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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(363)

 

 その力を端的に表すとするならば、破壊による力、と言えただろう。

 破壊の力、ではない。破壊による、その結果の力だ。

 物が壊れる、というのは、その壊れる瞬間に、莫大なエネルギーを生む。静から激動へ、その変化は、通常では考えられないほどのものだ。

 チェーンソーのそれは、そういうものに近い。そのままだとすら言える。

 そのしなやかな肢体から作り出される力全てを、鎖に注ぎ込む。普通なら動くなりして消費するはずの力が、動きを封じられていることによって、行き場を失い、そうやって生まれた力は、逃げ場なく鎖の中で暴れる。

 そして、壊れる。それと同意の意味で左手から鎖が放たれ、暴発するように力を一瞬で吐き出す。

 そうやって、チェーンソーの鎖は、人としてありえないはずのスピードを、生む。

 

 坂下が、今まで受けたどの攻撃よりも速く、チェーンソーの鎖は坂下に向かって打ち出されていた。いや、それが分かったときには、すでにチェーンソーの鎖は振り切られていた。

 上から袈裟切りのように放たれたそれを目で追えた者はいない。

 人間は生理現象と物理現象で知覚をするのだから、それを越えるだけのスピードが生まれたとき、それに対抗する術はない。

 人であらば。

 音すら響くよりも早く、血が宙を舞う。その量は、すでにケンカでどうこうなった、と思われる量をはっきりと超えていたが、それすら、もう決着が着いた後でしか認識されなかった。

 坂下の身体と、チェーンソーの身体は、お互いに、あり得ないスピードで動いた。

 あまりのスピードに、音が遅れてきた、と錯覚されるほどのスピードだった。しかし、音はちゃんと音速の速度を出すことを怠らなかったのだから、それは見ている者の錯覚だったのだろう。

 ズドンッ!!!!

 今度こそ、吹き飛んだ。

 距離は、わずか2メートルほど。坂下が繰り出した跳び蹴りがチェーンソーを飛ばしたよりも、よほど短い。

 しかし、それは何よりも、ダメージが転化されなかったことによるもの。

 ダメージが転化されなかった理由は、二つしかない。一つは、それほどのダメージを与えられなかった。今一つは、ダメージを、逃すことすら許してもらえなかったか、だ。

 刃物が禁止されているマスカレイドでは、これほどに試合場が血で染まったことはなかった。しかし、チェーンソーならば、それを演出することなど容易かっただろう。

 イチモンジ戦で使われたチェーンソーの技を見て、多少でも心得のある人間ならば、いや、素人さえ、考えたはずだ。

 わざわざ剣など狙わなくとも、あれを身体に当てれば、そう、腕でもいい、試合はその一撃で決まっていたのではないか。剣をはじいても、まだイチモンジは戦えた。驚異は少なくなるとは言え、それでも決して安心できる相手ではなかったはずだ。

 イチモンジは、完全にチェーンソーの技についていけていなかった。あれを出せば、必ず、チェーンソーが勝てていただろう。初見であれば、その確実性はさらに増す。

 しかし、この試合場の惨事を見れば、誰もが納得した。

 意識的に、チェーンソーはイチモンジの剣だけを狙ったのだ、と。

 あまりにも、強すぎる。一撃で金網を引き裂く威力よりも、さらに強い力で、防具があろうと、生身の相手をそれで打てばどうなるか、それは試合場を見れば分かる。

 チェーンソーとて、イチモンジを殺したくはなかった。だから、身体には使えなかった。事実、剣さえ飛ばしてしまえば、チェーンソーが一方的に試合を終わらせることが出来たのだ、チェーンソーの目には間違いはなかった。

 だが、今度は、チェーンソーは手加減をしなかった。

 深く入り込み、坂下の身体を、まっぷたつにする軌跡で鎖を放った。回避不能、どころか認識不能の速度を誇る一撃は、鈍器の範疇を越えていた。日本刀で斬りつけられるよりも、それは危険だった。

 マスカレイドに参戦して以来、一度も負けなし、それすら最大の技を温存しての、そして見せては手加減しての、無敗であるチェーンソーの、本当の本気は、そこに生者の残ることを許さない。

