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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(369)

 

「寺町……さんが、北条鬼一の弟子になるそうです」

 一応、初鹿に気を使ったのか、ランは、寺町をさんづけで呼ぶ。まあ、その名前とさんの間にけっこうな時間があったので、取って付けたのは明かだったが。

 が、浩之が突っ込むべきは、そこではない。

「まじか?! いや、お似合いだと思うけどさ」

 柔らかいというか、のほほんとした笑顔で、初鹿も話に加わる。

「弟が言うには、わざわざ家に北条鬼一氏がお見えになったらしいですね。私は、そのとき家にいませんでしたから、お会いすることは出来ませんでしたけれど」

 夜の公園での練習中、ランニングの後の、息を整える僅かな時間、浩之とラン、そして初鹿は、三人で話をしていた。

 ランは、見たところ、前よりは元気があった。チェーンソーの正体がばれたときは、本当に蒼白で、浩之は心配で仕方なかったのだが、それもどうやら落ち着いたようだった。

 初鹿の方は、チェーンソーの状態で坂下にKOされるほどのダメージを受けたにも関わらず、見た目にはまったくダメージを残しているようには見えなかった。

 昨日の今日であるので、ダメージが消えた訳ではなく、坂下と違って、表面に出るようなダメージを受けなかっただけだろう。

 それでも、昨日の今日で歩けるってのは、やっぱり普通じゃないよなあ、と浩之はしみじみ思うのだった。

 凄いものが凄いというのは、いつも通りのことで、そこには今更どう言うつもりもない。ただ、浩之は、どうしても違和感を感じずにはおれなかった。

「……寺町が初鹿さんの弟、というのは今でも非常に違和感があるんだが」

 あのバカだ。言わずもがなあのバカだ。おまけにあのバカだ。三回言っても足りないぐらい、バカであり、危険な格闘バカである寺町。それと、浩之の横で、柔らか〜い笑みを絶やさない、上品な初鹿が、どうやったところでかみ合わない。

「似ていない、とはよく言われます。似ている似ていないを置いておいても、不肖の弟ですけれど。私としては、もう少し、落ち着きがあってもいいと思うのですが」

 ふぅ、と初鹿は珍しくため息をつく。愛情すら感じられる身内への文句、とでも取れば微笑ましくも感じれるのだが。

 いや、あれは落ち着きとか、そういうレベルの話か?

 浩之のごもっともな意見は、口の中だけに止めておいた。色々地雷が多すぎて、下手なことを言えない状態に浩之はいるのだ。

 さらに話によると、寺町家はけっこうな資産家らしく、初鹿はよく似合っていると思うのだが、寺町は物凄く似合わない。

 ま、それより何より……

 寺町が北条鬼一の弟子になる、というのはスルーしておけない話だ。

 『鬼の拳』という異名を持つ、伝説の空手家、北条鬼一。どれぐらい伝説かと言うと、その伝説の強さを持っている癖に、夜の街でわざわざケンカを買いに回るぐらい大人げない。

 その鬼の拳を真似て、しかしまったく違うものと成した、寺町の打ち下ろしの正拳。

 エクストリーム予選で、浩之が、負けた相手。

 実力的には、負けて当然の相手だった。しかし、浩之は、それでも後一歩のところまで追いつめた。いや、寺町でなければ、同程度の実力の別人なら、浩之が勝てていたかもしれない。それほどまでに、追いつめて、しかし、勝てなかった相手。

 北条鬼一が、教育者として優れている、という話は聞かない。何せ、自分の伝説の拳を、「ただ力まかせに殴るだけ」と表現するような無茶な人間だ。人に物を教える気があるようには見えない。

 館長を務める練武館も、あれほど大きくなれば、何も北条鬼一が教える必要はない。もっと教育者に向いた人間は、組織の中にいくらでもいるだろう。

 北条鬼一に、教えを請う。意味がないどころか、むしろ弊害さえ出て来そうだ。

 だが、そこに、同じ種類っぽいバカを置いたらどうなるだろう?

