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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(385)

 

 平和な日本にいて、単なる高校生が、命の危険を感じることが、果たしてどれほどあるだろうか?

 何か昔も考えたようなことを考えながら、実際冗談になっていないこの状況に、いつも通り、ため息をつきながら、浩之はそれでも綾香と、少ない休息の時間を過ごしていた。

 綾香が、端から見ても分かるほどに危険であることは、何も今に始まったことではないし、浩之もそろそろ慣れては来ている。命の危険を気にしなければだが、最近はけっこう余裕も出て来て、場合によってはフォローにすら回れるかもしれない。

 しかし、今日の綾香はひと味もふた味も違った。だから、浩之は何と声をかけていいのか分からずに、ただ、綾香と並んで歩いているだけだった。

 実際、情けないよなあ、俺も。

 お互い、意識以上のものを持っているのに、こういうときに、すぐにかける言葉すら思いつかない自分を、浩之は自虐的に見る。

 そう、綾香がただ危険な雰囲気を発しているだけならば、何も問題ない。

 いや、不機嫌と言うのも、違うのかもしれない。今日の綾香は、どこか、ふてくされているように見えるのだ。

 こんな綾香は、珍しいを通り越して、だからこそ、浩之は、今までで一番危険を感じているのだ。いつもはないことが起こる、ということは、ろくなことはない、というのは、ほぼ間違いないだろう。

 まあ、もし、それが浩之に被害を及ぼさない、それどころか、他の誰にも迷惑をかけないとしても、放っておく訳には、いかない、むしろ放っておけないのだ。そこらへん、浩之の性質はやっかいである。

 浩之との約束が用事などでなくなったときでも、うぬぼれるならそれは浩之の見た綾香が一番ふてくされるだろう状況なのだが、ここまでふてくされたことはなかった。不機嫌になっても、それも含めて浩之をいじめる材料にするだけのしたたかさと強さを、綾香は持っているのだから。

「……なあ、綾香?」

「何?」

「う……」

 声まで、その感情がにじみ出ており、浩之は言葉につまる。声をかけたものの、何を言うかも考えてなかったのだ。もとより会話を続けられる状況ではなかった訳だが、それにしたって、今日の綾香のそっけなさと言ったらなかった。

 まあ、だからと言って、いつまでも躊躇していたままでは、どうしようもないよな。

 実にあっさりと、浩之は覚悟を決める。自分に何かできることがあるかどうかは分からないが、綾香が困っているのならば、何かしらの手助けが出来るかもしれないし、出来なくとも、話を聞くだけでも違うはずだ。そう、自分に言い聞かせて、無理矢理勇気を奮い立たせる。

「何か、あったのか?」

「……ふーん、むしろ、その言葉、そのままそっくりそっちに返したいんだけど」

「うっ……」

 これには、浩之は黙るしかなかった。まさか、そう返して来るとは思っていなかったのだ。

 綾香に、言えないことが、浩之には確かにあった。

 ランのことだ。ランに告白されたことを、浩之は黙っていた。当たり前だ、そんなものを言いふらして喜ぶ浩之ではない。例え綾香に本気で殴られたって浩之が口を割ることはない。浩之一人のことならばともかく、相手があることで、浩之がそう簡単どころか難解に折れることなど、あり得ない。

「ふーん。かまかけてみたんだけど、本当に何かあったんだ」

「ぐっ」

 だが、浩之はあくまで仮面をうまく使いこなせる人間ではなく、腹芸で綾香と対等に渡り合える訳ではなかった。浩之の態度だけでそれを推測するのは不可能だろうが、まわりの情報も含めれば、綾香がその結論に達する可能性は、十分にあった。

 が、次の瞬間には、浩之はまゆを潜めた。自分の危機も忘れて、その言葉が引っかかったのだ。

「かまかけたって、会った瞬間に気づいた訳じゃないだろ?」

「まあ、数分もあればもろばれだけどね。で、一体何があったのか、きりきり吐いて……」

 死刑宣告にも近い言葉を、浩之は、あっさりと切る。

「じゃあ、綾香がふてくされてるのは、俺の所為じゃないんだな?」

 いくら綾香が天才だ、化け物だ、地球外生命体だと言っても、会った瞬間に浩之の異変に気づけるとは思えない。だいたい、近づいてくる顔からすでにふてくされていたのだ。かわいい顔が台無しだ、と思ったのだから間違いない。

