ダンダンダンッ!!
脚を刈られ、宙を舞った状態で坂下の膝蹴りを受けた芝崎の身体は、蹴られた勢いのまま、道場の床を転がった。
ほれいわんこっちゃない、と肩をすくめる御木本だったが、次の瞬間、おっ、とその動きを止める。
転がった勢いそのままに、芝崎は床に手をつくと、すぐに立ち上がったのだ。
坂下の膝は強力だ。チェーンソーとの一戦も、最終的には、この膝の一撃で試合を決めている。やれミドルキックだ、やれ拳だ、と単体ばかり矢面に立たされる坂下だが、その打撃全てのレベルが高いのだ。
それを受けて、なおすぐに立てる訳がなく、であれば、ガードした、ということだ。
宙にあり、避けることは出来なかったのだろうが、それでも腕でガードし、膝の直撃を受けるのを回避したのだ。
「へえ、先輩もやるように……そんなに睨むなよ、好恵。邪魔する気はねえよ」
御木本は軽口を叩こうとして、坂下に睨まれて、後半はいい訳になった。
実のところ、御木本は、一発で試合が決まると思っていたのだ。
芝崎は、悪い選手ではないが、しかし、だからと言って坂下に対抗出来るような空手家ではなかった。才能がない、とは言わない。あくまで、坂下の方がおかしすぎるのだ。
坂下の怪我に影響ある、と思えば、邪魔をするのに躊躇する気はなかったが、半分以上、怪我の心配をする暇すらなく試合は決まると思っていたのだ。
が、結局、邪魔をしようと思うほど、二人の実力の差が詰まっている訳ではない、ということなのだが。
まあ、それはともかく、よくやるようになったのは本当の話だった。宙にあっても、腕は動くだろう、などと考えるのは素人の、体験したことのない者の考えただ。
いきなり身体が宙を回転するときに、普通のように、いや、いつもよりも素早くガードするのが、どれほど難しいか。それが出来たということは、まともな練習だけではない、色々な経験をして、さらに修練を積んで来た、ということだ。
「流石だな、坂下。だが、俺だって遊んで来た訳じゃない。そう簡単に、終われないんだよ」
ガードが間に合っただけで、完全にダメージを殺せた訳でもないだろうに、それでも、芝崎は強がっている。いや、強がりというか、そう言うしかたなかったのだろう。
芝崎の、坂下に対するこだわりは、相当のものなのだ。今日、それに決着を着ける為に、ここに来たのだから、一撃で負ける訳にはいかない。
しかし、本人が、例え負けたくなくとも、現実は、厳しいのだ。
次の瞬間には、まるで風の間をするりと抜けて来たように、音も立てずに、坂下は芝崎を、蹴りの間合いに捉えていた。
ドンッ!!
「ぐうっ!!」
坂下のミドルキックが、芝崎の身体を横にずらす。両腕でガードしたので、ダメージは少なかっただろうが、芝崎に反撃する余裕はまったくなかった。
というか、反撃などという色気を出せば、ガードごとぶち抜かれる。
しかし、反撃出来ない、ということは、相手を止められない、ということだ。
坂下は、腕をだらんと下に下げたまま、同じ脚でローキックを放つ。ミドルの後だというのに、まったく身体が揺れない。それでも十分な威力を持っているのだ。まったくその安定感は流石だった。
芝崎は、さきほどずらされたのもあり、何とかローの距離からは離れることに成功したが、その距離は、やはり坂下の蹴りの距離だった。いや、これは、完全に坂下に距離を制御されているとしか思えなかった。
ただ守ってばかりでは、すぐに限界が来るのを悟って、いや、そもそも、守るだけでは、悲願は果たせないことは芝崎も分かってた。だから、その距離、坂下が届くということは、芝崎の攻撃も届く、その距離で、蹴りを放つ。
「ぜっ!!」
「ふっ!!」
二人のかけ声は、ほぼ同時、いや、一瞬芝崎の方が早かったか。しかも、坂下は先ほど蹴りを放ったばかり、分は、圧倒的に芝崎の方にあるはずだ。
バシィッ!!!
が、そんな条件を、あっさりと真正面からねじ伏せ、坂下のミドルキックが、芝崎をガードの上から蹴り込んでいた。先に当たれば、威力が相手のバランスを崩す。後の芝崎の蹴りは、坂下に届く前に失速していた。
二、三歩たたらを踏んだ芝崎だったが、しかし、驚くべきは、それでも、クリーンヒットを許していないことだ。芝崎に出来る限界で攻めているだろに、それでも坂下の蹴りをガードしきっているのは、素直に驚嘆に値する。
ズドンッ!!
距離の開いたそこに、坂下の前蹴りが放たれる。芝崎は、きっちりと十字受けでその前蹴りを受け、しかし、体重で勝っているはずの芝崎の身体は、大きく後ろにはね飛ばされる。
重い方が、後ろに飛ばされる。それはもう、技の鋭さとかそんなもので説明出来るものを超えているようにすら思える。しかし、それを芝崎がガード出来たのも、事実。
今度は、後ろに飛んだのでそれなりにダメージは殺せたろう、芝崎は、バランスを崩すことなく着地して。
ガクッ、と一瞬、膝を落とした。
「くっ!?」
すぐに体勢を立て直したが、それは、飛ばされて体勢を崩した、という類のものではなく、明かに、ダメージによるものだった。しかも、かなり深刻な方の。
頭を蹴られたのでもない、脚を攻められた訳でもない。執拗に、しかし、単純に、とすら言える胴体への攻撃を、全てガードしているのだ。だからこそ、深刻なダメージ。
ガードしても、ダメージを全て殺せる訳ではない。それが、坂下が完璧に受けたときと大きく違う部分だ。ダメージははじくものではなく、流すもの。ダメージは徐々に蓄積するからだ。が、ガードすれば、ほとんど威力を殺せるのも事実。
様は、直撃さえしなければ、打撃はそう怖いものではない。
はずなのだ。
つまり、そんな状況で膝が落ちるということは、そのどうしようもないダメージのしこりが、すでに限界近くにまで迫っている、ということだった。
末端をやられたのではない、芯に残るダメージが、すでに芝崎の身体を蝕んでいる、ということだ。
試合開始、わずかに一分もかからず、しかも、クリーンヒットもなし、末端に当たったのでもない、なのに、すでに芝崎の身体は限界に近付いている。片脚ぐらいは、突っ込んでいるかもしれない。
膝が落ちるまで、身体の異変に、本人は気付かなかったかもしれない。深刻なダメージは、しかし、だからこそ、痛みを感じ難くなっているときには、気付かないものだ。
いや、芝崎の立場であれば、例え気付いていても、認めたくはなかったのかも知れない。
坂下は、侮るでもない、急ぐでもない。静かに、芝崎が立ち直るのを待っていた。この隙に攻めよう、というつもりはないようだった。
芝崎にとってみれば、屈辱、だっただろうか? そんなことを思う余裕すらなかっただろうか?
こうなることは、大方予測出来た。だから、御木本は心配しながらも試合をするのを許したのだ。芝崎は、坂下の強さに、まったくついていけていない。
「……そんな、馬鹿、な」
それは、芝崎の、自分の身を絞るような、切実とも言っていい声だった。
続く