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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(378)

 

「は〜い、私、来栖川綾香、よろしくね〜」

 誰が見ても、美少女だと答えるだろう少女は、気さくに、言ってしまえば、少し異常なぐらいにハイテンションで挨拶をした。

 それが、私と綾香の、その時点では何のことはない出会いだった。それが、私の考えの全てを、暴力的に塗り替えるまで、そう時間はかからなかったが、そのときは、まだ、平凡と言う範疇に入れてもいい出会いだった。

 せいぜい、そのとき感じたことは、そこそこ礼儀には煩い道場の先生が、そのフレンドリーを越したような挨拶にも、苦笑するに止めていたことぐらいだろうか。

 あのころから、すでに綾香の実力は突き抜けていた。先生も、苦笑するしかなかっただろう。単なる町の一道場の先生には、その才能はあまりにも異様だったのだろう。

 しかし、私は、そんなことは関係なかった。綾香の強さは、もちろん未熟ながらも十分理解していたし、それを目標にしたりもしたのだ。

 あのときは、純粋だったとも言える。

 かわいさでは逆立ちしたって追いつけないが、空手ならば、いつかは追いつける、と純粋に信じていた。事実、道場の先輩達との間は、歳をおうごとに小さくなり、すぐに追い越すことがd来たのだ。

 前にいる強い相手は、いつか追いつき、追い越す相手。私は、そう信じて疑っていなかった。

 それを疑い出したのは、一体、いつのころからだろうか?

 綾香にKOされる度に? それとも、そうでなくとも一本ほどの一撃を受けたとき? それとも、それ以前の攻防から?

 分かっているのは、自分を、絶望が飲み込もうとしていた、ということぐらいか。

 この、坂下好恵ともあろうものが、挫けたのだ。挫けそうになった、などという生易しいものではない。そもそも、それに到る理由は、厳しいながら、単純で、間違い様がなかった。ごまかすことなど、出来ない。

 追いつけない、何年経っても、どれほど練習しても、差が縮まらない。それどころか、差が広がっているようにすら感じた。

 それでも、一番の理由は、自分が強くなったからなのだろう。

 実力がついて、盲目に前だけを見ている状態から、回りに目をやる視野を手に入れて、そして知ったのだ。不可能、という言葉の意味を。

 皮肉なもので、弱いときは、その差が見えず、強くなって、その差が絶望であることに気付かされた。

 あのとき、自分は、それでもいい、と。思った。

 思ってしまった。

 苦い苦い、しかし、緩い挫折の味を、私は、ゆるりと受け入れていた。

 勝てない相手がいることを、道理の上では理解しても、感情では絶対に認めない。であれば、挫折とは言わない。しかし、私は、認めてしまった。自分よりも、上がいることを。

 その致命的な挫折を、覆したのも、やはり、綾香だった。

 ずっと、自分の上にいるものだ、と信じていたのに、その綾香が、空手を止めて、エクストリームに出る、と言い出したのだ。それだけに飽きたらず、空手の道場も、そして空手も止める、と言い出したのだ。

 確かに、綾香に、道場に来るメリットはあまりない。綾香と、一番対等に戦えるのは先生を除けば私だけであったし、私は言わずもがな、先生だって、負けないようにするのが限界だった。

 綾香が、もし本気を出せば、先生も倒せたのかもしれない。いや、今なら分かる、倒せただろう。

 空手の先生は、一般人とはかけ離れていたとしても、達人と言うには、まだ道は遠い人だった。もう、完全に人間と離れた場所にいる綾香の相手を、あれだけ出来ていたことがむしろ凄いのだ。その所為か、綾香は、先生にはある程度敬意を払っているようだった。

 先生は、すぐに認めたが、私は、当然激高した。

 許せるはずもない。自分を挫折させた人間が、自分を置いて、他の世界に行こうと言うのだ。少なくとも、私には我慢出来なかった。綾香さえいなければ、となど、あのとき、一片たりとも考えなかった。

