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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(374)

 

 こんなはずではなかったのに。

 私だって、現実は見えている。嫌というほど見えている。だから、心のどこかでは、もしかして、とは思っていても、そうそう事がうまく進むとは、思っていなかった。

 浩之先輩に、告白すると、決心したから。

 だから、私は、何の気兼ねなく、ヨシエさんか初鹿さんのどちらかを応援すれば良かった。言ったように、二人のどちらが勝ち、どちらが来栖川綾香を倒したところで、私には関係のない話なのだ。

 来栖川綾香を倒すことは、この二人なら出来るかもしれない。しかし、そのときに、私は、戦う術を、いや、戦いという機会を無くす。

 人に、自分の何かを託してしまう。それは、大切なものであればあるほど、託してしまった人間から、抜けてしまう。

 初鹿さんに言われなければ、気付かなかったかもしれない。いや、自覚はあったのかもしれないが、見ていないふりが出来たかもしれない。しかし、そう、悪魔のように、初鹿さんは、それを指摘した。

 健介の提示したその方法は、確かにそれしかないという方法だった。だから、それを使うのは、何ら問題なかった。

 だが、それを使うには、私に問題があったのだ。

 もし、このまま、ヨシエさんに全てを託したとして、例え、来栖川綾香が倒されたとしても、私に得るものなどないのだ。

 それでも、いいとすら、私もひとときは思ったのだ。それで、浩之先輩の危険が取り除かれるというのならば、私の気持ちが犠牲になるぐらい、大して問題ではない、と。

 しかし、ああ、初鹿さんは、本当に悪魔であれば良かったのに。柔らかな笑みで、それを指摘した。

 そう、それで気付いてしまった。まだ、戦う方法が、私の気持ちを犠牲にしない方法を、初鹿さんは、言外に教えてくれた。

 感謝したいのか、怨みたいのか、私にすら分からない。

 でも、気付かされてしまった以上、私は、選ばなくてはならなかった。

 このまま、どちらかに自分を託し、何事もなかったかのように、ただ胸に秘めて消えていくか。

 それとも、戦うことを止めれずに、来栖川綾香にではなく、浩之先輩に向かって行き、玉砕するか。

 究極の、二択だった。

 いつだって人を頼りにして来たような私にとっては、選べない二択だった。しかし、それを、初鹿さんは私に選べと、無言で言って来たのだ。

 見た目平和で、もちろん実情はろくなものではないのだが、終わるはずだったものに、初鹿さんは波風を立てた。

 怨んでも、感謝してもどちらだって足りないぐらい、初鹿さんには言いたいことがある。しかし、それよりも先に、私は、選択しなければならなかった。

 そして、選択したのが、今の答えだった。

 御木本の雑音が耳に入らなければ。

 健介が、自分のやらなければならないことを、きっちりとこなしたのを見なければ。

 私は、もう一つの方を選択していたかもしれないのに。

 だがそれより何より、戦わないには、私は、あまりにも、臆病過ぎた。分かってこのまま黙っておく度胸も精神的強さも、私には、なかったのだ。

 しかし、それだって、やりようはいくらでもあるはずだった。

 うまく行かないにしても、もっと切ない、甘酸っぱい思い出になるような、そんな場面には出来るのではないか、と思っていたのだ。そして、せめて、そうであろうと、努力したつもりだったのだ。

 何度だって言いたい、こんなはずではなかったのだ。

 でも、我慢できなかった。

 浩之先輩の心無い言葉が、優しい気持ちが、来栖川綾香に対する、命を狙われてもいいという執着が、それに嫉妬する私が、全て私の神経を逆撫でした。

 もっと、私には似合わなくても、目をうるませて、下からねだるように見つめて、ちゃんとした言葉で告白とか出来れば、もっともっと何かあったかもしれないのだ。

 例え、付き合うのは無理でも、キスぐらいはしてもらえたかもしれないのだ。私がお願いすれば、浩之先輩がそれぐらいの望みならかなえてくれたかもしれないのだ。

 そんなものは、しかし、全部不可能になった。

 喉が奥から焼けただれたように、もう声が出ない。どんなフォローも間に合わないし、そもそも気の利いたセリフ一つすらしゃべれない。本当を言えば、固まっている浩之先輩から目をそらして、全力で走って逃げてしまいたい。

