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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(377)

 

 珍しく、綾香は浩之達と一緒に練習が出来る時間を取れた、はずであった。

 しかし、それを予期せぬ場所から邪魔をされ、不満そうな顔で、というか浩之が見れば走って逃げるような表情で、対面に座っている赤いサングラスの男と、横に立っているごついというのも生ぬるい初老の男を睨み付けていた。

「……で、どっちの相手もする気が起きないぐらいには、忙しいんだけど」

「今日がオフであることは確認済みですぞ。であれば、今日と言う今日は、たまったものを処分していただかないと」

「あー、いや、こちらとしては、話が終われば、さっさと退散するつもりなので気にしないで下さい」

 にこやかな赤いサングラス、赤目、ただし現在も首にコルセットをつけた状態、と、むっつりとした表情の来栖川家の執事、セバスチャン、と、前述の様な表情をした綾香、という異彩の組み合わせだ。

 さらに言えば、ここは普通の喫茶店。ファミレスを選ばなかっただけ、赤目にもごく少量は常識があったようだ。

 まあ、この組み合わせに、常識とかそんなありえないものを期待する方がバカなのかもしれないが。

 一人でいれば、見た目、いや、本当に見た目なだけだが、かわいいだけの女子高生である綾香としては、さっさとこの二人から離れたいものなのだが。

「で、セバスチャンの方だけど。嫌よ」

「お嬢様!」

 綾香は耳を押さえて、無駄に耳元で大きな声をあげたセバスチャンにジェスチャーで抗議する。

「もう、オフの日ぐらい放っておいてよ。必要最低限の仕事はしてるつもりだけど?」

「とは言え、こちらの都合を無視して必要最低限と言われても困りますなあ」

 綾香の姉、芹香も色々と来栖川家に関係する仕事をしているが、下手に対人能力の高い綾香には、芹香よりも、色々とやらなければならないことが多い。

 本当に必要最低限のことはこなしているが、諸処の雑用のようなものは、綾香でないと駄目なものがかなりたまって来ている。一応、こつこつと処理を続けてはいるのだが、いかんせん数が多い。実際、かなりたまっている。

「特に、お手紙に関するお返事は、すでにどれほどたまっていることか」

「もう、返事ぐらいいいじゃない、どうせ義理を欠くぐらいなんだから。こちとら、普通の女子高生なんだから、あんまり多くを求められても困るのよ」

 ぶっちゃけ、恋文、というほど大げさなものではないが、そういう類のものも多い。綾香は、立場もそうであるし、見目もかなり良い。単純に贈り物を送ってくるだけならば、定型の返事を出せばいいが、手紙などがあると、そういうことも出来ない。

 出来ない、と言っても、綾香はかなりの数をもらっているので、忙しいのにいちいちそんなものに対応する気はなく、かなり義理を欠いた対応をしていたりしている。

「だいたい、一回か二回あったぐらいの女子高生に、いい男がプレゼント付きの手紙とか送って来ないで欲しいものね」

「あー、いや、大変そうですねえ」

 赤目が呑気にそう言うが、それは綾香の神経を逆撫でる以上の効果はない。

 さて、こんな微妙な状況になったのは、学校を出たところを、セバスチャンと赤目に捕まったからなのだ。いや、セバスチャンだけならば、いつも通り逃げるところなのだが、いかんせんそこに赤目も出て来ては、話が違ってくる。

 赤目自体は、戦った後もいけすかないやつではあるが、しかし、何の用事もなしに綾香の前に現れる人間ではない。というわけで、とりあえず赤目の話を聞いて、その後セバスチャンから逃げる予定でこんな場所に来たのだ。

「……それで、お嬢様。このうさんくさい男は何者ですか?」

 説明もせずに、とりあえず街中でこんな組み合わせがいるのはどうだろうと思って、喫茶店に入ったので、どちらにも説明はなしだ。ただ、セバスチャンが綾香をお嬢様と呼んでいるので、そちらの関係は説明の必要はなさそうである。

 車には、当然入らない。この後、セバスチャンから逃げる予定なのだ。さすがに、運転する車から飛び降りるようなことは、綾香でも少しばかり危ない。

「また、ろくでもない者達と関係している訳ではないでしょうな?」

「いや、こいつらはろくでもないと思うけど」

 それにはいささかの疑問もない、間違いなくろくでもない。ただ、その筆頭であるはずの綾香は、自分のことだけはきっちりと棚に上げておいた。

「ちょっと骨のある相手と戦ってる、って言ってるでしょ。その責任者みたいな人間よ」

「……ほう、であれば、お嬢様の腕についた痣も、この男の責任と見てよろしいのですな?」

 ぎらり、とセバスチャンの目が光る。さすがの赤目も、苦笑しながら少し逃げ腰だ。ちゃんと装備を調えたマスカレッドの状態で相対するならともかく、生身の、しかも怪我をした状態で、セバスチャンとは戦えまい。

「はいはい、ケンカでも制裁でもいいから、後にしてね」

 赤目の身を案じる気はないが、用件だけは聞いておくつもりなのだ。

 綾香には、だいたい予想がついているのだが。

「じゃあ、ちゃっちゃと用事を済ませてよ。こっちは忙しいんだから」

「それでは、本題に入りましょう」

 ニヤリ、と赤目は口元を曲げた。性格の悪そうな、これこそ赤目だろう、という表情に、綾香は少しだけ安心した。セバスチャンがこの後こいつに何をしても、まったく心が痛まない、と。

