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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(372)

 

「そりゃ、また思い切ったことしたなあ」

 ランの言葉に、浩之はそう返すしかなかった。

 坂下は、決して理不尽な性格ではない。綾香を基準にしているので、もしかしたら一般人として考えると、かなり理不尽なこともあるのだろうが、とりあえず、多少手が出るのが早いこと以外は、常識人と言っていいだろう。

 しかし、少なくとも、その中で、手を出してはいけない場所というものがある。

 浩之が、おせっかいを止めれないように。

 坂下にも、おそらくは本人にも、止めようと思ってもどうしようもないことが、ある。止めよう、とすら思えない、そういう性癖がある、と浩之は見ていた。

 それは、自分がないがしろにされることだ。

 結局、葵と坂下との試合、あれは、綾香が坂下を挑発したのもあるが、何より大きかったのは、葵が空手を、しいては坂下をないがしろにした、と坂下に思われたことだ。でなければ、あんなに簡単に、坂下は試合をしようなどとは言わなかっただろう。

 いや、坂下が好戦的であるのは嘘ではないし、それが普通でなくとも、試合ぐらいしたかもしれない。しかし、あのときの葵は、どう見ても乗り気ではなかった。それに気付けないほど、坂下は後輩のことを見ていないとは思えなかった。

 であれば、坂下は、わざと見逃したか、それに気付けないほどに何かにとらわれていたか、だ。

 本当のところは、どちらかは分からない。しかし、それは坂下自身にも、制御不能であったことは明かだった。道理も通っていないことを、嫌がる後輩にするなど、坂下らしくないことこの上ない。

 依存を良し、とは言わないだろう。坂下がそういう依存を受けて楽しむタイプとはとても思えない。しかし、だからと言って、ないがしろにされたとき、それを容認できるような性癖では、決してない、と浩之は思うのだ。

 ランの行為は、かなりピンポイントで、坂下の触れてはいけない箇所に触れている。それを知らなかった、では通らない。知らなかったから許せるようならば、そもそも、とうの昔に坂下自身がどうにかしているだろう。

「私も、空手部から退部する覚悟で、ヨシエさんに言いました」

「や、それぐらいで済めば御の字かもしれないと俺なんかは思うんだが。また、何でそんな怖いことを?」

 浩之の半分冗談は、ランにとっては冗談ではない。

 本当に、それぐらいの覚悟で、ランはあのセリフを言ったのだ。それが、どれほどの覚悟なのか、浩之には理解されていないようだが、本当に勇気と、そして覚悟を必要としたのだ。

 ランにとっては、本当に居心地の良い、まあ、役一名ほど嫌いな人間もいるが、それ以外は、理想でも思えなかった人間関係を、ランはあの空手部で得た。

 それを捨てるなど、一体どれほど覚悟しなければならないのか。

 しかし、ランは覚悟した。その理由がまた、笑えるのだ。

「覚悟するための覚悟、というのは、変な感じですが、言葉にするなら、そうとしか言えませんね」

「ごめん、分からないんだが」

 その言葉だけでは、浩之にはまったく分からなかったようだった。さもありなん、ランは、重要なことをまだ何も口にしていないのだから。

「まず、私には大きな目標がありました」

 大前提であり、二番目に重要なことだ。

 そして、ランとしては、坂下にチェーンソーを応援する、と言うよりも、よほど危険な言葉でもあった。そう、順番から言えば、二番目に危険な言葉だ。

「来栖川綾香を、倒すこと」

「……」

 浩之は、その一言だけで押し黙った。先ほどまで、まるで我が子を見守る母のように穏やかだった顔から、笑みが消える。決して、敵対的なものは含まれなかったが、その変化は劇的だった。

 仲の良い、いや、愛する相手を殺す、と言われたところで、こんな顔にはならないだろう。そもそも、ランへ対する、敵意はまったくないのだから。しかし、それを、友好的とは、とても言えない。

 いつもなら、どこか余裕があり、何かしらのプラスを含んだ浩之の雰囲気が崩れ、マイナスのものが出ているのを、ランは初めて見た。浩之にそうさせている、という事実が、ランには何より痛かった。

 自分が、そんな感情を向けられることよりも、浩之にそうさせてしまったこと、浩之にそうさせるほど、浩之の中で、来栖川綾香の締める割合が大きいこと。そのことの方が、何倍も、何十倍も。

「私では一生不可能なことは、十分理解させられています。それに、別に私にとっては、それが私ではなくとも、何ら困るものではありません」

「……そうか」

 それを聞いて、浩之が安心したように、肩を落とす。先ほどまで出ていた、マイナスのものが、すでに感じられない。ほんの数秒の時間だけだったので、それが幻ではなかったのか、とランが思ったほどだ。

