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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(360)

 

 立ち上がろうとした坂下は、一度バランスを崩して、そのまま倒れそうになりながらも、ゆっくりと立ち上がった。

 左腕はだらりと下にたらしたままで、頭もフラフラと左右に揺れている。どう見ても、無事ではなかった。

 しかし、坂下の意識は、反対にはっきりしていた。

 酷くやられたものだ、と坂下は、揺れる頭の中で考えていた。

 試しに、左腕に力を入れてみる。動かす前から、腕がもげるのでは、と思うほどの痛みが走っているが、坂下にしてみれば、動かせないほどではない。

 先ほどの攻撃を、腕はそれなりに受け流せた証拠だ。

 しかし、完全に方向をずらす、というのは出来なかった。その所為で、坂下は腕で受けたはずの衝撃を頭に受けることになったのだから、本末転倒だ。

 が、もしこれで腕がなければ、立ち上がることなど不可能だし、腕がそのままダメージを受けていれば、確実に腕が動かなくなっていた。

 チェーンソーの鎖、それも必殺のつもりで放った一撃を、あんな体勢から、無傷でどうこうしよう、という方が無理なのだ。そう考えれば、然るべきダメージ、と言えるだろう。

 代わりと言っては何だが、チェーンソーには、坂下の跳び蹴りを直撃させたのだ。坂下の受けたダメージを考えても、おつりが来るほどにはダメージを当てたはずだ。

 というか、これで、普通なら勝負は決まってるはずなんだけどねえ。

 どんな相手だって、あんな跳び蹴りを食らえば、もう戦えるものではない。それでも根性で立ち上がったとしても、反撃できるような力は残っていないだろう。

 素人なら、確実に内臓破裂だ。そんな一撃だった。

 だが、チェーンソーは、防具をつけている。

 何も、硬くすれば防具になる、という訳ではない。打撃の威力を分散させることでも、防具は十分な効果を発揮する。

 直接腹部に受ければ立ってなどいられないだろうが、身体全体にダメージが逃げていてもおかしくない。蹴った感触が、突き抜けるのではなく、蹴り飛ばすようなものだったので、坂下はそう感じていた。

 しかし、それでも、いや、それだからこそ、致命的のはずだった。

 身体全体にダメージが分散されたということは、余すことなく、ダメージが当たっているということだ。例え全体に分散されたとしても、さきほどの跳び蹴りの威力は、相手を昏倒させるだけの威力があった。

 はずなのに。

 おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!!

 今日、一番大きな歓声が、上がった。

 坂下が立ったからではない。すでに、坂下は立っている。だったら、考えるまでもなかった。

 坂下は、立ち上がろうとしているそれに、鋭い目を向けた。

 

 これは、本編どころか、外伝ですら関係ない、そういう話。

 それは、見た目はまだ若かった。

 と言っても、私がそれを見たのは、まだ幼かったころで、若いと言っても、私よりはよほど年上だった。

 と思うのだが、正直、それが一体何歳だったのかは、今では判然としない。若くは見えたが、年齢を推測しようとすると、何故かもやがかかったように思い出せない。

 それどころか、それが男であったのか、女であったのかすら、私は思い出せない。

 だから、それを、それ、と呼ぼう。

 それが私の前に現れたのは、何のことはない、親が呼んだからだ。

 どこか普通と違うが、それが何かあのころは理解できなかった私の親は、どんなつてを使ったのか分からなかったが、それを、家に呼んだ。

 かと言って、それは大したことをした訳ではない。親に酒をすすめられ、それを嬉しそうに飲んでいただけだ。

 しかし、何故か、そこに私と弟は呼ばれていた。酒の席に子供がいるなど、親類を呼んだときぐらいしかないと言うのに、親の真意が、あのときの私には理解でなかった。

 今なら、分かる。親は、それに私達を会わせたかったのだ。

 それは、異能、と言っていいだろう。強いとか弱いとか、そういう意味とは関係ない、異能。私達とは、根本的に異なった能力者。

 それは、酒を浴びるように飲んでいた。下品、という訳ではなかった。少なくとも、口調は、私達子供に対してさえ敬語で、慇懃無礼と言っていいぐらいしっかりしていたような気がする。