 ただ、倒す。自分が、一生勝てないと思った相手を、倒す。

 あれが、私の復活だった。

 あのとき、私は、知った。自分に、まだ先があるのだ、と。綾香には今まで勝てなかったし、これからも勝てないかもしれないけれど。

 勝てるかも、しれない、と。

 あの死闘は、私のどこにそんな力があるのか、と疑問に思うほどだった。綾香を、あのとき以上に追いつめたことなど、なかった。

 それでも、負けたのだ。

 しかし、それは、もう挫折でも何でもなかった。

 綾香の方が強いときに戦って、綾香が勝った。単なる順当な話で終わっただけのことだ。

 いつか。

 もう、私は不可能でも、不可能だと思わなくなった。

 いつか、綾香を倒す。

 その思いが、私を立ち直らせた。緩やかな挫折者よりは、激しい敗者を、私は選んだ。

 懐かしさすら感じる思い出だ。あの痛みも、あの悔しさも、今でも鮮明に思い出させる。しかし、思い出すときは、だいたい戦いの前なのだ。負けたときのことを思い出して、私は何がしたいのだろうか?

 今、綾香との、戦いが迫っているから、こんなことを考えている訳では、ない。

 そのときの私に、よく似ている、と思ったからだ。

 

 

 空手場には、部員の姿はない。ランも、珍しく坂下について帰らずに、部活の同級生達と帰って行った。何かして気を紛らわせようとしているのか、坂下を見ていると、それで関わった浩之のことを考えてしまうからなのかは、坂下には分からない。

 道場にいるのは、坂下と、坂下が帰り支度を済ませるのを待っていた御木本だけだ。御木本の方は、一緒に帰りたいという下心がまる見えだが、今は突っ込むべき相手もいないし、別に坂下も、それを嫌だと思う気持ちはなかった。

 まあ、この二人ならば、別に珍しい組み合わせでもない。しかし、今日は違った。

 場違い、と言うのは、失礼かもしれない。もともと、彼も、この部活の住人だったのだ。

「先輩、お久しぶりです」

「よう、まさか先輩がまた来るとはなあ」

 礼儀正しい坂下の礼と、片手を上げて、いかにも適当な挨拶の御木本を見て、彼は、苦笑した。

「……久しぶりだな。それと、相変わらず、か」

 彼の名前は、芝崎。今年で三年生になる。れっきとした、空手部員だった。

 別に退部した訳でもないので、籍は残っている。しかし、もう一年近くは、彼はまったく部活に出て来なかった。幽霊部員、と、確かに出席率だけで見ればそうなるが、しかし、それまでは、真面目に部活に出ていた、空手部の元主将でもある。

 一年違うだけなのに、えらく大人びた声だった。まあ、御木本と比べて、ただ声が低いだけなのかもしれないが、少なくとも、体格は明かに御木本を超えていた。

 身長はほとんど御木本と変わらない、つまり長身だが、横が明かに御木本よりも大きい。それも、締まった筋肉の太さで、だ。

 部活をサボっていたとは、とても思えない身体だった。

 しかし、柴崎が部活に来ていなかったのは本当で、それは、例え坂下に悪い部分がなかったとしても、坂下の所為だった。

 いや、「所為」と言ってしまうのは、いささか乱暴だろう。少なくとも、坂下はともかく、そう言われれば御木本は黙っていまい。

 現在、たまにでも、部活に顔を見せる三年生は、三年唯一の女性部員で、たまに身体を動かしたい、と言って出て来るぐらいだ。良くはしてもらっているが、部活の戦力としては数えられない。

 そういう意味では、どういう風の吹き回しか分からないが、それでも先輩が出て来てくれることは、坂下としてはありがたかった。

 後輩のときは、何かとお世話になったのだ。坂下は十分に、芝崎を先輩として尊敬していた。

「弱みを握ったので、御木本も最近はサボらなくなりました」

「ちょっ、てめえっ!!」

「ほんと、お前ら仲いいな」

 芝崎は、変わらない二人に、やはり苦笑以外が出て来ないようだった。

 こう見れば、単に、先輩が部活を懐かしがって出て来た、だけにすら見える。

 しかし、にこやかに話しながら、坂下は、そうでない、と思っていた。何のことはない、昔の自分を思い出すから、その理由で、だ。

 そして、それは、あながち外れては、いなかったのだ。

 

続く

 

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