 人の身でありながら、異能の力を体現させた、女王。

 その前に立ったのは、人の身であり、異能とすらもなりえなかった。決して弱い訳ではない、ただ、目の前にしたものが、あまりにも人とかけ離れていただけ、ということ。

 そこに、咎はない。咎はなくとも、平等に結果は生まれる。

 いや、咎は、ある。異能を体現した力を、使わせた、本気にさせた、その強さこそ、咎。

 

 なれど。

 結果は、それこそ平等。人の身であろうが異能の身であろうが、同じように結果は出る。

 それを覆すことが出来るとすれば、それは、本当の意味で、怪物でしかない。

 であるならば、坂下は、怪物ではない。

 人の身であることを、坂下はいつだって切実に感じている。怪物を目の前にして、ただ脚をすくませなかったことだけを誇りにするような恥知らずに、人の枷ははがせない。

 だから、こめかみと右腕から血を、特に右腕からは危険などではないか、と思うほど流し、すでに使い物になるようには思えなかった、鎖によって青い痣を腕全体につけられた左腕を持ちながら。

 その左腕を突き出して、その拳を打ち出して、そして立っている坂下の結果を生み出したのは。

 異能ではなし。

 ましてや、怪物などでは、悔しいが、ない。

 余すことなく、まぎれもない、坂下の力によるもの。

 全身にありえない痛みを感じながらも、坂下は、その左腕を、下ろさない。痛みで下ろせないこともあるが、下ろさない。

 前に突き出したままの拳が、倒れたチェーンソーにとどめを刺せる訳でもないのに。

 が、満身創痍の坂下を前に、今それを指摘出来る者はいない。というよりも、この結果を、納得出来ていない。結果は分かっても、何が起こったのか、その疑問が、結果すら現実のものとしてとらえるのを阻害する。

 坂下は、チェーンソーの鎖を、見ることは出来なかった。すでに目視による認識は、不可能であることは明かだった。ありえないスピードは、人の生物としての限界を超えていた。

 しかし、それでも、坂下は、それを認識した。それが何であるのか、ということを、坂下は正確には説明出来ない。経験とも言えるし、勘とも言えるかもしれない。超常的な力だ、と説明されれば、落とし所を探して、坂下自身納得してしまいかねなかった。

 しかし、それは坂下の人としての力であることは、疑いなどなかった。何故なら、坂下は、確信していたのだ。自分は、攻撃を認識できる、と。

 出来ないのならば、自分は、あのときからまったく成長できていないということになる。

 坂下を支配した思いは、それだった。葵のときは、威力はともかく、タイミングに関しては偶然の要素が多い。しかし、あのときですら、坂下は夜も眠れぬほど苦しんだのだ。

 負けたことが、ではない。坂下の冷静な目は、葵と戦えば負けることもあるだろう、と冷静に考えていた。それが完全KOという形でついてしまったのは、葵の一撃の威力を誉めるしかないところだ。

 だが、坂下は悔いた。綾香との、最後の真剣勝負と、同じだったからだ。

 認識できない、一撃。あれで、坂下は負けたのだ。生まれた中で、一番手痛いKOを、あれで受けた。

 認識できない攻撃がある、ということ自体が、坂下のプライドをズタズタにした。いや、もちろんそういうことはあるだろう。しかし、あのとき認識出来なかったとしても、成長すれば、それすら認識出来るはずだったのだ。

 葵に負けて、寝ることも出来ないほどに恥じたのは、綾香と戦ったときと、自分があまりにも成長していなかったから。

 細部は伸びただろう。しかし、それでも、勝てなければ一緒なのだ。負けた、あのときと一緒ならば、それに意味などない。

 だから、認識できる、と思ったのは、確信よりも盲信に近いかも知れない。成長は自覚出来ても、だからと言って人を上回れるか、というのは別の話だ。

 だが、坂下はそれを同じと考えた。出来なければ、それは坂下という人格の崩壊すらも招きかねない、全幅の信頼を持って。

 そして、それに坂下は、成功した。

 だが、それで終わりではない。その攻撃を、坂下は、認識するだけでは、足りないのだ。

 例え、認識出来たとしても、そのスピードは、坂下の運動能力を遥かに凌駕し、回避する術など、なかったのだから。

 ない、はずだった。

 

続く

 

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