「次の、試合のお話です」

「……お嬢様?」

 セバスチャンが、感じるのものがあったのだろう、綾香の方を見る。綾香は、それを努めて無視した。

「マスカレイドは、上位がそろいもそろって、私と好恵に負けたじゃない。もう、試合を組む相手もいないんでしょ? それとも、チェーンソーと試合組んでくれるの? しばらくは、あれも使えそうにないけど」

 綾香や坂下も、大概ダメージを受けているが、負けた方のチェーンソーやマスカレッドは、僅かな休息を挟んだぐらいでは、試合など出来ないほどにダメージを受けているはずだ。

 首を固定していても、正直言えば動くのも危ないのでは、と思える赤目は酷い例としても、チェーンソーも役立たずだろう。

「ええ、ですから、勝った者同士、ということになりますね」

 一位と二位を倒した、どちらも、マスカレイドの関係者ではない選手。

「……もう、マスカレイド関係ないんじゃないの?」

「返す言葉もありません。しかし、皆、見てみないと思っているのではないでしょうか? ニーズがあれば、試合を行う。マスカレイドの理念は、しごく単純ですよ」

 ニーズは、あるだろう。一位と二位は、強烈だった。それを倒した人間同士の試合を見てみたい、と思うのは、マスカレイドのファンにしてみれば、しごく当たり前の感情だろう。

 綾香だって、反対の立場なら、試合を見てみたい、と思うかもしれない。むしろ、戦ってみたい、と思うかもしれない。

 だが。

「好恵、ねえ。言っておくけど、好恵との決着は、もうついているわよ?」

「好恵様ですか。なかなか面白い才能がおありかとは思いますが、お嬢様相手では、いささか苦しいのでは?」

 坂下のことを知っているセバスチャンも、当たり前のようにそう言う。

 何度も何度も、綾香と坂下は戦って来た。しかし、今の一度も、坂下が綾香に勝ったことはない。一矢報いる程度ならば、何度もして来たが、しかし、勝利には結びついていない。

「一度、本当に本気で、戦ったこともあるけど……あれは、なかなかだったわね。ま、私が勝ったけど」

 その一戦を持って、綾香は空手を卒業した。もう、空手では、自分にかなう相手などいない、と判断したのだ。

 もっと、強い人間のいる場所へ。そう思って、エクストリームに参加した。そのこと自体は、間違ってはいなかったと思っている。エクストリームのおかげで手に入れたものも多いのだ。

「お互い、手も分かってるしね。今戦えば、結果は決まってるわよ」

「……本当に、そうでしょうか?」

 それは、赤目の、綾香に対する挑発だった。

「少なくとも、マスカレイドの観客達は、坂下好恵の方が、来栖川綾香よりも強い、と思っている人間が多いようですよ?」

「……何、その情報操作?」

 多いよう、と言っただけで、ちゃんと統計を取ったのかどうかも怪しい内容だ。そもそも、統計というのは、往々にして、集める方の都合に基づいて集められるものなのだ。

 しかし、赤目はそれを否定する。

「ちゃんと、アンケートを取っているんですよ。もちろん、解答は任意ですが、組織票みたいなものはないんじゃないですかね? というよりも、簡単な図式ですよ。二位よりも、一位の方が強い。では、一位を倒した者と、二位を倒した者、どちらが強い?」

「……」

 その理論なら、分かる。しかし、実際に戦って、その差を分かっている綾香にとってみれば、そもそも前提すらおかしい理論だ。

 だが、その前提すら、赤目は軽薄に笑う。

「本当に、そう思っているんですか?」

「……何?」

 綾香の声が、一瞬で冷たくなる。客もまばらな喫茶店の中、そこだけが、明かに異質な空気を帯びた。

「なるほど、過去、一度も勝てていない。それは判断材料としては大きいでしょう」

 にたり、と、赤目は嫌らしく笑う。

「しかし、チェーンソーとの試合を見てまで、そう言えますか?」

 目視すら出来ないチェーンソーの異能を、真っ正面から受け、粉砕した坂下の技。それは、神技と言っても過言ではないだろう。

「来栖川さん、あなたも、あれを見たことが、おありで?」

 ない。何度も戦って来たし、最近はまた練習もしている。しかし、一度とすら、坂下は、その神技を見せていない。

 もし、あれを綾香がやられたとき。

「さあ、来栖川さん、答えて下さい。あなたは、あの受けを、粉砕できますか? 出来るのならば、この試合、受けない理由はありませんでしょう?」

 ちっ、と綾香は舌打ちする。赤目の思いとおりに事が進むのが、気に食わなかったのだ。セバスチャンがまゆをひそめるほど淑女らしからぬ態度だが、そもそも、綾香は淑女でも何でもない。

「いいわよ、その試合、受けてあげる」

 それを聞いて、赤目は、今までの負の表情を消して、にこやかに笑って綾香に頭を下げた。

「いや、助かりますよ。私も、非常に見てみたい試合だったので。詳しくは、またご連絡します。それでは……楽しみに、していますよ」

 伝票を手に席を立った赤目を、殺そうかどうしようか、綾香は一瞬迷わなければならなかった。

 

続く

 

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