 壊れるか、化けるか。

 二者択一、北条鬼一の性格を考えるのならば、多くは前者だろうが、それすら越えかねないほど、寺町はバカだ。

 寺町は、浩之にとって、どう言っても、敵だ。浩之から見れば、ライバルと言ってもいい。自分が、エクストリームで唯一負けた相手だ。こだわるな、という方が難しい。

 その寺町が、あれ以上強くなる可能性がある、と聞けば、正直平常心ではいられない。

 最終目標は綾香だが、その前に、借りを返す相手として、寺町は浩之の前にいるのだ。寺町が、他の誰かに負けることはあるかもしれないが、戦えば、今度こそ勝たなければならない相手。

 寺町の格闘技の才能、というか格闘バカは、なるほど北条鬼一が目をつけるだけのものだと思う。

 それに、俺が勝てるか?

 師匠の無茶具合ならば、浩之だって負けていない。しかし、本人の実力差、才能差、教えてもらう技術との相性など、総合的に考えて、浩之の方が、明かに不利だった。

 いや、何というか、今更だろ。

 浩之は、一人苦笑した。考えてみれば、本当に今更の話だ。

 エクストリーム予選三位。つまり、予選ですら、単純に考えれば二人自分より強い人間がいるということだ。

 それが全国から集まって来るのだ。浩之より強い相手には事欠かないだろうが、弱い相手など、探す方が難しいだろう。寺町だって、例え北条鬼一に鍛えられたとしても、勝ち残れるかどうかすら怪しい。

 予選一位になった北条桃矢ですら、そうだ。出ている選手全員が、その恐怖に怯えているのだ。

 だから、今更。最弱であろう浩之が、今更相手の成長を想像して頭を悩ませる意味など、これっぽっちもない。

 だいたい、それよりも、今は気になることがあるんだしな。

 気になるというか、違和感は、寺町家の姉弟関係よりも、その姉に集中していた。

 初鹿さんが、チェーンソーねえ。

 今でも、まだどこか信じられない。この柔らかい笑顔を保った人が、あんな鬼神のような強さを持って、鎖で全てをなぎ倒す、など、現実と想像、両方を凌駕している。

 寺町と初鹿の関係に違和感を感じるのは、初鹿=チェーンソーが、まだ頭で納得出来ていない、というのも大きい。

「どうかしましたか、浩之さん。人の顔がそんなに珍しいですか?」

「あ、いや……」

 どうも、初鹿を凝視していたらしい。初鹿に言われて、浩之は視線を外した。ただ、責めている様子はない。どこか、浩之をからかって楽しんでいるように見えた。

 柔らかく、底が見えない。それが、浩之が初鹿に抱くイメージだ。怖い、と思ったことは、多分ない。

 そして、今日の初鹿も、底が見えなかった。初鹿は、ベンチから腰を上げる。

「それでは、私は帰りますね」

「え、初鹿さん、もう帰るのか?」

 先ほど合流したばかりだ。確かに、浩之とランが組み手をしている間は、初鹿は何も出来ないし、そもそも、このレベルの組み手を見る必要があるほど、チェーンソーのレベルは低くないが、しかし、こうも何もせずに帰る、というのは珍しい。

 というか、相変わらず、何を考えているのか、分からない。

「ええ、今日は少し、浩之さんとランちゃんの顔を見に来ただけですから。邪魔者は、すぐに退散しますよ」

「邪魔者って……」

 意味が分からない初鹿のセリフに浩之が戸惑っている間に、初鹿は、柔らかく、上品に頭を下げた。

「それでは、お二人共、おやすみなさい」

 自然で上品な、しかし、取って付けたような挨拶に、やはり、底は見えなかった。

「ん、じゃあまたな、初鹿さん」

「おやすみなさい、初鹿さん」

 ランは、そんな初鹿の唐突な行動にも、まったく動じた様子はなかった。むしろ、落ち着きすぎている、とすら浩之は感じた。

 もう一度、軽く頭を下げて、初鹿は静々と夜の公園を歩いて行く。その、酷くゆっくりな歩調が、唯一初鹿の身体にダメージが残っていることを浩之に教えた。

 そして、残される浩之とラン。

「あの、浩之先輩、いい、ですか?」

 言葉につまりながらも、どこか落ち着いた風な、矛盾したランの声に、浩之は、おや、と思いながらも、笑顔で答えた。

「ん、どうかしたか、ラン?」

 浩之の笑顔を見たとき、ランの顔に一瞬浮かんだのは、痛々しいぐらいの、苦渋の表情であった。

 

続く

 

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