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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(365)

 

 地に伏した状態から、草むらに潜んでいた蛇が獲物に飛びかかるように、チェーンソーの鎖は、飛び込んでくる坂下に向かって打ち出されていた。

 およそ、体勢を考えれば、常識からは考えられないスピードを持って、鎖は獲物に飛びかかっていた。

 いかな坂下とて、それは正直予測などしていなかった。

 普通ではなくとも、すでに試合は決しているはずだったのだ。チェーンソーの異能の技を、坂下が真っ向から神技とも言える受けによって突き崩した瞬間に、勝負は決している。

 交差法の、最終進化形とも言える、坂下の受けは、まさに神技だった。相手の攻撃を受けるのと同時に、相手へ攻撃を当てている。それどころか、相手の技の威力を自分の力としているのだ。神技と言わずして何を神技と言えようか。

 それを踏まえた上で、チェーンソーが、ここでこれほどの反撃をしてくるとは、坂下には予測できなかった。

 予測できなかったと言えば、むしろ坂下は、自分の行動自体に説明がつけられない。

 すでに、両腕は簡単に動くような状態ではない。傷が残るのは仕方ないとしても、この試合の中で、自由に動かすことは不可能だろう。

 しかし、坂下は、動いたチェーンソーに向かって走り込んでいたのだ。

 腕が動かなければ、蹴りだってバランスを取ることが出来ずに、威力が半減する。下手な攻撃は、防具をつけているチェーンソーには、効かないのだから、その防具を抜くだけの威力のある打撃を、放たなければならないというのに。

 坂下は、蹴りの射程よりも、さらに奥まで入り込んでいた。拳も肘も使えない以上、それは打撃の範囲ではない。蹴りも、この距離からは放てない。

 それどころか、むやみに近付いた分、チェーンソーの攻撃に、自分の身をさらすという愚さえ犯している。救いようのない愚かな行為だった。

 だが、坂下はこのとき、正直何も考えていなかった。何も考えずに、身体が勝手に動いていたのだ。

 可能性、の問題で言えば、蹴りの放てる位置というのは、鎖が当たる丁度良い位置とも言える。ましてや、腕が動かない状況では、バランスを取るのにも一苦労するだろう。そういう意味で、飛び込むことは正しいかもしれない。

 しかし、飛び込んだ以上、逃げる場所などないし、唯一残された逃げる場所、下に動いたとしたら、出せる攻撃など、まったくない。

 坂下は、訳も分からないまま、身体に、全ての動きを任せていた。それは、まるで悟りを開いているかのような達観に似ていた。

 ヒュバッ!!!!

 そして、訳もわからないまま、チェーンソーの鎖を、かいくぐっていた。

 やぶれかぶれ、というにはあまりに鋭いチェーンソーの鎖が、かがむどころか、膝の高さまで上体を落とした坂下の上を通過していた。

 もし、坂下が近付いて来なければ、こんな回避は不可能であった。遠い距離にいたならば、チェーンソーは、やぶれかぶれだろうと、とっさだろと、避けられることを念頭に置いて攻撃をしていただろう。

 しかし、近付いて来る坂下の頭を捉えるべく、チェーンソーは、鎖を上に向けて放っていた。身体では、一撃で倒せない以上、それしかなかったのだ。

 もっと言ってしまえば、坂下の前進のプレッシャーに押されて、チェーンソーの攻撃がうわずったのだ。

 精神的なものではない。それは、技術だ。幻影とも言える。かがんでいる状態で、相手が近付いて来れば、実際よりも上にあると錯覚してしまう。普通は、そういうものを重ねて、相手の隙を作るのだ。

 もちろん、高度な話で、一朝一日で出来るものではない。だが、今の坂下は、それを当然のごとく行使した。

 ありえない虚空を、その異能の鎖が引き裂いた後、しかし、それでも試合が終わった訳では、勝負がついた訳ではなかった。

 坂下の、今の体勢から出せる技など、ありはしない。

 ズドンッ!!!!!

 はずだった。

 結局、この最後の、大砲のような音が、試合の最後となる技の音であった。

 伸びるはずのない腕、出るはずのない脚、それを踏まえた上で、しかし、それを無視して、チェーンソーの頭部が、はじけ飛ぶように揺さぶられた。

 一度地面に叩き付けられたチェーンソーのフルフェイスで守られた頭部は、膝を支点にして浮き上がった。

 そして、膝をついたままではあったが、チェーンソーは、上体を起こして、坂下を、そのフルフェイスの下から睨み付けた。

 膝をついたまま、上体を起こしたチェーンソーを見て、誰しもが、それでも、立つのか、と恐怖すら覚えた。

 だが、それも、ほんの二、三秒のことだった。

 実際のところ、そのときのチェーンソーに、意識があったかどうかは、誰にも分からなかった。分かっていることは、そのまま、チェーンソーは、力なく後ろに倒れた、ということだけだった。

 今度こそ、チェーンソーの身体は、ぴくりとも動かなかった。

 交差した二人の間に、何があったのか、観客達にも見えていた。少なくとも、技自体のスピードは、先ほどの異能と神技の交差に比べれば、大したことはなかった。そのはずだったが、多くは、何が起きたのか理解不可能であった。

 最後の重い音は、チェーンソーの頭部に打撃が当たる音であったのと同時に、坂下の踏み込みの音でもあった。それは、ほぼ同時に起こった事象である。

 そこに、多少の時間差はあっても、ぶれ、というものはない。何故なら、それは同時に起こるべくして起こるものであったからだ。

 踏みまれるべき右脚の膝が、チェーンソーの頭部に叩き付けられると同時に、踏みこまれたのだ。いや、踏みこまれると同時に叩き付けられたのか、どちらが先だというのは、判然としない。

 普通、膝は下から上だ。真っ直ぐ打つこともかなわないので、そのリーチの短さも相まって、実際のところ、なかなか使い所が難しい技でもある。総合格闘技では組み付いての打撃が頻繁に起こることがあるのでまだ使い勝手があるが、単純に対峙した状況では、当てる場面は限られる。

 しかし、坂下の膝は、普通とは違った。

 地面をすべるようにして踏みこんだ坂下の膝は、そのままやや上から下に向けて、踏み込みを入れるのと同じ要領で振り下ろされ。

 前進の力を余すことなく持ち、普通ならばそこで止まって、その威力を上半身に伝えるはずの踏みこんだ脚は、その力を身に持ったまま、ひれ伏したチェーンソーの頭に突き刺さったのだ。

 坂下一人の、前進の力、それは、危険なレベルに達している。それを直撃で受けたチェーンソーは、まったく逃がしきれなかった威力で地面に叩き付けられ、それでも足りずに、地面ではねたのだ。いくら防護の恩恵があったとしても、ひとたまりもなかった。

「conclusion(決着)!!」

 赤目が、試合終了の合図を出したのは、むしろ誉めるべきだろう。誰もが圧倒され、試合がすでに終わっていることにすら、気付けなかったのだから。

 ただ一人、これだけいる中で、本当に試合が終わったことを赤目よりも意識出来たのは、ただ一人だった。

 バランスも崩れない、人一人の重さを一点にまとめられて踏み下ろされた膝は、例えそれまでダメージをまったく受けていなかったとしても、一撃必倒の威力を持って。

 この、異常と異能と、どこか不毛な戦いを、やっと終わらせたのだった。

 

続く

 

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