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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(380)

 

 こう見えても、坂下は綺麗好きだった。

 部室の掃除は全員で毎日やらせているし、坂下本人も、手を抜かずにしている。汗をかくのを避けられない部活でも、洗濯の回数や、換えの道着を用意することによって、厳しい部活には珍しく、あまり汗の臭いがしない。

 すでに着替えを終えていた坂下が、再度着替えて来たのは、何枚もある道着の換えの一枚だった。その中でも、比較的新しいのを選んで来た。汗臭い格好で相手するのは失礼、と思ったからだ。今日使った分は、すでに洗濯した後だというのもあるが。

 反対に、芝崎の道着はぼろぼろだった。洗濯こそされているのだろうが、かなりよれよれになって、所々に縫い直した跡もある。

 しかし、長年放っておいて昨日取り出した、というものでは、なさそうだ。ずっと使い続けた結果、ここまで古くなってしまったのだろう。

 坂下は、それだけで少し嬉しくなった。やはり、この先輩が空手から離れられなかったのだ、と思ったのだ。

 事実、離れているのならば、ここには来ていないだろう。例え身体をどれほど鍛えていたとしても、空手を止めて、坂下の前に立つのは、あまりにも危険過ぎる。

 芝崎先輩が、他の格闘技をしていたのなら、話は別だろうけどね。

 その考えを、しかし、坂下はすぐに否定した。昔よりも、確かに強くはなっているかもしれないが、準備運動をする動き自体は、昔の先輩そのままだった。上達はあっても、人が変わる訳ではないし、そもそも、一年程度で変わるには、芝崎は空手を長く続け過ぎている。これが、ズブの素人である浩之なら、話は違ったのだろうが。

「で、ルールはどうすんだ?」

 あれから、いくらかは坂下を止めようとした御木本だが、すでにあきらめて、仕方なく審判の役割をこなすことになっていた。御木本のそれが、純粋に坂下のことを心配してだったとしても、坂下が一度物事を決めた後で、御木本が覆せる訳もない。

 もし、坂下が折れるのならば、自分が相手をしてもいい、と御木本は思っていたのだ。先輩達よりも強かったのは、御木本も同じことだ。ただし、総合格闘、という枠に入ればの話だが。

 どんなに鍛えて来たかは分からないが、芝崎程度、と言ってしまうには強い相手のはずなのだが、御木本の正直な気持ちはそうだ、に負ける要素など、御木本には考えられなかった。

 だったら、坂下を心配するだけ無駄という話なのだろうが、そこは惚れた弱みもあるし、例え勝っても、怪我が悪化するようなことがあれば、御木本としては悔やんでも悔やみきれないのだ。

 いっそのこと、芝崎の野郎が、手加減しても好恵を倒せるぐらいに強くなってねえかなあ。

 そう考えた御木本は、かなり大胆だ。もちろん、本気でそう思っている訳ではない。というよりも、坂下が手加減する必要があるとすら思っているし、本当にそうなれば、御木本は黙っていないが、ありえないからこそ、考えられるのだ。

 ぶっちゃけ、御木本にしてみれば、芝崎のことなどどうでもいいのだ。坂下目当てであった御木本に、先輩に対する敬意などない。そもそも、強さで立場付けされているはずの部活で、自分よりも弱い相手に払う敬意など、最初から持ち合わせていないのだ。

 芝崎が負けたときも、ちゃんとその場にいたはずの御木本だが、正直、試合のことはあまり記憶になかった。坂下が主将になったのでかろうじて覚えているが、坂下が先輩に勝つなど日常茶飯事だったので、いくら芝崎が覚悟を決めて来たところで、関係ない、と感じていたからだ。

 ルールを決めるのも、だから視線は坂下に向いていた。

「完全KOで決着、だ」

 しかし、御木本から低く見られていることぐらい分かっているだろうに、芝崎は、それをおくびにも出さずに、言ってのけた。

 軽薄そうに、御木本は口笛を吹く。

「先輩、やめとけって。最近一年にバカが増えたけどさ、同じようなことしてボコボコにされるんだぜ?」

 芝崎の身を案じる気持ちが1割、バカにする気持ちが4割、それでも坂下の心配をする気持ちが5割と、御木本の頭の中はかなり分かり易かった。

 もちろん、そのバカとは健介のことだ。公言ことしていないが、坂下や寺町相手には、健介は動けなくなるまで、勝敗が決したとは思っていないふしがある。事実、試合が止まるのは、健介が動けなくなるまで、なのだから不言実行と言えるだろう。

