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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(373)

 

「本当に、浩之さんだけには、言われたくない言葉です。だって、浩之さんだって、本当に無意味に、自分の身を危険にさらしているじゃないですか」

 ランにとっては、身を切るような言葉だった。ランの様子がおかしいのは、浩之にも理解出来たが、しかし、その理由が、浩之には理解出来ない。

「俺が?」

 浩之にとっては、それは予想外の言葉だったらしい。

 しかし、危険であるのは、少し考えてみれば、すぐに分かることだ。状況を把握している第三者が見れば、浩之のいる位置の危険度は、すでにレッドゾーン突入しているように見えるだろう。

「まあ、そりゃ格闘技をやってるんだから、安全とは言い難いけどな。綾香も坂下も近くにいるし、ああ見えて、葵ちゃんもかなり体育会系のつっこみ入れて来るし。習ってる道場の方は、言われてみれば危険だらけだけど……うわっ、考えてみると、俺ってかなり危険な状況かも」

 危険どころか、常人なら即集中治療室送りだ。

 そこに身を置いて、なお日常、と言うにはいささか刺激的過ぎるとは言え、平常の高校生生活を送っている浩之が、普通ではありえないことなのだろう。しかし、浩之は、環境が普通ではないことは認めるだろうが、決して自分が普通ではないことを認めたりはしないだろう。

 その、浩之の自分に対する不理解を置いておいても、浩之には理解出来ないことがあるのだ。それは、浩之は危険な状況にいる。いつ大怪我をしても不思議ではないが、まわりにいる猛者達は、それをうまくコントロールぐらい出来る、本当の猛者ばかりだ。正直、ランがどうしてそこまで切羽詰まっているのか、それが理解出来ない。

 危険な状況、それ自体は、浩之にとっては、笑い話程度の話でしかないのだ。痛かろうが、命に危険がある訳でもない。試合でもない限り、骨折すらさせてもらえない状況なのだ。

 普通ならば、そんな状況に置かれれば、肉体と同時に、精神も憔悴していくので、決して安穏と構えている場合ではないのだが、こと浩之に関して言えば、その程度の心配するだけ無駄だ。

 いや、その点に関して言えば、ランだって、浩之の才能を、誰よりもかっている、下手をすれば崇拝していると言っていいぐらい信じ切っている。

 過酷な訓練に、さらに自分でトレーニングを加えて、それでも後輩の前で普通に笑っていられる。冗談の一つ二つ平気で言える。それだけのもののある人間を、心配するだけ無駄だ。

 だが、そういうことではない、そういうことではないのだ。

「……浩之先輩、他のものと一緒に、さらりと流しても駄目です」

 だから、楽しそうに自分の危険極まりない環境を話す浩之の言葉を、ランは切る。

「え?」

「来栖川綾香、あれの危険性は、浩之先輩だって、理解して、いますよね?」

「……まあな」

 沈黙の時間は、短かった。だから、ランはすぐに、浩之が真面目に考えていない、いや、真面目に考えようとしていないことに気付いた。だから、釘を刺す。

「私は、前に言いました。忘れたとは、言わせません」

「……」

 今度こそ、浩之は沈黙した。それはそうだ。もし、真面目に考えるのなら、冗談として流すことが出来ないのならば、簡単に答えられるはずがない。

 綾香が危険なことは、もちろん言うまでもない話だが。しかし、そう簡単に終わらせていい話でも、ない。この話は、根は浅くとも、程度は深い。

 何故なら、綾香は、本気で浩之を殺そうとしている。少なくとも、ランは、そう信じて疑っていない。いや、浩之だって、それがランの勘違いではないことぐらい、理解出来ている。

 綾香ならば、あるかもしれない。いや、ある。

「まあ、いいんじゃないのか。俺は別に気にしてないぜ?」

 しかし、浩之は、それを受け入れていた。その危険を、ただ平常の危険ではなく、本当にせっぱ詰まったものであるという認識すらあるというのに、それを良しとした。

 あきらめているのではない、むしろ、嬉しげですらあるのだ。

 それが、ランには許せない。だから、視線はどうしても浩之を責めるものとなる。

「……」

「そう睨むなって、ラン。俺だって、別に殺されたいとか、そう思っている訳じゃないぜ?」

 無言で睨むランに、浩之は、おどけてみせる。それが、逆効果になると思っていても、そうするしかないではないか。

「ただ、俺だって、目標はあるんだ。綾香を倒したいっていうな」

 何気ない、とも言える口調で浩之の口から漏れた言葉に、ランは息を呑む。

 綾香を、倒す。それは、生半可な覚悟では、口に出すことすらはばかられるもの。それが、綾香と親しくしている浩之の口からもれるとは、正直、ランは思っていなかった。

 ランは、純粋に、浩之が綾香に惚れているものだと思っていた。それは、あれだけの美少女を前にして、しかもあんなに拳は含まれ度、好意を見せられれば、当然のことだと思っていた。

 もちろん、それもあるのだろう。だが、事はそう単純なものではなかったのだ。

「殺す価値もない、と思われるよりは、殺す意味ぐらいはある、と思われている方が、張り合いがあるだろ?」

 浩之は、何で綾香があんな殺気のこもった目で自分を見たのか、知らない。憎悪ではないと思うのだが、その理由についても、嫌われる、とかそういう類のものでなければ、どういう理由でもいいと思っている。

