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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(361)

 

 ギンッ!!!!!

 それは、言ってみれば、世界の軋む音。

 その音の意味が分からない者にとってみれば、単なる金属の軋む音。世界の理を分からない、ちっぽけな視野では、大陸が動いていることを見えないように。

 しかし、それを見ることの出来る視界があるのならば、その大きさに、身を震わせるだろう。

 その音は、そういうものだった。

 だから、それが聞こえた瞬間、間に合わなかったことを悟った坂下は、後ろに下がった。

 見ることが出来る坂下にとって、その軋みは、決定的なものとなることを予感させるに十分だったのだ。

 左の鎖は、そのまま垂れ下がっている。それで何かしよう、という様子はまったく見えない。

 かわりに、右の鎖は、手の平から、人差し指と中指の間を通され、そこから背中を通過して、鎖の先が、左手に持たれている。

 左手は、力強く鎖を引きつけ、さらに猫背になった背中の筋肉全体で力を付加し、大きく振りかぶられた右腕が、その力に負けじと強く引きつける。

 綱引きのような状態は、ギリギリのところでバランスを保っていた。

 この格好を見て、これが技である、と思える人間がいるだろうか?

 道理は分からないでもない。引き絞った状態から開放されると、そこには通常よりも大きな力がかかる。弓やスリングショットはそうやって物を飛ばすのだ。

 が、それが人の身でも可能なのか? いや、可能だとしても、軌道がかなり読み易くなる中で、意味があるのか?

 答えは、ある、だ。

 チェーンソーを、あわやと言うところまで追いやったイチモンジの剣を、何の抵抗もさせずにはじき飛ばす、その速力が、そこから生まれるのだ。

 見ている者の誰もが、その技の全容を分かっていない。いや、そもそも、見れもしなかった。それほどに、それは、速すぎた。

 避けられない、というのならまだ理解も出来ようが、見ることも出来ない、という常識外の一撃を、しかし、あったことだけは、観客は誰しも、知っていた。

 おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!

 来る、誰もがそう思った。そして、狂喜した。

 イチモンジを倒すきっかけとなった、その常識にとっては埒外の技を、見ることが出来る、と。

 ダメージを負っているチェーンソーが、その技がいかに非常識でも、その実力を十全に出せるのか、そういう心配は、もちろんあった。

 しかし、坂下は、チェーンソーが、その技を、あますことなく、表現することに関しては、一片ほども疑うことはなかった。

 つまり、これが、決定的に壊れるかどうか、ということか。

 これが、決着になるだろうことを分かったからなのか、坂下は、悠長に、辺りを見回した。

 誰しもが、坂下が負けることを祈っているように見えた。いや、坂下の勝敗がどうとかと言うよりも、チェーンソーの、その技が見たいのだろう。

 坂下だって、自分の試合でなければ、見たいと素直に思った。

 ここに来ているような人間は、そもそも幼稚なのだ。幼稚というのは、強さに憧れることだし、必殺技というものに、あこがれすら感じるとか、そういう精神構造のことだ。

 チェーンソーのそれは、必殺技、と言っていい。

 映像越しに見た坂下にすら、目視することのかなわなかった、圧倒的な速度。致命的であるが故に、手から離れるはずのない剣を、一撃ではじくほどの威力。

 坂下ですら、あこがれてしまいそうだ。

 そんな中で、坂下の知り合いに目が行く。まあ、途中で御木本の前を視線が通ったような気がしたが、どうせどんな顔をしているのか見なくとも分かるので、スルーしていた。

 葵は、どんな技が出されるのか、興味津々と言ったところか。心配よりも、格闘家としての好奇心の方が優っているのだろう。

 同じく何が起こるのか分かってはいないとは言え、浩之はむしろ、かなり心配そうに見ている。坂下の強さを信じられないというよりも、坂下から見ると、浩之はかなり心配性なところがあるので、不思議ではない。

 綾香は、やはりスルー。どうせ自分が試合場に立っていないことに文句がいいたい顔をしているのを、坂下はちゃんと予測していた。

 そして、ランはと言うと。

 真っ青な顔で、坂下の方を見ていた。

 この状況、理解していない訳ではないようだ。

 坂下の身は、風前の灯火だ。チェーンソーが構える前までは、坂下の方が押していたのだから、チェーンソーを応援すると言ったランとしては、むしろ今の方が嬉しいはずなのに。

 どうも、ランの言動と表情は一致していなかった。

 坂下が押していると、どこか隠しきれない嬉しさがにじみ出て、坂下が不利になると、何故か不安そうな顔をする。

 そして、この絶対的な坂下の不利に、ランは、顔を青くする。

 まったく、不肖の弟子だよ、ランは。

 坂下は、苦笑しながら、視線をランから外して、チェーンソーの方に向けた。

 決して、ランは精神的に強い方ではない。それは、すぐに坂下は気付いていた。何かとあればくじけそうになったり遠回りしてみたり、色々と忙しそうだった。

 しかし、坂下は、あえてそれを助けてやるようなことはしなかった。せっかく苦悩できるのならば、しておくべきなのだ。それで倒れるのならば、それまでの人間だったのだ。

 どうせ、人が助けてやれることなど、ないのだ。

 だが、助けることは出来ずとも、見せてやることは、出来る。

 そういう意味で言えば、坂下は、不肖の師だった、とも言える。結局、ランにその姿を見せてやることは出来なかったのだから。

 代わりと言っては何だが、不思議なもので、健介が、ランにその姿を見せてくれたのだ。

 健介が、覚悟を持って、自分の仕事をきっちりとこなした、アリゲーターとの戦いの結果。

 あれからだった。ランが、苦悩しながらも、ちゃんと自分の足で、覚悟を決めたのは。

 あの健介の姿が、ランに何を決意させて、何をランにもたらし、何をランから奪っていくのかは、知らないし、結局、知る立場にも、ない。

 一式戦った後に、倒れていたら、多少なりとも介抱はしてやろう。死んだのなら、骨ぐらいは拾ってやろう。そうは思う。

 しかし、ランが、今、結局坂下の勝ちを望んでいるのか、チェーンソーの勝ちを望んでいるのかは分からないし。

 分かったところで、坂下がしてやれることは、ない。

 決定的、そう、今は決定的な瞬間なのだ。

 どちらかが、決定的に壊れるまで、この戦いは終わらない。そう感じたのは、誰でもない、坂下なのだ。

 同時に、これが、決定的な決着になることを感じているのも、坂下であり。

 決定的になるであろう技を前に、負ける気など、坂下には欠片もなかった。

「ようは、これを破ればいいだけだろ?」

 言葉に出してみれば、非常に分かり易く、坂下好みだった。

 画面越しに見ても、目にとどめることが不可能とすら思える速度で打ち出される鎖を前に、そうまで強気になれる者が、一体いくらいるだろう?

 ましてや、その技を、対峙した状態で受けるのだ。画面越しなどという甘いものではない。

 いや、それすら、今の坂下にとっては、逆転する。

 目の前で、対峙すれば、こそ。

 坂下は、構える。

 

続く

 

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