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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(383)

 

 こうなる可能性を考えなかった訳ではない。

 むしろ、こうなることは予想の範疇内であった、と言ってもいいぐらいだ。

 芝崎は、自分の年齢による成長期がすでに過ぎていることに気付いていた。あの、成長著しい一年前、あのときににすら、圧倒的な差で負けたのだ。成長期という起爆剤を超えた自分には、その差は埋められない、と気付いていた。

 しかし、だから、努力したのだ。一年、その為に無駄にした、と言ってもいい。

 違う、無駄だった、などと、思っていない。

 その為に、出来るだけのことはした。出来ないことでも、無理矢理やってきた。ただ一心、坂下を倒す為だけに、全てをかけてきた。倒した後、何があるかなど、考えもせずに。

 そして、考える必要など、なかった、ということだ。今、芝崎は、昔よりも、さらに圧倒的な差をつけて押されていた。

 しかも、坂下はこれでもまだ全力ではないのだ。両の腕は、ほとんど動いてない。芝崎の攻撃を受ける為にすら、まだ動いていない。だというのに、ガードごしのダメージで、すでに芝崎は一度膝を屈してしまった。

 この圧倒的な差は、何だ。

 追い越せないかもしれない、しかし、差は縮められる、いや、無理でも、追い越すつもりでここまでやって来たのに、それが、少しも相手に通用しない。

 絶望とは、こういうことを言うのだろう。その絶望を体現したような坂下は、迷いを生み、前に出られなくなった芝崎を、静かに見ている。

「俺がいない間に、何が、あった?」

 何か、人生が変わるようなことが、芝崎にとっての坂下があるように、いや、それよりもよほど大きなものが、坂下にもあった。そうとしか思えなかった。

 しかし、その思いすら、何かある、という意味もないが、納得出来るものすら。

「何も」

 坂下は、短く否定した。

 この一年、御木本と一緒に不良をしばき倒したり、葵達と練習したり、マスカレイドに参加したりした。しかし、坂下にとっては、特記すべき内容では、ない。

 あの、チェーンソーを倒したことすら、坂下にとっては、大きなことでは、なかった。それが証拠に、戦うまではともかく、戦った後、坂下は、チェーンソーのことを少しも考えたことがなかった。

 芝崎のことも、そうだ。先輩が部活に来ない、という事実は気にしても、その理由になった、芝崎との戦いに、坂下は何も感じるものを残していない。冷淡、と言えばそれまでのことだが。

 そう、断じてしまえば楽な話なのだが。

 もっと大きな怪物が、坂下の中で暴れている、と思えば、それは無理からぬこと、と言えるだろうか。

「何も、何も、か」

「ええ、何も」

「この、全てをかけた一年が……」

 すでにダメージは動きに支障をきたすまで来ている。しかし、芝崎は、そんな弱い身体に、鞭を入れる。

 無茶でもいい、ここで、この身体壊れてもいい。一矢……いや、そんなまどろっこしいことはいい。

 ただ、倒す、と。

「何でもなかったと、言えるのか!!」

 人間、どんなに運動神経の鈍い者であっても、一生に一度は、「はまった」と思う瞬間がある。

 ある意味、人間の可能性、とでも言えるのかもしれない。最大の、いや、最大以上の「正しい」動きを、身体がなぞるときが、必ずある。そのときばかりは、本人にも、どんなに鈍くとも、それが感じられるのだ。

 芝崎にとって、次の瞬間が、まさにそれだった。鍛えに鍛えた身体が、無理を承知で動かしたそれが、一直線、その細い線に乗っていく感覚を、スローモーションのように感じる。