 そんな私を、ここに止めているのは、もしかしたら、という思いだ。もしかしたら、OKしてもらえるかもしれない。来栖川綾香と付き合っている、という言葉を、直に聞いた訳ではないのだ。その気持ちは、傾いているとは言っても、自分ですら理解出来ないと、浩之先輩本人が言っているのだし。

 そんな浅ましい気持ちと、もう一つ、自分でも驚いているのだが、決して無視出来ない声が、私の中から呼びかけるのだ。

 戦いを、途中で放棄するな、と。

 馬鹿らしい、と私は自分で思った。恋は戦いなど、そんな殺伐としたものを、自分で考えていること自体、どうしようもない。

 しかし、事実、私は、ただ何かに負けたくない、というそれだけの思いで、まだ逃げ出さずに、浩之先輩の言葉を待っているし、自分でも何か言おう、とがんばっている。

 浅ましい、と言えば、浩之先輩を心配する気持ちも、浅ましいものだ。結局、浩之先輩のことを心配しているのは嘘ではないが、浩之先輩がどう思っていようが、例えそれを望んでいようが、そんなもの、私には関係ないのだ。ただ、私は私の希望で、浩之先輩が狙われるのが、傷付くのが、許せない。

 この告白が、どれほど、浩之先輩に重しとなっても、私がすることなら、腹も立たないのに。何と醜いことか。

 自責の念とバカらしいと思う気持ちと、そういうものが、やっと、私の口から、もう一言だけ、言葉を紡ぎ出す力を作り出す。

 そんな場面になっても、いや、なったからこそ、私は、迷わなかった。

 さっきの、ケンカを売るような言葉では、伝わったとしても、まったく嬉しくない。だから、ちゃんと、それらしい言葉で、出来ることなら、それらしい表情を作って、言いたかったのだ。

「先輩が、好きです」

 ほほを染めるのに成功していたとは思えない。目が潤んでいたとか、泣きそうな、とかではなく、そもそも、すでに自分は泣いていたので、ろくな顔をしてはいなかったろう。格好はまったく色気はないし、汗もかいていたし、そもそも、化粧などほとんどやったことがない私には、おしゃれをするという手もない。まあ、化粧などしても、泣いてしまえば、余計に酷いことになっていただろうが。

 シチュエーションだけは、夜の公園で、二人きり。せいぜい、まともにいけたのは、これぐらいだろう。

 でも、ちゃんと言えたのだ。

 よくやった、と自分を誉めてやりたかった。

 ほっとしている自分がいることに、私は自分を叱咤したくなった。戦いは、むしろこれからなのだ。技を出せたからと言って、それで満足していいものではない。

 浩之先輩は、少しの間、何が起こったのか理解できないように、固まっていた。

 正直に言えば、失礼な人だと思った。それは、確かに私は分かり易い人間ではないし、浩之先輩に、これと言ったモーションをかけていた訳ではないので、それを責めるのはどうかと思うが、浩之先輩の頭には、その可能性が、まったくなかったということなのだ。

 女として、見てもらえていなかった。それに腹を立てるのは、当然の権利と言っていいのではないだろうか?

