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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(381)

 

 二人の漫才が一段落ついたのを見計らって、芝崎は御木本をせかす。

「準備は済んだんだ。さっさと合図してくれ」

「へいへい、どうせ先輩が好恵に勝てる訳はないのに、わざわざ殺されに来なくても……」

「御木本」

 御木本の挑発だか暴言だか分からない言葉に釘を刺したのは坂下だった。芝崎の方は、どう思っているのか分からないが、その言葉を無視していた。いや、苦笑して流した。

「分かってるよ、合図、すればいいだろ?」

 御木本は、しぶしぶという顔で、中央に立った。

「じゃあ、盛り上げても仕方ないしな。適当に始めるぜ」

 坂下と芝崎は、御木本の合図もなしに、お互いに礼をする。本当は主審が合図をするものだが、御木本には期待出来ないと思ったのだろう。礼に始まり礼に終わる。空手には、だてに道の名はついていない。

 御木本は、それでも一応、開始の合図だけはするつもりのようだ。

「それでは、始め!」

 確かに盛り上がりもない合図の後、先に動いたのは芝崎だった。坂下の様子を見るようなこともせずに、真っ直ぐに坂下との距離をつめる。

 それに、坂下は、左半身にこそなっているが、腕を上げずに、迎え撃つ。

 腕を、動かせないほどに痛めているのでは、と芝崎が思ったのは、一瞬のことだった。

 身体を万全に保っておくのは、言わば言われなくともしておかなければならないことだ。怪我なり病気なりで全力が出せない、ということも含めて、実力なのだ。

 しかも、坂下は、芝崎の無茶とも言える挑戦を、わざわざ受けたのだ。芝崎自身、怪我をしていると聞いて止めようとしたのだ。試合をしたこと自体、坂下には責任がある。

 万全でないことに、芝崎は、ほんの一瞬だけ、迷いが生まれた。しかし、それをすぐにその考えで消した。

 いい訳とか、そういうものではない。坂下が受けた以上、これ以外の試合はないし、そもそも、万全でないから勝ち目が増える、などという甘い相手ではない、と芝崎は考えたのだ。

 だから、最初から本気で、芝崎は拳を振るっていた。

 芝崎は、蹴りと突きでは、突きの方が得意である。十分な体格から繰り出される拳は、十分人間を打破できる威力を発揮するのだ。戦術の多さとしての蹴りは重要だが、威力という意味では、拳でも十分だという理論があった。

 その中でも、下段突きを芝崎は愛用していた。普通、下段では相手を倒せない。鍛えられた腹筋は、そう簡単には有効なダメージを通してはくれないのだ。

 しかし、芝崎にも、自分なりの理論がある。

 KOを狙うのならば、なるほど、フック系のパンチや、ハイキックの方がいいのかもしれない。だが、相手だってそう易々とそれを許してはくれない。

 その中で、下段突きは、すたれていく一方の技であるが、だからこそ、誰もがあまり慣れていない。そしてボディーブローというものは、とにかく受け難くて、そして時間が経てば経つほど、効果を発揮していく。

 派手さはないかもしれないが、十分な結果を芝崎は下段突きを主武器にして出して来た。近代空手の試合では、下段突きなど誰も使って来ないからこそ、それが武器になったのだ。

 空手部でも、やはり一番強かった。坂下が、入学して来るまでは。

 自分よりも強い人間など、沢山いるのは、もちろん分かっていた。全国優勝したならともかく、芝崎は全国に手が届くか届かないか、まあそれでも十分凄いのだが、その程度の実力なのだ。

 だが、年下の、それも女の子に負けたとき、そのショックは、相当に大きかった。

 まさか、という思い。まぐれだと、最初は思ってしまったほどだった。しかし、二度目には、間違いなく、相手の方が強いことを、実力があるからこそ、悟ってしまった。

 しかし、あのときと、芝崎は違う。下段突きを主武器にしているのは変わらないが、練度は桁違いだ。この一年、無為に過ごした訳ではない。勝つ、という明確な目的の為に、この青春のまっただ中と言っていい一年を、かけたのだ。