 まあ、つまり一日に何度も動けなくなるぐらいのダメージを受け続けている健介のタフさは異常なのかもしれない。坂下や寺町なら、ある程度は手加減も出来ているだろうが、それでもバカと言わざるを得ない。

「……いや、人のことは言えんが、先輩としてそれは一年を止めるべきじゃないのか?」

 無茶をしようとする人間から、実に常識的な言葉が返って来る。御木本もそうだとは思うのだが、いかんせん、坂下や、特に寺町に常識などという薄いものが通じるとは、当然思っていない。

「心配しなくとも、今度病院から帰って来たら、守りをちゃんと教えますよ」

 しかし、大したことではない、と坂下は思っているのか、実に軽い口調で、それに答える。坂下がやったのだ、と芝崎は誤解したまま、苦笑する。

「後輩を病院送りか……相変わらずだな」

 芝崎は、坂下が後輩を病院送りにした、ということを疑っていなかった。さすがに、御木本は間違いを指摘しようか、とも思ったが、坂下に別にいい、と視線を送られて、黙る。

 事実はどうであれ、健介が入院しているのは、空手部の為であり、ということは、坂下の所為である、ということだ。坂下本人には、それはれっきとした事実だった。

 また、そういう融通が利きまくるくせに曲げようとしない坂下の態度が、御木本にははがゆく、そして余計に惚れてしまっているので、御木本は何も言えない。

 いや、健介が入院しているのは、坂下にとっては、本当に自分の所為なのだ。

 底上げの為とは言え、あんな無茶な練習方法を許したのは自分なのだ。もし、先に守りについてみっちりと鍛えていれば、アリゲーターを追いつめないまでも、あんな怪我をすることはなかったかもしれないのだ。

 健介が聞けば、反対に怒り出すかもしれないようなことを、坂下は本気で考えている。そして、それに責任は取ろう、と思っても、それで手を抜いたりはしない、御木本も惚れようというものだ。

「とりあえず、目つぶしと金的、頭突きだけ禁止でいいですか?」

 頭突きはかなり回避しにくいし、他もどれを取っても、一撃で決まる割には、防ぎ難い技だ。命や後遺症のことも考えれば、封じて当然。

「投げや関節は?」

「先輩が使いたいのならどうぞ。私はつかいませんから」

「くくっ、言ってくれるな。ま、俺も相変わらず空手だけだ。考えないでもいいだろう」

 これで、嘘をついて組み技を温存しているってのなら、少しは見直すところなんだがなあ。

 御木本は、そんな物騒なことを考えていた。芝崎の動きを見る限り、組み技もレベルの高い御木本から見ても、組み技を使わないのは嘘ではなさそうだった。

 まあ、御木本だって、本気でそんな心配をしている訳ではない。下手な組み技など、坂下の前には無力であるし、前述がある以上、大して重要な話ではないが、芝崎は自己満足の為にここおり、だまし討ちで満足するような人間にはとても見えない。

 まあ、だまし討ちをするような人間なら、俺が先にぶっ殺してるところだがな。

 もともとアンダーグラウンドで戦って来た御木本には手を汚すことは、必要ならば手段の一つでしかないのだ。坂下の為になる、というのなら、アリゲーターの例を見れば分かるように、どれだけでも残酷になれる。

 そういう部分が安全でなければ、例え坂下がどう言い張っても、御木本は速攻で芝崎に殴りかかって、倒していただろう。御木本の実力の多くは、芝崎にも隠して来たのだ。実力ですら勝てると思っているのだ、先ほど御木本が考えたことではないが、だまし討ちならば、考えるまでもない。

「では、完全KO制。一本勝負でいいですね?」

「ああ、恩に着る」

 戦おう、というのに、後輩に対して、芝崎は頭を下げた。坂下が戦う理由など、本当はないことを、他の誰よりも本人がよく分かっているのだ。

「つっても、俺が危ないと思ったら、止めるからな」

 御木本がらしからぬ口を挟む。もちろん坂下が危なくなったとき限定だ。いや、怪我に差し障ると思えば、危なくなくとも止めるつもりだった。

「御木本」

「な、何だよ」

 まるで御木本が考えていることが、そのまま耳に入っているかのように、坂下は、笑いながら、しかし凄みを効かせて、言った。

「無意味な中断した場合、絶交だからね」

「なっ?!」

 これには、御木本は絶句するしかなかった。

 

続く

 

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