作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(402)

 

「今度は、終わらなかったよ」

 坂下にだって、もちろん、自信はあった。

 自信、と言えば、現状を知る人間には、笑われるかもしれない。事実、坂下は、坂下と一緒で、綾香に一度も勝ったことのない後輩の葵に、野試合で負けを喫してる。それで自信があると言うのは、おこがましいことなのかもしれない。

 しかし、葵は、ほとんど打撃の神髄とも言える、最小の動きで最大の威力を発揮する崩拳を、無我の境地とも言える状態で放っているのだ。むしろ、そちらの方が卑怯と言うものであろう。それに負けたことは、坂下の評価を落とすことにはならない。

 それに、その葵や、倒すべき目標である綾香と、そしておまけの浩之と、一緒に何度も練習をしたことは、坂下にとって、かなりのプラスになった。

 マスカレイドでの戦いも、そうだ。坂下の今までの努力が、実戦の中で切磋琢磨され、より完成度の高いものへと昇華されていく。でなければ、綾香相手に、自信を持って、となどとは、言えるものではない。

 そして、坂下は、昔の自分を超えた。綾香のラビットキックを受け流した瞬間に、過去の自分は、完全に過去のものとなった。

 綾香も、もちろん成長している。綾香と同じかそれ以上の相手とも戦い、マスカレイドでも、何人ものありえない強敵を倒して来た。単なるスポーツマン、という枠には、そもそも綾香はとらえられない部分があったのに、それがさらに幅広くなり、さらに凶悪になっている。

 しかしそれでも、坂下は、あのときよりも、綾香との差が縮まっていることを、証明したのだ。

 勝った訳ではない。ただ、受け流すのに成功した、というだけだ。前の展開と同じになることの方が珍しいのだから、特別誇るべきことではないのかもしれない。だが、坂下には、十分意味がある。綾香を相手にしていれば、坂下だって、ずっと不安に、いや、もっとはっきりと、恐怖を感じ続けているのだ。

 綾香の危険度は、今更だし、度胸のある坂下ならば、もう飲み込んで戦える。しかし、それでも、やっぱり届かなかったのならどうしよう、差がさらに開いていたならどうしよう、と思う気持ちを、止めることは出来ない。

 ランの精神的な弱さを、困ったものだと言う坂下自体、精神的な弱さがない訳ではない。それを飲み込み、それを踏み越えることが、自然と出来る、いや、してしまうのが、精神的強さというものだ。感じないのではない、痛みを受けたとき、我慢することこそ、精神的強さなのだ。

 だから、不安や恐怖はある。あるからこそ、それを乗り越えたときに感じる喜びは、坂下にも消せるものではなかった。

「ふーん、まあまあやるようになったんじゃないの?」

 それともう一つ。喜び以外にも、坂下は、言う必要があった。綾香に、自分の気持ちを伝える意味があった。

 気のない風を装ってはいるが、綾香は、それを流せていない。綾香だって、この攻防の意味は分かっているのだ。先ほどの攻防で終わらせることの出来たあのころは、まだ使えなかった技を出して、それを受け流される意味を。

 綾香は成長している。それは間違いない。綾香だって、最初から最強ではない。今だって、心意気はともかく、実際は最強ではないだろう。綾香ほどの怪物であろうとも、成長して、最強になるのだ。

 だから、成長のスピードが、他に劣る、ということは、あってはならないのだ。

 開いている差は、広がることこそあれ、縮まることはない。初心者からの成長や、年齢による身体の成長ならば、著しいものがあり、瞬間的には綾香だって負けることもある。しかし、だからこそ綾香は浩之の、初心者としての時間の終わる速さと、その非常識な成長ぶりを評価するのだ。

 葵とだって、身体的成長以外は、驚異ではないとすら思っているのだ。それは、綾香の自信である。

 自分が、怪物であることの自信。

 坂下とは間逆。自分で手に入れたものではない、ただ、そこにあっただけのものに、綾香は自信を持っていた。

 自分で作ったものではない能力ほど、危ういものはない。

 築き上げた能力というのは、能力そのものだけではなく、その築く過程によって、人に大きな自信と自負を与えるのだ。成長した者が、その能力を誇るのは当然、築く為の苦しみが、直にその能力に対する信頼になるのだから。