 その修練と思いを乗せて、芝崎は素早く踏み込みながら、牽制でもあり、必殺技でもある下段突きを、坂下の腹部に向かって放っていた。

 下に、ねじり混むように打つ。素人相手なら、これ一撃で決まる拳だ。

 しかし、フェイントも何も入れていない一撃だ。避けられる、下手をすれば、打ち込む前に蹴りを入れられるかもしれない。その程度のことは、当然想定済みだった。

 それに対処する。先に手を出すが、それはあくまで、後の先の為の伏線に過ぎない。

 当然、手を出して来なければ、またはそれが遅ければ、先に芝崎の拳が入る。リーチはともかく、スピードは一直線に打ち込まれる為に速く、そして近付いた状態では視界を隠し、受けるのは難しい。

 しかし、坂下の動きは、そのどれでも、なかった。

 素早く踏みこんでの芝崎の下段突きに、合わせるように、坂下は前に出ていた。至近距離でやり合うつもりではない、あまりにも、出過ぎていた。

「!?」

 芝崎は、とっさに対応しようとしたが、間に合わない。

 芝崎の拳は、文字通り吸い込まれるように坂下の腹部に入り、それを、貫けなかった。

 殺された!!

 芝崎は、何が起こったのかを、すぐに理解した。

 下段突きは、リーチは短い。近距離から至近距離と呼ばれる範囲が攻撃範囲だ。リーチのある芝崎ならば、もう少し距離はかせげるが、しかし、それでも短い。

 だから、懐に入られるのは、むしろ望むところだった。体格の大きな芝崎には、懐に入られることを苦手とする要素はない。距離的に言えば最も短い攻撃を得意としているのだから、至近距離は一番得意とするところなのだ。

 だが、坂下は、それを正面からねじ伏せた。

 下段突きは、確かに至近距離の技だが、芝崎はけっこうリーチを持つ。だからこそ、最初に下段突きを入れるという選択肢が出来る訳だが、当然最初の一撃は、距離を稼ぐ下段突きを放つ。つまり打撃が一番強くなるヒットポイントの位置は芝崎の身体からけっこう距離があるのだ。

 坂下は、一瞬も躊躇なく、芝崎との距離を詰めた。その結果、中距離の下段突きを狙った芝崎の、至近距離まで坂下は距離を詰めたのだ。こうなってしまうと、打撃には威力はない。あくまで、適した距離で当たらなければダメージはないし、あっても微々たるものだ。坂下の鉄板でも入っているのでは、と思えるほど硬い色気のない腹筋ならなおさらだ。

 普通、下段突きが来ると分かっているのならば、距離と取るか、リーチのある攻撃をするものだ。芝崎は、何度もそれを経験して来た。まさか、さらに内に入って来るとは、思っていなかったのだ。

 一瞬でも前に出るのを躊躇すれば、入って来れない距離。つまり、坂下には躊躇とか恐怖とかがなかった、ということだった。ほとんど無防備に、芝崎との距離を詰めたのだ。

 どれほど実力が上がっているか分からない相手に、様子さえ見ずに、一手目で距離を詰め、技を殺す。

 いや、技を殺されただけでは、済まなかった。

 坂下は、拳を受けたまま、さらに前へと出て、芝崎の身体をそこから浮かせる。

 とたん、ぐるんっ、と芝崎の視界が回転していた。

「!?」

 体験した芝崎には、不可思議な力、としか言い様のない力が働いたとしか思えなかった。

 坂下は、距離を詰めて芝崎の身体を浮かせると、そのまま芝崎の脚を自分の脚で払うようにして、芝崎を事実上足払いで投げたのだ。どこも相手を掴むでもない。前進の力と、歩法とも言える足運びだけで、芝崎の自由を一瞬で奪い。

 ドカッ!!!!

 返す脚の膝を、宙にある芝崎の身体に、打ち込んでいた。

 

続く

 

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