 綾香から、低く見られる、それに比べれば、どれほど楽しい話だろうか。

 例え不可能であっても、浩之の最終目的は、綾香を倒すことで、だからこそ、綾香から、問題視されていない、というのは、苦しい。そう思えば、命の危険の一つや二つ、交換条件としては悪くない、と思うのだ。

「……それは、来栖川綾香を倒したいのは、男の意地、ですか?」

「ん?」

「負けたままだと、告白するにも格好がつかない……からですか?」

 カリュウ、御木本も言っていた言葉だが、ランには理解できない感情だった。女であるランには理解できないが、男である浩之には、そういう思いもあるかもしれない、そう思っての質問だった。

 しかし、ランとしては何げないつもりだったが、聞いた内容には、大きな問題が含まれていた。

「ははっ」

 そこに含まれていたものに気付いた浩之は、力なく笑う。と同時に、ランも、自分が何を口にしたのかに気付いた。

「実際のところ、どうなんだろうな。正直、俺自身でもよく分からないところだな」

 嘘では、ない。浩之は、好きでもない相手とキスが出来るような人間ではないので、綾香のことが好きなのは間違いないのだろうが、どこかはっきりと好きだと言えない自分が、浩之の中にいることも確かなのだ。

「まあ、俺にもどうもはっきり出来ない話だ。だから、勝てば、綾香に勝てば、この頭の中身もすっきりする、と思うんだよ」

 恋愛感情はある、と浩之は自分を分析しているが、反対に、それが美味い具合に育っていかないことも自覚していた。

 浩之のそれは、恋愛感情というよりは、執着に近い。

 勝ったら告白するのか、それとも興味がなくなるのか、浩之にも予想出来ない。しかし、分かっていることは、ある。

「どっちにしろ、綾香を倒さないことには、俺は先に進めないってことさ」

 魅力的な笑顔でそう言う浩之に、ランの胸は高鳴る。それは、痛々しいほどに。

「……それを、私は壊そうとしました」

 浩之に魅了されたまま、ランは、ろくなことにはならない言葉をつむぐ。

「来栖川綾香が、一度でも負ければ、浩之先輩は解き放たれる、少なくとも、身の危険はなくなる。理由を説明しろと言われると困りますが、私はそう思いました」

 それを聞いて、浩之はぎくりとした。

 正直、考えたことはなかった。綾香が、負けるということを。

 綾香とて、無敵ではない。世の中には、「鬼の拳」北条鬼一、来栖川家の執事セバスチャン、武原流の浩之の師匠武原雄三、のように、綾香を倒せそうな人間はいる。そうでなくとも、修治に追いつめられたこともある。

 しかし、考えなかった。目をそらしていたのかと思えるほど、浩之は見ていなかった。綾香が、浩之以外の誰かに倒される可能性を。その確率は、決して高くはないとは言え、浩之が綾香を倒すよりは、はるかに高い率であるのに、だ。

「少なくとも、来栖川綾香が一度でも破れれば、浩之先輩に対する執着は消える。私はそう睨んでいました。だから、賭けた」

 そして、失敗した。賭けたチェーンソーは、綾香と戦う前に、姿を消した。

「と言っても、これはまあ、正直私の身の関係のない、自己満足のようなものです。浩之先輩の身から危険が去ってくれることは、私としては、何より嬉しいことですから」

「ごめん、本気で心配させてしまってたようだな。まあ、大丈夫だって、綾香だって、そう簡単に俺を殺したりは……」

 まあ、それすらあてにならないところが綾香にはあるのだが、浩之は気休めを口にする。

「だから、私は、戦いを捨てた訳じゃ、ない」

 今まで聞いた中で、一番、ランの言葉の中で、強い口調だった。必死ではあっても、ここまで自己の見える言葉を、ランは今まで見せたことはなかった。

「……ラン?」

「初鹿さんに言われたんですよ。『戦いを、やめますか?』と」

 まさに、それは悪魔の言葉。それに、まんまとランは乗せられてしまったのだ。

「全てを他の人にまかせて、私自身は安穏としているほど、私は戦いを捨てれるような人間じゃない。だったら、今まで戦って来なかったし、今だって、戦おうとなんて思わない。正直に言えば、逃げたくって仕方ない」

 しかし、もう戦っているのは、ランの意志でしかなく、ランの意志でしか、戦うことを止められない。

「何で、私がこんなに、浩之先輩のことを心配しているか、知っていますか?」

「いや、そりゃ嬉しいけど……」

 分かる訳はない、そう分かる訳はないのだ。

 鈍感だ、とは思っていた。しかし、ここ、この瞬間まで、ランは、もしかしたら分かってくれているかも、という、反吐が出るほど甘い期待を持っていたのに。

 その自分の甘さと、そして悔しさと、後はまあよく分からないものばかりの感情でぐちゃぐちゃになった頭で、ランは怒ったように泣いていた。

「私が、女として、浩之先輩に好意があるからです」

 それは、攻撃、としか言い様のない、きつい口調だった。涙はぼろぼろと流れるし、惨めな気持ちにしかならない。甘いものなど、先っぽすら含まれない。

「浩之先輩のことが、大好きだからに、決まってるじゃないですか!!」

 しかし、何の疑問も挟まない、はっきりと分かる、告白だった。

 

続く

 

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