 これが、もう少しナンパな人ならば、ここでいいことを言って私をその気にさせておいて、少し遊んで、飽きたら捨てるぐらいのことをしただろうけれど。実際、それが出来るぐらいは浩之先輩は女の人にもてると思うが。

 器用なくせに、そんなことも出来ない。

 そんな先輩だからこそ、私は好きになってしまったのだ。

 だから、先輩を好きになったのだ。

 こうやって、私がどうでもいいようなことに気を向けて、けっこう余裕があるように見えるのは、そんな器用な癖に不器用な浩之先輩が、不器用なりにがんばって考えているこの無為にも思える時間を、ただ待つ為と。

 次に来るだろう、衝撃に私が耐える為の、緩衝材を用意しているところなのだ。

 浩之先輩が、口を動かしたとき、私は、思わず、目を閉じそうになり。

 必要もない意地で、それを押しとどめた。

 

 

 公園を出たところで、初鹿さんは、いつも通りの、柔らかい笑顔で、私を待っていた。

「……帰ったんじゃ、なかったんですか?」

「嘘ですよ。お邪魔だったので、少し席を外しておいただけです」

 あっさりとそう言うと、するりと私の近くに寄って来る。それを、私は拒むことも邪魔することも出来なかった。

「それで、どうでしたか?」

 悪びれなく、そして何の遠慮もなく、心の方にまで、初鹿さんはずかずかと入り込んでくる。それを、良い人、とはとても言えないのだろう。実際、かなりこたえる。

「抱きついて、キスしておきました」

 だけれど、私だって、ただ負けている訳にはいかない。いくら、相手があのチェーンソーでもだ。

「まあ、大胆ですね」

「……キスと言っても、ほほで済ませておいてあげました。こちらから奪うのは、さすがに酷いですから」

「大丈夫ですよ、ランちゃんに迫られて、嫌な気持ちになる殿方はいませんらか」

「……どうで、しょう、か?」

 しかし、強がりも、ここまでだった。

 嘘は、ついていない。抱きつきもしたし、ほほにキスもした。

 しかし、それだけだ。いい思い出にはなるだろう。しかし、それだけなのだ。

「初鹿さん」

「はい、何ですか、ランちゃん」

「私、ふられてしまいました」

「……」

 胸が、張り裂けそうに、痛い。

 いや、いっそ張り裂けてしまえば、こんな苦しい気持ちを味わうこともないだろうに。

 しかし、心の臓は脈打ち、私が死ぬのを拒む。一拍一拍が、これほど苦しい、と思ったことなど、どんなに身体を酷使しても感じなかったことなのに。

 人というのは、つくづく精神の生き物なのだ、と思った。

 傷もついていないはずの胸が、ここまで痛いものだったなんて。

「全然考えていなかったんですけど、これから、どんな顔で浩之先輩に会ったらいいんでしょうか?」

 実は、けっこう大きな問題なのに、今の私には、胸が痛すぎて、正常に動いていない。後のことを考えるのも、そうでもしないと、頭がどうにかなってしまいそうだからだ。

「いつも通り、でいいと思いますよ。浩之さんなら、分かってくれます」

「浩之先輩に、気を遣わせて?」

「浩之さんに、気を遣わせて」

 そう思うと、余計に、胸が痛くなる。というよりも、胸が痛くなるようなことばかりだ。これから先、いいことなんて、何もないのだ。

「初鹿さん」

「何ですか、ランちゃん?」

「……痛い、です。こんなことなら、告白なんて、しなければよかった」

 心の底から、私は後悔していた。

 こんなことなら、告白などせずに、そのまま漫然と時を過ごして、ただ致命的に手が届かなくなっていくのを、死を待つ病人のような気持ちで見ていた方が良かった、本気でそう思った。

「……そうですね」

 やんわりと、初鹿さんは私の言葉を肯定して。

「でも、戦わずにはおれない。それどころか、その痛みは、感じずには終われなかったんですよ」

 やんわりと、私の言葉を、切って捨てた。

「……どうしても?」

「そう、どうしてもです」

 初鹿は笑いながら、私を胸に引き寄せた。

 初鹿さんに抱きしめられるまでの一瞬、初鹿さんの笑顔は、初めて、柔らかそうなものではなかった。

 初めて見る、そして、きっと二度と見ることのないだろう、切なそうな、微笑。

「言わないと決心すれば、もっと痛くて、悲しいんですよ?」

 切ない、声だった。

「私も、浩之さんに、惹かれていたんですから」

 

続く

 

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