂下。しかし、チェーンソーは、その坂下に向けて、撃つ鎖を、持つ。

 チェーンソーの腕が、素早くチェーンソーの首に巻かれていく。普通なら、そんな動きに何ら意味がないどころか、次の攻撃の阻害にしかならないだろうが、しかし、チェーンソーには、そこからの攻撃があるのだ。

 フルフェイスのヘルメットに鎖を巻き付けるようにして、自分の頭の後ろから繰り出される、まさに想定外の鎖。

 同時に、ありえないチェーンソーの攻撃に、合わせることをやってのけるのが、坂下だった。

 坂下の右腕が、そのチェーンソーの鎖に、当たる。

 ジャッ!!

 坂下の腕をするようにして、その軌道が、変化させられる。坂下は、チェーンソーの鎖を、受けることが出来るのだ。十分な助走距離がある鎖は不可能でも、普通はありえない、首に巻かれるようにして出される鎖は、どうしても、普通よりも威力が劣る。そこを、坂下は狙ったのだ。

 ジュバッ!!

 しかし、今度は、坂下が後ろに下がって、チェーンソーのローキックを避ける。

「……まじかよ」

 チェーンソーのローキックは、坂下の接近を止める為に繰り出されたものではあったが、ぱっと見ただけでも、坂下と同等か、それ以上のレベルだった。だからこそ、坂下は下がって逃げるしかなかったのだ。防御が間に合っても、ダメージは受ける。それを避けなければ、と思うほどに、鎖ではなく、そのローキックを警戒したのだ。

 浩之だって、チェーンソーは全てのレベルが高い、とは思っていたけれど、まさかローキック一つで、うなるほどのものを見せつけて来るとは思っていなかった。装備を合わせての強さだと思っていたのだ。

 坂下は、その力量をちゃんと把握して、後ろに下がったのだ。下がるしかなかった、と言えるかもしれない。相手の攻撃をことごとく無効化した後の、あのチャンスを潰すのは痛かったのだろうが、仕方ない。防御すれば動きは止まるし、それでは、せっかくのチャンスの意味がない。

「ああー、というか、色々思う場所が有りすぎだろ」

「……同意です」

「本当ですね、どこから考えていいものか」

 チェーンソーの打撃の質をどうこう言いたいのだが、坂下の動きだって、言いたいことは色々あるのだ。葵とランは、それに同意する。

「あー、綾香。すまないが、解説よろしく」

 他は、何とか説明もつくのだが、坂下の動きは、あまりにも不可解過ぎて、浩之には説明出来ない。仕方ないので、綾香に説明を求めた。

 ただ、ちゃんと説明してくれるかどうかはかなり微妙なんだよなあ。

 何が起こったのか分からなかった、というのは、ないだろう。前までも、綾香の目は異常だったが、最近の綾香は、本当に神掛かっている。外から見ていて、何が起こったのか分からないということはない。

 問題は、綾香に、説明してくれる気があるかどうかだ。

「もう、浩之。私に頼ってばかりじゃなくて、少しは自分で精進しないと」

 幸い、今の綾香は、素直に教えてくれそうだった。というか、どこか嬉しそうに話し出した。

「簡単に説明すると、フェイントなんだけど」

「いや、簡単過ぎだから。それじゃ説明出来ないから聞いてるんだが」

「えー、まったく、面倒ね」

 前言撤回。真面目に説明する気はかなり薄いのかもしれない。

 結局、ただ浩之を虐めたかっただけなのか、綾香は素直に説明を追加する。

「サッカーのドリブルと似たようなもの、とか言ったらいいのかな?」

 追加、と良いながら、説明の最初に口にしたのは、類似品の話だった。だから、それだけでは、聞いている者はさっぱり理解できなかった。

 むしろ、皆の顔に浮かぶハテナマークに気を良くしたように、綾香は、とつとつと何が起きたのか、説明を続けた。

 

続く

 

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