二人が、試合場で会い合わせることとなったのは、当然の結果、と言っていいだろう。
例え、そこが違法であろうがまったく関係なかった場所であろうが、観客に見られていようがいまいが関係ない。二人の関係から言えば、当然の流れなのだ。
その二人だが、狭い試合場にいるにも関わらず、お互いに目を合わせようとしない。なのに、お互いを強烈に意識しているのが、観客達にも見て取れた。
試合が始まるのをうずうずして待つ、というのは、この二人ならばよくある話だが、こうもあからさまに相手を無視することはなかった。いや、無視できないからこそ、目を合わせない、とも言える。
因縁、というには何かある訳ではないが、しかし、何もなしで終われる二人ではないのだから。
しかし、見るべきは、そんな場所ではない。少なくとも、浩之はそれ以外のものを見ていた。
二人とも、汗をかいていた。
試合場の照明は、確かにきつい。綾香に聞いた話によると、エクストリームの試合場など、テレビの為の照明で、灼熱の真夏日もかくやと言うほど暑くなるらしい。
だが、試合も始まっていない、こんな短時間で、汗をかくようなことはないだろう。マスカレイドの試合としては、照明はきついかもしれないが、それでも、テレビで必要となるほどの明るさはないだろうし、原因は照明ではないのだ。
二人とも、準備運動を終わらせて来ている。
何も、不思議なことではない。身体を慣らさないまま試合に出るような選手は、普通いまい。そんなことをすれば、身体がろくに動かないばかりか、簡単に怪我をしてしまうだろう。それを防ぐ為にも、汗が流れるほどの準備運動を、誰もがする。
しかし、この二人に限って言えば、そんなことはほとんどしてこなかった。そうせずとも、十分に動く身体であったし、それが必要ないほど、二人とも格闘技が身体に身についているのだ。それは、スポーツマンと言うよりも、武術家に近いものがある。
その二人が、準備を万端にして来た。
マスカレッドと戦うときも、チェーンソーと戦うときも必要として来なかったそれを、ここでして来た。
全十の力を、開始早々に発揮できるようにして来た意味こそ、見るべきことなのだ。
「目、離せませんね」
葵も、一言それだけ言うと、始まってもいない試合のことを思って、目を試合場から離さない。浩之も、まわりを見る余裕はなかった。
試合場では、それを待ちきれない観客と同じように、やはり待ちきれないのだろう、赤目の口調が早くなる。
「両者、並び立たず!! この一戦は、本当の意味で、最強を決めると言って間違いありません!!!!」
嘘では、ない。誇張ですらない。ここにいる観客にとっては、それが事実だった。最強と呼ばれた選手をことごとく撃破して来た二人が、ここで決着をつけよう、というのだ。この勝者を最強と呼ばずして、誰を最強と呼べようか。
「さあ、もう私も我慢出来ません。すぐに、すぐに試合を始めましょう!! ためなど必要ない、存分に、戦ってもらいましょう!!!!!」
うおおおおおおぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおっぉぉぉおぉおぉっっっっ!!!!!
地鳴りのような歓声で、観客達もそれに同意する。もう、番組を盛り上げるために使うようなあおりは必要ない。二人ならば、それよりもずっとエキサイティングで、心躍らせる戦いをしてくれるだろうから。
「Here is … a ballroom(ここが・・・舞踏場)!!!!!!」
赤目が、首も折れろやと言わんばかりに、雄叫びをあげる。
「「「「「「「「「「ballroom!!!!」」」」」」」」」」
観客達も、それに応える。
他の試合と比べれば、あっけない、と言っていいだろう。それほどに、誰もが試合のみに集中していた。
マスカレイドにとって、最後ではないが、最終と言っていい、頂上決戦の火ぶたが。
「Masquerade…Dance(踊れ)!!!!!!」
切ったと同時に、外れていた二人の視線が、合わさった。
言葉はお互いになかった。言葉にしなければいけないことなど、もう終えていた。
それでも、叫ばずにはいられなかった。
「綾香っ!!!!」
「ははっ!!」
それに、綾香は楽しそうな笑い声で答える。
坂下の身体が、床を滑るように動く。飛び込むとか、そういう動きをしない。それは、相手にとってはタイミングが非常に取りづらい。普通の近代空手の動きではない。坂下なりに、研究と研鑽を重ねた結果、会得したものだった。
滑り込むように距離をつめる坂下のスピードは、速いのもあるが、読めない。普通は、動きだけを見ているのでは、反応など出来ない。人間はリズムで相手の動きを読むのだ。予備動作の少なさは、そもそも相手に受けを許さない。
だが、それは、あくまで普通の話。
綾香は、素早く距離を詰める坂下に向かって、これ以上ないほどのタイミングで、先制のストレートを放っていた。
ガッ!!!!
その腕を、坂下がただ受けただけで、まるで打撃がクリーンヒットしたかのような音が響く。しかし、音がしただけで、ちゃんと、そのハイスピードのストレートを、坂下は手で横にはじいていた。
と同時に、坂下のはじいた手は、その位置から身体に戻ることなく、綾香の顔面に向かって即座に打ち出されていた。
相手のパンチを受けた腕が、そのまま攻撃に移る。交差法の一手だが、綾香のストレートという、ジャブよりも速いそれを受けた瞬間に攻撃に移れるそれは、明らかにもう常識を無視している。
まさか、すぐに反撃が来るとは思っていなかったのだろう、綾香の回避が、一瞬遅れる。いや、それは、綾香が遅れたのではない、坂下が、速かったのだ。
シュバッ!!
が、その交差法の一撃を、綾香はかいくぐって避けた。相手の打撃を見てから避けたのでは間に合わないと言われている中、しかも交差法によって、攻撃の手はより綾香に近く、それだけ綾香に到達するまでに時間がかからないというのに、それを避けてみせたのだ。
どちらも、それで追撃を入れるでもなく、その一手を持ってはじかれるように距離を取った。
うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!
観客の歓声も当然。期待通り、いや、期待以上の攻防が、あの一瞬でかわされたのだ。興奮するのは当たり前。
見た目だけではない、レベルが高ければ気付くが、綾香がわざわざストレートを放ったのには意味がある。でなければ、距離のあるキックの方が良いに決まっているのだから。
オープニングから、綾香は坂下を倒そうとしたのだ。
ラビットパンチ、綾香のストレートは、ただ避けるだけでも困難なのに、次の技を放つ為の布石でしかなかったのだ。
それを、坂下は読んだ。だから、避けずに横にはじいたのだ。
それだけではない、その後の交差法も、完全に綾香相手を想定してのものだ。あの綾香から、後の先を取ることの困難さは、言葉に表すよりも、よほど難しいのだ。
強さ、という意味で言えば、勝つのは、間違いなく綾香だ。浩之は、今でもそう信じている。
しかし、ことはそう単純な話では、なさそうだった。
と同時に、その交差法を綾香は避けている。それは、対綾香用に組まれた攻防でも、綾香に追いつけないことを意味する。
……つか、予想なんか出来るかよ。
どちらも、浩之の想像を遙かに超えているのだ。浩之がぐだぐだ考えたぐらいで、勝敗が予測出来る訳がない。
ただ、まあ。
仕方ないことだが、素直に試合を楽しむには、浩之も、色々と複雑だったりするのだ。
続く