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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(376)

 

「ちょ、タンマタンマ! 少しは落ち着け!」

「問答無用!!」

 いつもはあり得ないほど大きな声を出して、ランは御木本に飛びかかって行った。正確には、蹴り掛かって行っているのだが。その跳び蹴りは、鋭いし速いが、しかし、御木本を捉えることが出来るほどには鋭さも速さもない。

 御木本も、あれで空手部では三番目に強いのだ。最近ならば、本気でやれば、池本にも勝てるかもしれない。そもそも身体に恵まれていることもあるし、カリュウとして、マスカレイドで厳しい戦いをくぐり抜けて来たその経験は、立場はともかく、実力として、決して御木本をただの三枚目には終わらせない。

 が、その御木本が、実力的には、非常に差のあるはずのランに押されている。逃げることは空手部一とは言え、そのつもりがないときの御木本に対抗できる人間が、この部活には二人しかいないので、非常に珍しい光景だった。

 ランの実力を、もちろん疑う訳ではないが、届かないのも事実で、御木本が押されているのは、今のランの迫力に押されているのだ。

 がむしゃら、と言った方がいいだろうか。色々と精神的には不安定な部分もあるランだったが、こうまで後先考えずに突っかかっていく姿は、初めてかもしれない。

 まあ、半分以上不意打ちだったのも効果は高いだろう。何せ、坂下は池田と話し合いの途中、まあ坂下は腕のこともあるので組み手はしない、で、健介はまだ入院中、相手になった田辺は、ほとんど相手にもならずにギブアップ、まあ、これは田辺に気合いが入っていない部分もあるのだが、したので、唯一暇そうにしていた御木本に狙いを定めたのだ。

 試合はしていないものの、練習は欠かしていなかったランの跳び蹴りが、御木本の顔の横すれすれを通過する。御木本が回避していなければ、その鼻緒に直撃していただろう。

「てめっ、寸止めとか考えろ!!」

 練習中に、何も考えずにそのまま殴っていたのでは、身体がいくらあっても足りない。あの健介ですら、そこは理解していたというのに、今のランには、そんな常識すら通用しないようだった。

 まあ、相手が御木本であるので、安心して本気を出せるというのもある。少なくとも、田辺相手には、十分手加減をしていたのだ。どうも健介とうまく行って、甲斐甲斐しく、しかし嬉しそうに病院に通う田辺に対して、思うところはあるのだろうが、それを部活にまで持ち込んだりはしない。

 いや、ランがここまでがむしゃらに身体を動かしているのは、自分の今の感情を、思い切り部活に持ち込んだからなのだろうが。

「ほら、逃げないで当たって下さい!!」

「誰が好き好んで当たるかボケっ! てめえ、好恵に凶暴な部分だけ似やがったんじゃねえのか?! 好恵を参考にして良くなることなんて空手の強さだけだぜっ」

 まあ、御木本では、坂下と比べてまったく人望が足りていないので、どの口下げて、とも言える。ちなみに、御木本はこう見えても成績はけっこう良く、実は空手部の中では一番成績が良かったりする。空手部七不思議でも一番不思議なことだ、と皆に言われていたりするのだ。

「ヨシエさんを基準にする辺り、少し作為的なものを感じますね」

 その一言で、一瞬、御木本の動きが鈍る。それを見逃すような今のランではなかった。

「とった!!」

 散々上から跳び蹴りを繰り出しておいて、その一撃だけ、ランは素早いローキックを放っていた。どちらかと言うと、変則蹴りばかりを使っていたランには珍しい技だった。しかし、足をしっかりと大地につけた状態で繰り出される蹴りのスピードは、明かに今までの跳び蹴りよりも速い。

 バシィッ!!

 音は激しかったが、しかし、そのローを、御木本は流石というか、脚を上げて綺麗にガードしていた。

 「おしいっ」「後少しだったのに」「というか沢地さんしゃべったらばれるって」とか、概ね部員達はランは御木本を捉えきれなかったのを残念がっているようだった。そこらへんは健介よりもランの方が人望があるのだろう。まあ、御木本の人望のなさも一役以上かっている気もするが。

 御木本の目が、ランに訴えかけている。てめえ、もしかしてばらすつもりか? と。

 ランは、目で返す。ヨシエさんの空手以外にもぞっこんな人間が、空手だけとは、何言うんだか、と。

 坂下の話題を出されて一瞬動揺した御木本にとってみれば、当然警戒する内容だが、ランの言いたいこともまったくその通りである。坂下が空手だけなど、どの口で言えたものだろうか。例え、最初はその強さに惚れたとしてもだ。

 方法はともかく、後一歩で御木本に一発入れられるところまで来たとなり、部員達は観戦に回る。それだけ、口や態度ではどう言え、御木本の実力を、部員は皆評価しているのだ。

