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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(392)

 

「それにしても、お互い、気が早いんじゃないでしょうか?」

 一回の攻防の後、葵はそんなことを言って来た。

「気が早い?」

「綾香さんのラビットパンチも、好恵さんの交差法も、お互いに必殺と言ってもいい技です」

 ラビットパンチは出る前に封じられていますし、交差法は必殺の威力はないので、正しい、とは言えませんけど、と葵は注釈をつける。

「ん、まあ、どちらも代名詞みたいな技ではあるな。でも、気が早いってのは?」

 葵は、神妙な顔で浩之の疑問に答える。

「得意技、というのは、もちろん私にもあります。知らない者同士ならば、いきなり初手に持って行くこともあります。でも、良く知った者同士の戦いで、いきなりそれを持っていくことはないんです」

「そうか? やっぱり、得意だから得意なんだろ?」

 浩之の技のほとんどは、他人の模倣で成り立っている。何でも器用にこなせるが、しかし、綾香や坂下、葵のように、技自体に重みを持たせることは出来ていない。

 そういう技があれば、と常日頃から浩之も思っているが、こればっかりは、簡単に手に入るものではない。

 得意技、と呼ばれるほどに練られた技が、どれほど頼りになるか。そして、どれほど相手にプレッシャーになるか。そこにいく柔らかい笑顔で試合を見ている初鹿の弟、寺町の打ち下ろしの正拳などが良い例だ。

「使えば、知っているだけに、相手にもプレッシャーかかるだろ」

「はい、もちろんそうです。でも、相手だってそれは分かっています。どんな技であれ、それでは決まりません。技の練度など関係なく、慣れている攻撃ですから、単発では対応されるのは当たり前です」

 言われてみれば、そうだった。それは、それでも押し切る技がないでもないが、お互いによく分かっている技でこられれば、いつも通り対応すればいいだけだ。

 そういう瞬間にタイミングを変える動きというのは、かなり難しいのだ。普通、技というのは、理論ではなく、身体にしみこませることによって成り立たせる。だから、同じ人間が使えば、多少のずれはあっても、やはり同じ動きになってしまう。

 綾香は、そのタイミングをずらして読みにくくする天才ではある。が、技自体は、当然坂下には読まれるだろう。

 そう考えてみると、あのスピードに交差法を合わせたのもうなずけるし、あれに拳を合わされても、綾香があわてることなく避けることが出来たのは、やはり同じ理由で坂下の交差法が来る、と分かっていたからこそなのだろう。

「得意技、とは言いますが、つまりそれは相手に読まれる、ということです。まして、お二人はお互いに相手のことを良く知っている。下手にいつものリズムで手を出せば、いつ裏をかかれるか分かりません。単発では、相手にも考えていつもと違う対処をする余裕があります。もっと相手を追いつめて使わないと、リスクが高いと思います」

「まあ、読まれると辛いですね。私の場合はあまり関係ありませんでしたが」

「?」

 いきなり会話に入って来た初鹿に、葵は首をかしげる。葵は、これが誰であるのか知らないのだ。いや、ランや浩之の知り合いだというのは知っているし、名前も知っているのだが、その正体までは知らない。言う機会もなかった。

 マスカレイド、元一位、チェーンソーの中身だ。確かに、あのリーチと威力を持ってすれば、そう簡単に読まれるものではない。あのリーチとリズムを短時間で読む坂下の方がどうかしているし、それに対処する方法など、チェーンソーにはいくらでもあった。タイミングをずらさずとも、チェーンソーには力押し、という手が使えるのだ。

「初鹿さんは、何か格闘技をしているんですか?」

「ええ、素手ではないですし、少しかじっている程度ですけれどね」

 ふふふ、と初鹿は笑って葵の言葉をはぐらかす。

 あれが少し、ねえ。

 浩之には正直笑えない。武器がなくとも、あれはかなりの使い手だった。というか、浩之では勝負にならない。何度も思ったし、実際そうだったが、この少女はこんな柔らかい笑みをしていながら、葵や綾香、坂下と同レベルの人間なのだ。

 まあ、今はその力を隠している、のか坂下に受けたダメージが大きすぎて出せないのか分からないが、葵にもその実力を隠せているようだった。

「でも、この攻防自体は、ヨシエさんが勝っているんじゃないでしょうか?」

 その初鹿につられるように、ランも会話に入って来た。非常に自然に、浩之よりもよほど割り切っているのだろう。後輩に、こうもちゃんとされると、浩之だった、いつまでも物事を引きずっている訳にはいかない。これはこれ、それはそれだ、と自分に言い聞かせる。まあ、それでも完全に割り切ったり出来ないのは、浩之の人の良さの所為なのだろうが。

「俺の目には痛み分け、って感じに見えるんだが」

「私には分かりませんでしたが、皆さんの話から察すると、ヨシエさんは来栖川先輩のラビットパンチを出す前につぶしたんですよね? 反対に、ヨシエさんの交差法、ですか? それは、避けられはしましたが、避ける以外の行動を来栖川先輩は取れていないじゃないですか」

 少し嬉しそうに、まあ言ってしまえば、浩之が普通に答えてくれたのが嬉しかったのだろうか、ランはそう理論付ける。

 坂下は、綾香の拳を避けた後に来るものを、知っている。だから、そもそも綾香の拳を自分の後ろにまで届かせない。届かせたとしても、腕で邪魔をする。と同時に、自分はその守りに使った腕を攻撃にまわす。綾香は、それに積極的な反撃が出来ていない。

 戦略の差、と言えるのだろうか。坂下は、綾香を完全に封じ込めている、と言える。

 綾香は、誰であれ、自分の戦い方を合わせる、ということはしない。自分の持つ引き出しから取り出して来ることはあっても、個人用に特殊な練習をすることはない。引き出しは十分な数があるからこそ、綾香はそれでも問題ない。

 反対に、坂下にはそこまでの引き出しはない。しかし、坂下は自分を怪物とは思っておらず、だから、個人用に技を研究することに、何ら抵抗がない。

 いや、それも違うだろう。個人用に、と言うには、綾香はいささか自由過ぎる。まさに変幻自在な技を使って来る相手に、個人用の対処など出来ない。

 しかし、それでも、やはり綾香用の戦い方はあるのだ。

 坂下は、その骨格を、ちゃんと考えていたのだろう。そして、それをずっと実践して来た。どんなに自由な動きが出来るとしても、その自由に合わせられるほどの、特化を。

 全てに過不足なく対処できる自由と、全てに対処出来るように練られた特化。

 つまりは、この二人の戦いは、それにつきる。一回の攻防で、それが分かるほどに、その色は明らか。

 ただ、それでも、ランが言うように、坂下の方が攻防で上だった、とは言い切れない。そう言い切るには、いささか、綾香は強すぎるのだ。

 まあ、そんなこと、坂下に言うのは、それこそ釈迦に説法な話なんだろうけどな。

 この世界で、一番綾香を理解している、と浩之はさすがに自負出来ない。少なくとも、坂下の方が、浩之よりもよほど綾香を理解しているだろうから。嫌になるほど、強制的に理解させられているだろうから。

 分かっているはずだ。ランが言ったように、この攻防で上回ったとしても、さして意味などない、と。

 

続く

 

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