 その後で、浩之のおかしいのに気付いたのだろうが、少なくとも、ふてくされているのは、浩之の所為とは考難かった。

「……別にふてくされてなんかないわよ」

 その言葉が、浩之の所為ではないことを雄弁していた。

 であるならば、やはり、尋常なことではないのだ。綾香がふてくされている、というのは、それこそ、不機嫌とか殺気立っているとかよりも、よほど深刻な話なのではないかと、浩之は心配しているのだ。

「綾香、何があった」

「まず、そっちが先でしょ」

 やはりふてくされたままで、綾香がそう言うが、しかし、今の浩之は、一片たりとも折れなかった。

「俺のは、何があっても言えない。俺だけの話じゃないからな。だけど、終わった話だから、問題は起きない」

 そのヒントで、綾香がそこにたどり着くかもしれない。しかし、言えないものは言えない。浩之は、筋の通し方ぐらいは心得ている。そして、自分の本心からの言葉に、綾香はそれでもわがままを通して来ることはない、という信頼があった。

 綾香は、一瞬口を開きかけて、やめてため息をつく。

「……もう、浩之って卑怯よね。そう言われたら、聞けないじゃない」

 綾香は、能力はずば抜けている怪物だが、それでも浩之の信頼を裏切るような人間ではなかった。

「で、私のは言わされるんでしょ?」

「あのなあ、綾香がかわいい顔だいなしで、ふてくされた顔してるのに、黙ってられると思うか?」

「おだてても何も出ないわよ?」

「期待してないさ」

 かわいいなど、言われ慣れているのであろう綾香は、顔を赤らめるでもなく、ただ、事実としてそれを受け取ったが、少し雰囲気が柔らかくなった。のを、浩之は気付いてなかったりするのだから、色々と救われない話だった。

「そっか、ふてくされているように見えるんだ」

「ああ、完璧にふてくされてるな」

 まあ、大したことじゃないんだけどね、という前置きをしてから、綾香は、理由をあっさりと話してくれた。そう、問題なほどに、あっさりと。

「好恵と二人で話したんだけどね」

「それは……また危険な香りが……あ、いや、二人は昔からの友達なんだから、そういう場面もあるのか?」

 二人のつきあいは、浩之と綾香のつきあいよりも古い。だから、二人きりで話をするぐらい当然あったのだろうが、何故か、いや、何故かなどとつける意味もないぐらいに、危険な感じしか受けない。

 相性だけで言えば、そう悪い組み合わせには思えないのだが、しかし、危険な感じは、どうやっても抜けそうになかった。

「試合を辞退するようにすすめたら、突っぱねられたのよねえ」

「いや、そりゃつっぱねるだろ」

 当たり前だ。坂下にしてみれば、それが悲願の達成の為の第一歩である。そのことは、同じ最終目標を密かに持つ同類の浩之にはよく分かる。むしろ、綾香になめられているとすら思ったのではないだろうか?

 だが、疑問もあった。

「なあ、綾香。お前も、坂下と戦いたいとか、思ってないのか?」

「ん? そりゃ、戦いたいわよ? 今の本気の好恵と戦ったら、楽しそうだもんね」

 そう、綾香にしてみれば、強い相手と戦えるのは嬉しいことのはずなのだ。最終的に勝つと盲信していられるからこその考え方かもしれないが、そのバカにも似たというか、そのままな感情がある限り、綾香が坂下と試合をしたがらない理由が、思い付かないのだ。

「じゃあ、何で……」

 不吉、という言葉を、浩之は嫌と言うほど、思い知らされる。やはり、浩之の感じたものは正しかった。ふてくされる、といういつもと違うその態度は、やはり、いつもの危険を、さらに通り越した、もう、手のつけられないものなのだと。

「だって、今の好恵と戦ったら、取り返しのつかない怪我をさせそうじゃない」

 綾香は、笑いながら言う。笑いながら、言うのだ。

「人がせっかく心配してやって、善意で言ってやったのに、好恵のやつ、一言で却下よ? まったく、何を考えるんだか」

 のどが、乾く。

 ああ、そうだろう。坂下は、絶対にそれを飲んだりしない。綾香の言う言葉に、まったく誇張が含まれていないと知っているけれども、それでも、その言葉を飲むという選択肢は、ありえないのだから。

 それを、綾香だって、分かっているのだろうに。

 浩之は、何も言えない。綾香のフォローなど、思いつきもしない。いや、綾香は、ただふてくされているだけなのだから、フォローがいるのは坂下かもしれないが、それも、また現実的に不可能で。

 ひとしきり笑った後に、綾香は、表情を消して、ぼそり、とつぶやいた。

「ほんと、救えない馬鹿よね」

 

続く

 

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