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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(356)

 

「サッカーのドリブルと似たようなもの、とか言ったらいいのかな?」

「いや、さっぱりわからないんだが」

 綾香の優しくない説明に、すでに義務とばかりに、浩之がつっこみを入れる。

「もう、少しは頭を使いなさいよ」

「頭というか、目だろ?」

 考えただけで全部分かるというのなら苦労はしない。そういう手順を踏むこともあるが、これに関しては、説明を受けないと理解できそうになかった。

 届かないと思った攻撃が届き、当たると思った攻撃が当たらない。見ている者すら混乱するのだ、相対しているチェーンソーは、どれほど混乱しているだろうか?

 しかし、その混乱の中でも、きっちり反撃して、チェーンソーは坂下を後ろに引かせた。多少無理でも、そこで倒せると思えば、引かなかっただろう。

 いや、そもそも、もし見ている者すら混乱するその動きが、実際に坂下の技なのだとすれば、それは出し惜しみしてもいい技で、出した以上、それで決めなければならないはずなのに。

 それなのに、坂下は後ろに下がった。ローキック一発では、例え脚にダメージが当たっていたとしても、耐えられるはずなのにだ。

 単に反射的に後ろに下がってしまったのかもしれないし、単なるローキック、とこちらが思っていても、その実は違って、それに必殺の威力があるから下がったのかもしれないし。

 もっと怖ろしい考えで言えば、これぐらいのチャンスは、簡単に作り出せる、と思ったから後ろに下がったかもしれないのだ。そこからは、見なくとも想像がつく。

 坂下にとっては、出し惜しみするほどの、技なのではないのかもしれないのだ。

「まあ、仕方ないか。耳かっぽじって良く聞きなさいよ?」

 あまり似合わないセリフをつけながら、綾香は、少しだけ分かり易く説明してくれる。

「上半身と下半身の動きを別にしてるのよ」

「いや、最初からそう説明しろよ」

 簡潔で、実に分かり易い説明だった。

 上半身が前に来ているのを見て、前に出る、と相手が判断したころには、下半身は後退を始めている。

 どんなにねばっこい下半身の力があったとしても、動きが逆になっては、まったく意味を成さない。坂下は意識的に、それを相手に起こさせたのだ。

「まあ、サッカーやバスケットとかでは、左右に振るんだけどね」

 前後にゆらせる、というのは、案外難しい。左右に素早く動ける人間でも、前後に同じスピードで動くのは、かなり難しい。

 しかし、坂下はそれをあっさりとやっけのけていた。

 聞いてみれば、単なるフェイントなのだが、それは、思う以上に、深い。

 それは、チェーンソーが前に出なくなったことでも明かだった。うかつに出れば、とっさでも考えても、反応してしまう。また自分で打破すればいいだけなのだが、不利は間違いないところなのだから、前に出ないのは当然だ。

 一方の坂下にも、余裕がある訳ではないが、しかし、あせり、というものは見えない。先ほどの攻防を、自分でかみしめて、改善点を吐き出そうとしているようにすら見える。

 試合中に悠長なこと、と言えるかもしれないが、こんなギリギリの戦いの中で、それができるというのは、どれほどの余裕なのだろうか?

 これで、また振り出しだ。チェーンソーには、防具と武器があるが、坂下は、その鎖すら受ける高度な防御能力と、高いレベルでのフェイントと、何と言っても、特記すべき度胸で、それに渡り合う。

 ここは、武器持ち相手に、振り出しまで持って行った坂下を誉めるべきところか。

「てか、坂下のヤツ、鉄壁の守りがあるくせに、そんなことまで出来るのかよ」

 坂下の受けの凄さは、今更言うまでもないとしてだ。

 器用、という言葉とはあまり縁のなさそうな坂下だが、これは頭の中にある坂下のイメージを変更する必要があるかもしれない。

「葵との試合のとき、これよりはかなり精度は落ちるけど、使ってたじゃない」

「あ」

 言われてみれば、そうだった。

 緊張癖が取れて、十分に実力が発揮できるようになった葵との戦い。あのとき、葵はどちらかと言えば押していた。

 それが覆ったのは、坂下の前進するフェイントに、葵が引っかかったからだ。

 もともと、フェイントや受けで、相手の隙を突く戦い方を、坂下は選んでいたはずなのだ。最近は、あまりにもその打撃のインパクトが大きくて忘れそうになるが、戦い方が変わった訳ではない。

「そうなんですか? イメージと、違いますが」

「確かに、私のイメージは、どちらかと言うと打撃の力で無理押ししてくるようなイメージの方が違和感を感じますね」

 最近知り合ったランは力押しをする坂下をイメージとして持っていて、付き合いの長い葵は、むしろ力押しのイメージを持っていない。

 戦い方が、最近変わったということなのだろうか?

 ありえない話ではない。ずっと同じ戦い方をしなければならないという法はない。それどころか、成長期の今、戦い方が変わるのは、むしろ必然だろう。

 だから、変わった、というよりは、元に戻ったと言った方が正しいのだろうが。

「いや、俺も言われて納得したんだが……そう考えると、坂下らしいって言えば坂下らしいのか」

「まあね。……でも」

 綾香は、首をかしげていた。納得できない、と表情が口ほどに物を言うランにも負けないほどに、その表情が言っている。

「ん、どうかしたか?」

「ううん……いや、ここは否定じゃなくて、肯定ね」

 神妙な顔つきになった綾香を見て、浩之はどうしても不安しか感じれなかった。いや、いつもの凶悪そうな笑みに比べれば、平和そのものの表情ですらあるのだ。

 ただ、その表情は、どうしても、胸の奥を、ざわつかせる。

 綾香の表情から、恐怖を感じずに、ただ不安だけを感じる、というのは、珍しいを通り越して、浩之には異常に思えた。

「フェイントとか使うのは、別に好恵らしいからいいのよ。ただ、おかしいのよね」

「おかしい?」

「そ、おかしい」

 話ながらも、綾香の視線が、ずれない。真っ直ぐに、試合場の真ん中で対峙している二人に注がれている。横に浩之はいて、浩之と話しているはずなのに、まったく存在を忘れているかのような。

 それほどに、綾香の視線が、真剣さを、帯びて来たのだ。

「好恵って、これほどのレベルだったっけ?」

 この感じは、不安、ではない。それを、人は、不吉、と呼ぶ。

 

続く

 

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