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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(370)

 

「ん、で、改まって何だ?」

 口調こそいつも通りだったものの、ランの普通ではない表情を見て、浩之は真面目な顔になった。ランが、何かしら重要なことを言いたいのだと感じたのだ。

 ランは、本当に少し、数瞬だけ迷ってから、ベンチに座る姿勢を正して、身体を浩之の方に向けた。

「まずは、謝罪と、お礼を」

「謝罪?」

 浩之はいぶかしげな声で答える。というより、お礼を言われることだって、浩之には想像がつかなかった。

 この夜の練習は、ランから見ればお礼を言うべき内容なのだろうが、これはこれで浩之自身の為にはなっているのだ。自分が理解していると思っていることでも、人に言うことで分かっていないことに気付いたり、より深く理解したりすることは多い。そういう意味で、このランとの練習は、浩之に深みを与えているのだ。

 実力的には、一緒に練習出来るほどのレベルではなかったとしても、だからと言って役にたたない訳ではないのだ。それを言うと、浩之は葵の役にはまったくたたないことになってしまう。しかし、葵は浩之に心から感謝しているだろう。

 実力が高い、というのは大きいことだが、それだけで話が終わるほど、浅い話でもなかった。

 だから、浩之には、感謝されるようなことではない、という認識がある。さらに言えば、謝罪されるようなことは、何一つされていないと思っていた。

 まあ、多少の嫌がらせ程度であれば、鈍感な浩之は気付かないかもしれないのだが。

 浩之の思いとは別に、ランは、大きく、頭を下げる。心から反省している、と誰しも思うような真摯さが伝わってくる姿だった。

「色々と、すみませんでした」

「いや、別にランに謝られるようなことは何もされてないって」

「そんなことはありません。最初に、浩之先輩を襲ったときから考えても、自分で自分が嫌になるほど、失礼なことをして来ました」

「……あー、一般的に見れば、確かに遅うのはまずいか。まあ、俺は綾香達とつるんでいるからなあ。あれぐらい慣れたものだから気にしてないって」

 襲われたことはなくとも、来栖川綾香と言う、もっと非常識で絶大な暴力の前に、いつも浩之は身をまかせていたのだ。しかも、ランとは違い、回避不可能な上に、坂下のような助けてくれるような相手もいない。

 あれと比べれば、ランの行いなんて、かわいいものである。

 しかし、浩之の本心からの言葉にも、ランは首を横に振る。

「それだけじゃありません。最初のころ、私、浩之先輩を、軽蔑してました」

「う……それは、まあ、少しは気付いてたけどさ」

 ランは、坂下に懐いた最初のころ、確かにあまり愛想の良い方ではなかったし、鈍感な浩之でも、どこか嫌がられているというか、なめられているようには感じていた。というか、あからさまに軽蔑の目で見られていたような気さえする。

 しかし、それが別に問題のあることだとは、浩之としては、正直感じていなかった。見たところ、裏で悪口を言うようなタイプではなかったし、それは坂下と比べられると、男としても人間的にも実力的にも劣る、というのは自覚があったからだ。

 もっとも、ここまでなら、普通でもいるタイプだ。直接何か被害を被らない限り、嫌われていても近付かなければいいだけなのだから。

 浩之が普通と違うとすれば、それでも途方に暮れるようにしていたランに、声をかけたことだろう。

 基本的に、立場とか性欲とか恋愛感情とか損得勘定とか、そういう何かしら付随したものがない限り、人は自分を嫌う相手に気を使うなど出来ない。

 浩之には、あのとき、立場も性欲も恋愛感情も損得勘定もなかった。

 あるとすれば、浩之のサガ、みたいなものだろうか。

 あのとき、ランは浩之の言葉で救われた。浩之なら、もともとランの中にあったものだ、と言い張るのだろうが、ランはランで、あれは浩之に与えられたものだと、考えを曲げないだろう。

「最初は、私の口の利き方は酷いものでしたけど、今は、感謝もしていますし、尊敬もしています。だから余計に申し訳ない気持ちになるんです」

 いつの間にか、浩之相手には、敬語を使うようになった。最近覚えた、立場として敬語を使っておこう、というレベルではなく、坂下に対するような、心から敬意をはらっての言葉だ。

「いや、そこまで言われると……」

 浩之は、少し照れる。それは、確かにランからは、信頼の念を受けるようになったのは気付いていたが、こう直に言われると、流石の浩之でも少し恥ずかしい。

「それに……」

「まだあるのかよ。俺、別にどれも気にしてないぞ?」

 謝られるのは、正直嬉しいことではなかった。この後輩が、それほど自分に気を使ってくれているという事実に、むしろ、浩之はランに対して、申し訳なく感じていた。

「浩之先輩が気にしないでも、私が気にするんです」

 それは、本当に謝罪なのか、浩之は少し疑問に感じたが、それを言うことはなかった。

 それで、ランの気が晴れる、というのならば、いくらでも謝罪されよう、と浩之は考えたのだ。自分が少し恥ずかしいだけで、このかわいい後輩の気が楽になるのならば、おつりが来るぐらいだ。

 その浩之の気持ちが、何とも言えない優しい笑みとして顔に出たとき、ランは、顔を真っ赤にして、目をそらした。嬉しくて、しかし、恥ずかしくて、直視出来なかったのだ。

「そ、それに、初鹿さんのこと、黙っていてごめんなさい。試合前には、初鹿さんの正体を、私は知らされていました。初鹿さんは自分が黙っておくように言ったと言いましたけど、言わなかったのは私の独断です」

「いや、それもいいよ。知らなかったからって、困ることもないし」

 正直、初鹿が何故、最初浩之を襲って来たのか、浩之にはそこだけ理解できなかったが、今この瞬間、ぴたり、と針が重なった。それが、違和感をも、全て洗い流す。

「……ああ、なるほどな。やっと理解出来た」

「え?」

「ああ、いやさ、初鹿さんと寺町、初鹿さんとチェーンソー、どうやっても印象がつながらなかったんだけどさ。考えてみたら、チェーンソーと寺町は、簡単につながるんだな」

 それは、つまり初鹿が、寺町のように、自分の思っていることをバカ正直に口に出していないだけの差なのかもしれない。

「寺町は、目の前に強そうな相手がいれば、とりあえず戦ってみるタイプだ。初鹿さんが俺を襲ったのも、多分、同じような理由なんだろう。ま、実力が俺だと全然足りない気もするけどな」

「……言われてみれば」

 寺町を数回しか見たことのないランだったが、それでも性格が理解出来るほど、単純明快でバカらしい性格をした寺町。言われてみれば、面白そうな相手には、片っ端からケンカを売っていきそうだ。

 だから、初鹿も、ただ楽しそうだったから、浩之を襲ったのだろう。実際、そんなことを初鹿は言っていた。それをランはいまいち納得出来ていなかったが、なるほど、寺町を置いてみれば、理解は簡単だった。

「話がそれたな。ま、俺は気にしてないけどさ、ランが謝りたいって言うならいいさ。言ったように、気にしてないから、ランが黙っていたことも許すしな」

「ありがとうございます、それと、すみませんでした」

「だから気にしてないって。くすぐったいから、それぐらいで止めてくれよ」

 もう一度大きく頭を下げるランを、浩之は笑いながら止める。

 ランは、クスッ、と笑った。その姿は、どこにでもいる、かわいい女の子のようで、その点だけは、浩之は良かった、と思うのだった。

 ここで終われば、ほのぼのとした良い話、で終わるのだろう。

 しかし、これだけでは、話は済まないのだ。

 

続く

 

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