 坂下は、小さくため息をついた。ランが、御木本を一瞬でも追いつめたのはいい。方法はろくなものではなかったが、それでも御木本とランとの間には、大きな差があるのだから、それを積めたのは評価出来る。

 しかし、あくまで、それは御木本が戸惑っているからだ。

 今日のランは、おかしいテンションをしていた。いつも以上によくしゃべり、練習にも、熱をあげているというか、がむしゃらに動いているようにすら見える。

 同じく、いつもと違う、これは幸福な所為なのだろうが、田辺と比べても、いつもがいつもなだけに、その振れ幅の大きさは比べるまでもない。

 何か、あったんだろうねえ。

 坂下に、チェーンソーを応援する、と言ったときから、ランはどこか壊れていた。いや、意識的に壊していた、と言った方がいいか。死刑を待つ囚人のようにすら、坂下には見えた。

 どこかあきらめているのに、往生際悪く、生にしがみつくように。いや、真面目に考えてしまえば、どうやっても耐えられないから、仕方のないことだ、と達観しようとして失敗したように。

 そして、今は、もう完璧に壊れている。

 今のランのテンションが、空元気というものなのを、坂下は察していた。おそらくは、御木本も、薄々はそれを察しているので、だからこそ、うまく動けない。

 御木本は、真面目ではないが、後輩のことをまったく考えないような人間ではないのだ。冗談にしていい場所と、していけない場所を、ちゃんと理解している。でなければ、坂下が殴り倒しているところだ。

 ……まあ、藤田だろうな。

 浩之が、まさかランに、性的な意味で手を出した、とは思わない。そんな度胸なり後先考えない無謀さがあれば、もうとっくの昔に綾香か葵に骨抜きにされているだろう。あの二人でも、浩之の骨を折ることは出来ても、抜くことは容易ではない。

 それに、もし浩之が、そのときの情や性欲に流されて手を出したとすれば、それが儚い幻のようなものであろうとも、ランは騙されたなりに、今はその一瞬の幸せをかみしめていなければならないはずだ。

 残念ながら、浩之がランを、恋人として受け入れる、という選択肢には、どうやってもたどり着かない。綾香との仲は、まだ微妙なものがあり、葵などにはチャンスもあるように見えるが、少なくとも、浩之には、ランを親しい後輩としては見ても、恋愛対象として見る様子は一片もなかった。

 どちらかに話を聞いた訳ではない、しかし、坂下は、しごく当たり前に結論にたどり着いた。

 ランのやつ、告白したか。

 結果は、聞くまでもない。二人の関係を見ていれば、どうやってもうまく行かないだろうことは明かだ。それを、御木本も察しているのだろう、だから言えないし、態度を決めかねて、ランに隙を見せてしまっているのだ。

 高いテンションで、部活をがんばっているように見えるのも、あくまで、無理にでもそうしていなければ、心が沈んでどうしようもない、と自身は無自覚かもしれないが、防衛本能が働いているからだ。

 しかし、と坂下は思う。ランの心中は、ふられたことのない坂下には、想像しか出来ないが、辛いことは分かる。

 それでもだ、よくやった、と坂下は思っていた。

 よく戦った、と声をかけてやりたいとすら思っていた。もちろん、そんな甘いことを、してやるつもりはない。健介はれっきとして仕事をしたので声をかけてやったが、ランは、あくまでラン自身の問題であり、坂下はそれに関与しない。

 だからこそ、よくやったと思うのだ。よく戦った、と思うのだ。

 ランだって、負けると分かっているのに、後にも先にも辛いことしか待っていない、と知っているのに、それでも、恐れず、いや、恐れても戦ったことを、坂下は評価していた。

 特に、精神的に弱い部分のあるランだからこそ、余計にだ。

 状況が、それしか許さなかった、というのはあるかもしれない。誰かが、何かささやいたのかもしれない。しかし、戦ったのは、間違いなくランの勇気であり、それは、ランを少しぐらいは成長させたはずだった。

 結局、勇気は一人でしか作り出せないのだ。そして、その勇気は、きっと今後のランに、一片ほどは強さの足しになるだろう。

 坂下は、何も言わない。なぐさめる必要すら感じない。何故なら、空元気をしてでも、ランが立っているからだ。

 自分の足で立っていられる人間を助ける理由など、坂下にはない。それは、厳しいとかそういうのではなく、相手の誇りを第一に考えたからこそ、だ。

 それに、私も、ランに気を遣ってやれるほど、余裕のある状況じゃ、ないからね。

 坂下にとっての、運命の日は、何の話も何の確証もないのだが、じりじりと近付いて来ている。いや、きっと目と鼻の先にまで来ている。

 それを思えば、他人を気遣ってやる暇など、ない。

 その、見えない時間制限をまんじりと待つという精神的に苦しい状況に置かれている坂下は、それでも、にやり、と笑うのだった。

 まるで、それを楽しむかのように。

 

続く

 

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