 入る。例え、両腕が動いたところで、受けるのは不可能。そして、坂下は、身体を動かしていない。つまり、回避も不可能。

 例え、坂下が、もしかしたら達人の域につま先でも入っていたとしても、身体の頑丈さは同じ。入れば、人は壊れる。

 ゆっくりと動く感覚の中、本当はほんの一瞬でしかないその時間、終わってみれば、やはり一瞬としか思い出せない、その瞬間に、芝崎は、見ていた。

 拳が、坂下の鳩尾に吸い込まれるように入って。

 あっさりと、坂下が身体をひねる動きに、流されるのを。

 とっとっと、と芝崎は、たたらを踏んだ。

 坂下の身体の中を通過したかのように、その下段突きは、あっさりと受け流された。

 もう、ばかな、と思うことすらなかった。認めた。芝崎は、認めたのだ。

 坂下は、違うのだ、と。もう、どんなに努力しても、どれだけ血を吐いても、決してそこには追いつけないのだと。距離を縮めることすら、不可能なのだと。

 バランスの崩れた芝崎相手に、反撃は、必要なかった。坂下は、完膚なきまでに、芝崎を壊したのだ。

 芝崎の、全てをかけた一年を丸ごと、何の苦もなく、飲み込み、食らい尽くした、虎の目が、芝崎を睨む。それは、まるで怒りをたたえているかのようだった。

「いいえ!!」

 坂下は、否定した。何もかも、弱さも強さも、全てひっくるめて飲み込んで。

「先輩の一年は、無駄ではありませんでした!!」

 そして、生み出した。

 認めた芝崎を、坂下の強さを、認めてしまった芝崎を、坂下は、強く、ただ強く叱咤する。

「僭越ながら、後輩として、先輩に、一つ教えられることがあります」

「……」

 やめろ、と芝崎は思っていた。それは、ある意味、暴力よりも酷い。

 声には出ない、しかし、芝崎は、坂下の言葉を、止めたかった。

 認めてしまえば、楽になるのだ。こんなバカなことで、時間を費やさなくて良くなるのだ。普通の高校生として、漫然と青春を送れば良くなるのだ。

 だが、坂下は許したりしない。何故なら、坂下は、まだ戦っているからだ。

 一度折れても、また、その折れた心を持って、立ち上がったのだ。強い弱いで言えば、弱かった坂下は、しかし、だからこそ、一度負けたからこそ、知っているのだ。

「負けることは、意味のないことじゃ、ない!!」

 酷い、酷すぎる、救いだった。

 強者だと思っていた人間から言われた、弱者の言葉。それが、芝崎の心を嫌というほどかき乱して、我慢出来ずに、立ち上がらせた。

 起きれば、怨みの一つも言ってやろう、坂下が繰り出すハイキックを、避ける気がない訳ではなく、避けれないことを悟って、芝崎は、心に決めるのだった。

 

 

 芝崎が、坂下のハイキックでKOされた、次の日。

「芝崎だ。都合で一年ばかり部活には出ていなかったが、これからはなるべく出て来ようと思う。まあ、坂下のやり方には怖くて何も言えないので、どうしても駄目だと思ったら助けを求めるように」

 微妙に皮肉を織り交ぜた挨拶に、後輩達はどう反応していいのか分からないという顔が半分、まあ、この部活の先輩だから、というのが半分の顔で見ていた。

 どことなく満足げな坂下と、むすっとしている御木本という、あまり見ない表情の組み合わせなのだが、急に現れた部活の先輩に気をとられて、誰も気付いていない。

 坂下としては、芝崎が部活に出て来てくれるのは助かる。もともと指導者が足りない部だ。芝崎は、来ていたころも指導熱心な、良い先輩だった。反対する理由がある訳がない。

 反対に、御木本としては、あまり好ましくない状況だった。

「先輩、山ごもりでもどこで行ったらどうですか?」

 挨拶も済んで、普通の練習になったところで、御木本はこそっと隠れて、芝崎に敬語のわりには、あまり友好的とは言えない低い声で言った。

「いや、考えてみれば、坂下を倒したいなら、坂下本人と練習した方が効率がいいと気付いてな」

「……ああ、そうですか。まあ無駄な努力でも何でもかましといてください」

「御木本、無駄話するな」

 坂下が注意すると、ちっ、と舌を鳴らすと、しぶしぶ芝崎から離れる。

 まったく、やっかいなことになったもんだ。御木本は心の中で悪態をついた。

 坂下を倒したい、という芝崎の言葉は嘘ではないのだろうが、どう見ても坂下にご執心なのが、御木本にはかなり気に入らない。

 坂下が好きな御木本としては、ライバルは、あまり強敵ではなさそうでも欲しくないのだ。

 いっそ坂下にばらすか、とも考えた。坂下は、あれでいて恋愛ではあまり動じない。芝崎も、坂下にいいように手玉に取られるだろう。

 しかし、それはそれで、どうもむかつく話だった。

 弄ばれるのも、いいように使われるのも、表面ではともかく、御木本は心の底ではあまり悪い気はしない。微妙な男心だった。

 結局、何も出来ないまま、御木本も、芝崎が部活に来るのを容認しなければならなかった。

 御木本が思っている以上に、坂下は、芝崎を歓迎していたのだ。

 これで、後輩の指導を芝崎に任せて、憂いなく、戦える、と。

 

続く

 

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