 が、どこか礼儀を欠いた、おかしなそれに、弟は興味をそそられたのか、しばらくは目を輝かせていたが、何故かすぐに興味を無くしたように、部屋を出て行った。

 変わり者が大好きな弟の反応としてはそれは珍しかったのだが、それは気分を害した風もなかった。

 それ曰く、人として不自然なほどに、弟は真っ直ぐなのだそうだ。

 今考えれば、分かる。弟は、確かにおかしなものに対する興味は人の十倍だが、それが異能であることに気付いたのだ。それが、まったく自分と関係ない世界だと、いち早く気付いたのだ。

 私は、異能であろうが何であろうが関係なかったが、はっきり言ってそれには正直興味はなかった。何せ、明かな変人だ。私はそういう人間を偏愛するような性癖を持ち合わせていない。

 私がそれでも酒の席から立たなかったのは、親の顔を立てたからに他ならない。親が、客人、それもかなり気を使う客人として扱っている以上、子供の私がそれに不都合な行動を取る訳にもいくまい、と思っていた。

 それは、多分凄く高いのだろう酒を湯水のように飲み干してから、上機嫌に、酒の肴に、と言って、私に手品を見せてくれた。

 いや、手品だったのか。今は、それも曖昧で。

 ただ、私は、見た。驚異ではなく、異能としての、それを。

 それにとっては、単なる戯れ。常能のそれでは、異能のそれは作り出せない。それを分かっていての、まさに気まぐれの悪戯。

 その異能に、私は、魅せられた。

 それが、私が、鎖を使う理由。こんな、普通ならばもっと効率の良い武器があるだろうと言われる武器を使う、原因。

 人の手で、その異能を作り出す。その為の、鎖。

 顔は忘れたが、それの名は、今でも覚えている。

 まったく、意味のない名前だ。聞いたところで、聞いたことなどないだろうし、それの話は、これからも生まれもしない。

 それの名を、異能、枷使い、と言う。

 

 割れんばかりの歓声の中、チェーンソーは、立ち上がった。

 やはり、立ったか。

 坂下も、そうだろうと、もう確信して待っていた。

 決着? あれでは、つかない。

 相打ちの結果、威力が落ちたとか、防具の所為でダメージが分散したとかそういうのは、関係ない。一体、どうすればつくのか、坂下には分からない。

 坂下はそれでも立つし、チェーンソーもそれでも立つ。

 坂下も、薄々と感じてはいたのだ。それが、決定的となったに過ぎなかった。

 どちらかが、決定的に折れない限り、二人の戦いは、終わらない。

 それでも、すでに多くの力どころか、ほとんどの力を使い切ったのか、弱い音を立てながら、チェーンソーは右腕を動かす。そこには、まだ戦う意志が消えていないことを証明するようだった。

 チャリ

 弱々しくさえ聞こえる、鎖の音。

 坂下の耳に入ったとき、それは、撃鉄の上がる音に似ていた。

 とっさに、坂下は、自分の感じた恐怖に順って、前に出ようとする。それを、引かせてはならない、と本能が訴える。

 が、がくん、と坂下の膝が落ちる。

 ここに来て、受けたダメージが、坂下の脚を止めたのだ。どんなに根性で痛みを我慢しても、脳震盪自体をどうにか出来る訳ではない。それすらねじ伏せていた坂下にも、限界が来ていた。

 その、脚に来た時間が、致命的だった。

 ひゅんっ、と軽く、チェーンソーは右腕の鎖を振る。

 人差し指と中指の間を通され、たれていた鎖は、そのまま背中を回るようにして、チェーンソーの左の掌に、その先端が収まり、握られる。

 すぅ、と今まで聞こえなかったチェーンソーの息の音が、聞こえたような音がした。それは、まるで機械を思わせたチェーンソーが、本当に人間であることを証明する、初めての動きだった。

 止めなければ、と思った坂下の思惑は、完全に、失敗し。

 そして、人から、異能に。

 ギンッ!!!!

 撃鉄が、上がった。

 

続く

 

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