「冷静に、本当に冷静に考えた結果、私が知っている中で、来栖川綾香に勝てる人間は、二人しかいませんでした。一人は、ヨシエさん、そして、もう一人が、そのときになって正体を教えてもらった、チェーンソー、初鹿さん」

 マスカレッドすら、綾香の前には、膝を屈した。あのマスカレッドが、力業で負けたのだ。何のいい訳も出来ないほど、完膚なきまでに負けた、と言えるだろう。

 あれほどの猛者が、マスカレイドで一度しか負けていない、マスカレイドの化身とも呼べる選手が、圧倒的なまでの力業で負けた。終わってみれば、結局、来栖川綾香という怪物の強さを、まざまざと見せつけられただけだった。

 来栖川綾香という怪物の力は、ランのような矮小な者には納得どころか理解すら不可能な存在なのだ。

 それでも、あの二人ならば、とランは考えた。そして、選んだ。

「私は、来栖川綾香を倒すことを、チェーンソーに、初鹿さんに賭けたんです」

 選んだ理由は、しごく単純なものだ。

 武器持ちであること。防具があり、相手の手段を限定させられること。防具に頼っていないこと。そして、ただ強いだけではない、何かしら得体の知れないものを持っていること。

 坂下は、単純に強い。その実力を疑ってもいないし、坂下ならば、綾香に勝てるとすらランは思っていた。

 しかし、どちらに勝ち目が多いのか、と考えたときに、初鹿は、最終的にチェーンソーを選んだ。今まで、正体を気付かせなかった、いや、疑われても、それを綺麗に流したところにも、選んだ一因はあった。

 チェーンソーならば、きっと、来栖川綾香を倒してくれると信じ。結局、チェーンソーは、綾香に届くことすら出来なかった。

 得体の知れぬものでも、それが例え異能と呼ばれるものであっても、ただ真っ直ぐに折るのみ。坂下の技は、まさに条理の粋とも言える力を持って、不条理であるチェーンソーを討った。

 ランの見積もりが悪かった、と言うのは、あんまりな話であろう。少なくとも、マスカレイドの観客は、誰しもチェーンソーが勝つと思っていただろう。

「ヨシエさんにわざわざそれを言ったのは、私なりの、けじめ、と言うところでしょうか。大して大きな意味はありません」

 賭けているものは大きいかもしれない。しかし、坂下に賭けるか、チェーンソーに賭けるか、その行為自体は、どちらであったとしても、大きな問題ではないのだ。

 浩之は、一応自分にとってはかわいい後輩であるところのランの、度胸はあれど意味のない行為に、苦笑した。

「まあ、綾香もそうだが、坂下も、理不尽な人間だぜ? 無意味に身を危険にさらす必要はないと俺なんかは思うんだが」

 理不尽、とまで言われれば、坂下なら憤慨するかもしれないが、嘘ではないと浩之は思っていた。綾香は基本的に要領が良い癖に、わざと物事をおかしくするタイプであるが、坂下は、日頃は常識で動いているのに、たまにどこか狂ったように理不尽になる。

 どちらが問題という訳ではない。どちらも、あまり誉められたものではないのだ。

 浩之の、むしろ当然の忠告を聞いて、しかし、ランの反応は、浩之をあざけるような表情だった。

「……浩之さんに、言われたくはないです」

 あざけりを受けているのは浩之なのだが、そのランの姿は痛々しくて、浩之は見ていられなかった。意味まで分からなかったが、ランが、まるで自傷のように自分に負の感情をぶつけようと、苦しんでいるのに、すぐに浩之は気付いた。

「ラン……」

 瞬間的に、浩之はどうにかしようと考えた。それこそ、理由とかどうとかではない。それが、浩之の性癖なのだ。目の前で苦しんでいる相手を、見て見ぬふりなど、出来ない。

 ほとんど知らない相手だってそうなのだ。すでに、かわいい後輩と認識しているランに対して、自分のおせっかいを焼くのに、何の躊躇もなかった。

 ただ、その方法が、分からない。何故、ランがこうも苦しんでいるのか、その理由に、思い当たらない。

「本当に、浩之さんだけには、言われたくない言葉です。だって、浩之さんだって、本当に無意味に、自分の身を危険にさらしているじゃないですか」

 責めるような、しかしまるで自分を責めているような、痛々しいのに、その解消方法の分からないランの言葉は、最終的に、どちらの身を、心を削るのか、このときは、まだはっきりしていない、訳がなかった。

 ランには、分かっていた。

 結局、どちらも傷つけるのだ、ということを。

 

続く

 

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