赤目の言葉と同時に、プシューッと、花道の入り口、舞台が、スモークに包まれ、視界を遮る。
スモークが晴れたときには、舞台に、一人の少女が立っていた。
服装は、いたって簡単なもの。ウレタンナックルこそつけているものの、それ以外の武器防具はまったく見えない。ありふれた、しかし清潔に保たれた空手着を羽織った、黒帯の少女。空手の黒帯は、流派によってかなり差はあるものの、柔道とは違って、そう簡単に取れるものではない。基準から言えば、男性であろうと女性であろうと、人一人を打撃で殺すことの出来る実力を持っている、と思っていいだろう。
そう、黒帯は、人を殺せる、という看板を掲げているのだ。
マスカレイドでも、格闘技、流派こそ違え、黒帯を持つものは沢山いる。それでも、この少女よりも、人を殺す力に優れている、とは、少なくとも、口には出せないだろう。
今まで、おそらくは体験したことのない観客の多さに、扱い。それでも、少女の様子は崩れる様子がない。緊張どころか、その年齢に合わないほどの余裕すら見て取れる。
観客達は、そのふてぶてしいまでの態度の少女を、しかし、歓声を持って歓迎する。
「マスカレイドでの全成績、四戦四勝!!」
赤目の言葉に合わせるように、少女は、花道の真ん中を、ゆっくりと試合場に向かって、歩き出した。
動きに、緩慢さははない。だからと言って、軽いとは見えない。踏みしめるように歩いているのに、まるで体重がないのではないか、と思えるほどに柔らかいのに、しっかりと、存在感を放つ。
「一戦目、ムサシ!! 圧勝するだろうと出した彼が、まさかここまで完勝されるとは、夢にも思いませんでした!!」
試合は観客こそいなかったものの、試合自体は配布されており、誰しもがその試合を見れていた。いきなりマスカレイドに参戦した癖に、武器、しかも普通はいることのない本当の「二刀使い」を相手に、見えることのないはずの突きを、真正面から「受け切って」完勝。
動画はアリゲーターの試合の後に配られたが、見ている者が衝撃を受けたのは当然だった。
「二戦目、アリゲーター!! マスカレイドにたてついたアリゲーター自体は、皆さんご存じの通り、彼女に返り討ちにされました!!」
足場は水場と言う、坂下にとって、かなり不利な試合場。相手はオールマイティな能力に、金属製のナックルをはめて、安易な武器ではない、驚異となる装備を持ち、それを容赦なく振るうことの出来るゲスな選手だった。
それを、素手の拳で真正面から粉砕。その後、坂下はアリゲーターから狙われるも、もう一度、身体だけでなく、心まで完膚なきまでに粉砕した。
「三戦目、カリュウ!! マスカレイドの生え抜きであるカリュウとの試合で、彼女の実力は完全に皆の認めるところとなります!!」
ランが、マスカレイドに坂下が関わる理由を作ったとしたら、カリュウは、坂下がマスカレイドで戦う理由を作った。
マスカレイドの生え抜きだったカリュウ。その試合を見て、坂下が違和感を感じたのが、マスカレイドで戦う最初の理由だったのだ。
坂下に対して、カリュウは善戦した、と言っていい。そのままなら、勝てたのでは、とすら思えた。しかし、坂下の神技とも言える技の前に、屈した。
結果、坂下は知ることとなる。カリュウの正体である御木本の、気持ちを。まあ、その後の対応は、坂下の方が御木本よりもかなり上手だというのを見せつける結果になっただけなのだが。
「そして、四戦目、マスカレイド無敗の一位、チェーンソー!! もう、何も言う必要はないでしょう!!」
鎖という異端の武器を使う、しかしマスカレイド最強の選手。
全身を覆うライダースーツと、フルフェイスのヘルメットで、その正体は不明だが、マスカレイドに参戦してから、未だ一度も負けたことのない、本当の猛者。
坂下の腕に、しばらく使い物にならないぐらいに傷を負わせ。
そのチェーンソーも、坂下の前に、倒れた。
異能の必殺技を、あろうことか、坂下は正面から受け流し、そしてその勢いを拳に乗せて、正面から撃破。最後には、腕を使えない為だったが、超低空の膝蹴りで、完全KOでの決着。
チェーンソーの正体が、ランがお世話になっていた初鹿であり、それより何より、初鹿が寺町の姉であることには、さすがの坂下も驚いた。
「あえて、あえてこう呼びましょう!!」
苦渋、とも取れる、楽しそう、とも見える、赤目の今の表情は、一言では表せないものだった。
「マスカレイド一位!!」
チェーンソーを倒した以上、そうなのだ。彼女は、マスカレイドで、一番強いと呼ばれる存在。そして、それを否定する者は、観客の中には誰もいないだろう。それほど坂下は強さを見せつけたのだから。
「坂下、好恵ーーーーーーーーーーっっっっ!!!!!」
ワアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァッ!!!!!!!!
かつて、最初に試合が組まれたとき、彼女が、これほどの歓声を持って迎えられることがあるなど、誰も想像していなかった。ただでさえ、マスクをかぶらない、マスカレイドの部外者であり、綾香の様に有名人でもなかったのだ。いきなり九位、というのは、反感を買って当然だった。
それでも、坂下は拳でそれを黙らせ、それどころか、歓声に変えた。
抜き身のような素拳でアリゲーターを粉砕し、カリュウを屠り、マスカレイド最強であったチェーンソーを倒した。
強いことこそが、マスカレイドでは全てであり、坂下は、強い、強すぎた。だから、誰もが、坂下を認めざるを得なかった。いた、積極的に認めた。
歓声に軽く応えながら歩いてくるその姿は、少女の身でありながら、独特の雰囲気を併せ持ち、いかにもゆったりとしていた。その年の少女が持つには、その雰囲気は、あまりにも完成され過ぎている。年齢以外では積み重ねられないものですら、そこには見て取れるのだ。
まるで、時間を濃縮したようなものを身に纏ったまま、坂下は試合場にたどり着く。
花道から試合場には、大きな段差があるが、そこには階段がなかった。そこを、坂下はひょいと階段でも下りるように足を前にだし、すとっ、と飛び降りた。
歓声の中に、所々、感嘆の声が混じる。分からないものには、ただ飛び降りただけに見えただろうが、分かる者にとっては、その身のこなしが、それこそ感嘆の声をあげるほどに、洗練されていたのだ。
浩之や葵も、その飛び降りる姿を見て、背筋にゾクゾクとするものを感じていた。
観客の歓声にかき消されてしまいそうだったので、葵はしゃてるにあたって、浩之の耳に口を近づけて話した。多少、浩之は痛い視線を感じたのだが、それはこの場所では無視することにした。
「好恵さん、出来上がってますね」
「ああ、あれには、正直近づきたくないな」
綾香を相手にして来て、危ないものにはかなり耐性のついている浩之だったが、それでも、今の坂下には近づきたくない、と浩之は思った。
動きが洗練されているだけではない。それほど出来上がる、ということは、それだけ、坂下が集中しているということだ。何に、など今更言う必要もない。
動きの洗練された度合いは、ランも感じれただろう。しかし、その危険さは、ランのレベルでは理解出来ないかもしれない。だが、チェーンソーであれば、初鹿であれは、理解出来たはずだ。
坂下が、そこまで集中する、いや、集中しないといけない相手であることは、浩之も、重々承知していた。
静かに、自然体の構えでそれを待つ坂下は、頼もしくもあり、同時に、どこか落ち着きがないようにも、浩之には見えた。
続く