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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(371)

 

「それで、お礼の方なんですが」

 律儀だなあ、と浩之は、半ば感心しながらランの言葉を聞いていた。

 ランから見れば、感謝されるようなこともあったのかもしれないが、浩之としては、謝罪も、感謝も必要だとは思わなかった。浩之は、基本的に浩之のやりたいようにやってきただけなのだ。

「この公園で、浩之先輩に会ったときのこと、覚えてますか?」

「ん、ああ」

 ランと仲良く話が出来るようになったきっかけ、と言えばあれだ。思い詰めた顔をしていたランに、浩之がまたいらないおせっかいをした日だ。

「あのときのこと、本当に感謝しています。ありがとうございました。あのとき、浩之先輩に声をかけてもらわなければ、あの後、タイタンに勝てたとは思えません」

 何度目になるのか、ランはその中でも、一番深く頭を下げた。

「気にするなって。おせっかいだなあ、と自分でも少し思ったしな。それどころか、あんまり親しくない女の子に、気易く話しかけて、ランも気分を悪くしたんじゃないのか?」

 頭を上げたランは、切なくなるような苦笑をした。

「正直に言えば、最初は」

「やっぱりそうか。いや、悪かったと思ってる」

 浩之の、おふざけのような、しかし偽らざる謝罪に、ランは首を横に振った。

「勘違いしないで下さい。迷惑だと思ったのは、最初の一分程度です。あのとき、自信のなかった私に手を差し伸べて助けてくれたのは、間違いなく浩之先輩で、私はそれに、凄く感謝しています」

 浩之としては、一度話を聞いただけであり、大したことはしてない、どころかおせっかいだったと思っている。

 しかし、それが分かっていても、同じ場面になれば同じことをするだろう自分のことも分かるので、感謝されるのは少し違うのでは、と思ってしまうのだ。

 だが、あまりにもランの目が真剣であったので、感謝の気持ちを突っぱねるのも悪いか、と思い、一応、気持ちだけは受け取ることにした。

「そっか、まあ、ランの役に立ったんなら、俺のおせっかいも報われるってもんだな」

 冗談めかして、ニッ、と浩之は笑った。

「は、はい……」

 みるみる、ランの顔が赤くなっていったのだが、街灯だけの暗い中で、浩之はその変化に気付かなかった。そもそも、この天然は、自分がどれだけ相手がとろけそうな笑顔をしているのか、気付いていないのだ。

 ランは、先ほどの真摯な表情ではなく、顔をしかめて目をそらし、胸を押さえている。どうかしたのか、と聞こうとした浩之だったが、その姿が、思ったよりもかわいかったので、とりあえず少しだけ観察にまわっていた。

 その間に、ランは自分を取り戻したようだった。

 浩之には理解してもらえない、その、胸の締め付ける痛みを何とか落ち着かせ、いや、それは出来ないので、何とか我慢して、ランは、再度浩之の方に顔を向ける。

「と、とにかく、一度、ちゃんとしておこうと、ずっと思っていたんです。恩を受けて、それを放っておくのは、私のプライドに反しますから……」

 ランにとって、実際のところ、自分のプライドなど、むしろどうでもいいことなのだが。

 ただ、今この時が、今までのことを、はっきりしておかなければならない時であった、それだけのことだ。そうしなければ、もっと時間が経った後、ランは自分が絶対後悔するだろうことが予測出来た。

「その、言わなくても、浩之先輩なら、理解してくれるし、許してくれるのは分かっていました。でも、私は……」

 自分の都合ばかりだ、とランは自嘲していた。

 謝罪も、お礼も、全部ランの為にしているものだった。浩之に向けられているとは言え、所詮それは自己満足だ。浩之にランの言葉が通じていたとしても、結局、本当なら言わなくても、いいことのはずなのだ。

 しかし、そんなランの葛藤を、浩之は、ゆるやかに、笑って流す。

「だから、気にするなって。ランが言いたかったんだったら、それは俺が聞きたかった言葉だって」

「そうで、しょうか?」

「ああ、謝罪は、まあいらなかったからどっちでもいいけどさ。お礼は、言われた俺としては、けっこう嬉しかったぜ? 何せ、いつもいらないことしては、墓穴掘るのが俺だからな」

 普通ならば、いらないことをする、というのは、墓穴を掘るなどということだけでは済まない。本人に、まったく報われる気がないことと、自身の能力の高さが、その程度で事を済まさせているのだ。

 おせっかいを焼く、というものの怖さを、浩之は、言葉の意味では分かっていないようであるし、しかし、本当の意味を、やはり理解しているのかもしれない。

 それほど、怖く、危険なものなのだ。おせっかいは、どれほど相手の為になると感じたところで、相手どころか、自分をも巻き込み、炎上するものなのだ。

 見返りを求めるのではない、その行為自体をやらずにはおれない。それが浩之という人間の、覆しがたい性癖であるのだ。

 だが、だからと言って、報われたとき、感謝されたとき、それを喜ばないほど、浩之は人間が曲がっていない。素直に喜べるだけの、真っ直ぐな感性を持っている。

 だから、感謝されて、素直に喜んだ。その嬉しそうな笑みが、どれほど今相手を灼いているのか、理解出来ていない、致命的そのものと言える失敗をしているにも気付かずに。

 その嬉しそうな笑みが、どれほどランの気持ちをかき乱すのか、浩之は分かっていない。かき乱す、と分かっていても、それをずっと見ていたい、とランが思っていることにも、やはり気付かないまま。

「それで、これはまだ前置きで、本題に入る前に、もう一つ、いいですか?」

「ん? いいけど」

「実は、今回の試合は、私は初鹿さんの方を応援していました」

「へえ、それはちょっと意外かも」

 ランが、坂下に対して抱く感情は、師匠に対するものに近いと思っていた。実際、あれから坂下はランを鍛え、前に戦ったときには勝てなかったタイタンを、見事倒している。

 それは、従順な教徒のようなものだと、浩之は思っていたのだ。坂下の言う言葉なら、何も疑問に思わず、全て正しいと思って聞く、と。実際、ランにはそういう部分があるような気がする。

 浩之の察する通り、ランは依存型だった。今までは、姉やチームに、坂下に会ってからは坂下に、そして、初鹿に。浩之は分かっていないだろうが、浩之に。誰かの姿がなければ、ランは満足に動くことも出来ないのかもしれない。

 しかし、だからこそ、一番心頭していると思われていた坂下を応援せず、初鹿の応援に回ったのは、いつものランらしくない、と浩之は感じていた。

「前日に、今回はチェーンソーの方を応援します、と、ヨシエさんにも言いました」

「それは……」

 聞きようによっては、坂下に反抗しているようにすら聞こえる。坂下は、決して酷い性格ではないが、自分をないがしろにする相手に、慈悲の心を与えるようなタイプであったとは、浩之の記憶には、ついぞない。

 何かしらの決意の表れであったのだろうが、そのランの度胸に、珍しく、浩之は驚かされたのだった。

 

続く

 

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