 しかし、もし、天才ならばどうだろう? 築かなくとも、すでに能力を手にしている人間は、確かにいる。

 天才にとって、能力は最初からあるもので、そこに何も感ずることはないだろう。人よりも自分が優れていることはすぐに理解出来るだろうし、それで増長することも、まああるだろう。その増長は、天才の特権と言ってもいい。出来るだけの能力があるのならば、増長も許される。

 が、さらに天才は、こう思う。この能力は、もしかしたら消えるかもしれない、と。

 築かなかったからこそ、能力に依存するしかないからこそ、そこに自信は生まれない。ある能力を享受するのはいい。だが、それで何かを成そうとしたときに、それの何と心許ないことか。

 天才の一人は、ならば築けばいい、と思い、才能にさらに努力を加えるだろう。世の中は広い、自分よりも天才がいれば、一番にはなれないかもれないが、それでも、才能だけではない、努力によるバックボーンは、力となるだろう。天才ではない者相手ならば、それこそ圧倒的な差をつけられるだろう。

 天才の一人は、だからこそ、何にも本気にならない。才能こそ、見た目には捨てるほどあるかもしれないし、努力すれば、相乗効果で結果を出せるかもしれない。しかし、もし、そこで能力が消えたら? 築いたものではないのだから、それがあってもおかしくない。

 消えてもおかしくない、と天才は天才だからこそ考える。そして、恐怖するのだ。恐怖と言うよりも、あきらめるのかもしれない。どちらにしろ、そうやって多くの天才は、その才能を、ただ持つだけにする。

 そして、綾香は、天才だ。並の天才ではない。

 努力は、努力。そこで築き上げるものには、まあもちろん自信も自負も信頼もある。

 しかし、綾香は、恐怖しない。自分に、恐怖しない。天才が抱える、天才であるからこその消失の恐怖を、一笑にふして、綾香は、自分の才能を、誇る。

 だからこそ、だからこそだ。綾香は、坂下の言葉を流せない。誇っている才能に殉じる以上、それを寛仮するのは無理なのだ。

 それ、坂下が、才能で絶対的に有利にいるはずの綾香に、成長という点で勝るということ、をどうして軽く受け流すことが出来ようか。それこそ、綾香のアイデンティティに関わる。

 綾香は、坂下に昔の、負けた戦いのことを持ち出して、プレッシャーをかけた。それで、坂下は堅くなることはなかったとは言え、攻め急いだり守りに入ったり、崩れることを綾香は、狙った。それ自体は、失敗しても大して問題ではない。かかればもうけもの、程度の気持ちだったのだろう。

 しかし、ここに来て、それは明らかに綾香の失策と言っていい。

 自分で言ってしまったからこそ、それを越されたとき、綾香への精神的攻撃として、それは戻って来るのだ。

 今度は、坂下の番だった。そもそも、口によるプレッシャーなど、坂下の戦略の中にはない、が、それでも、やられたのなら、やり返すぐらいには、坂下も負けず嫌いで。

 坂下が綾香を意識しているほど強烈ではないにすれ、綾香が坂下を意識している、というのは、何と言おうと、坂下には心地よいのだ。むしろ、恋に近い感覚かもしれない。まあ、それを聞けば、お互いに嫌な顔をするし、決して恋でないことだけは、坂下の名誉の為に言っておくが。

 ただ、強烈に意識しているのは事実で、恋する乙女以上に、それは激しいものであることは、疑い様もない事実だった。

 そして、坂下は、これ以上の、爆弾をその頭の中に持っていた。その効果と、もしそれが坂下にとって、先ほどの綾香の発言と同様、自爆になるとしても、言わずにはおれないことを、坂下は感じていた。

「なあ、綾香」

「何、前よりはやるようになったからって、もう勝利宣言?」

 坂下は、首を横に振る。まさか、差は縮まったとは言え、追いついたなどという結果を出したつもりはない。そういう意味では、坂下は自分の評価も他人の評価も、謙虚でシビアだ。

「さっきから、何か上に下に色々動いているみたいだけど」

 激しく動くのは、普通は、身体が安定しない上に疲労も激しいので、遠慮したい方法だ。だが、綾香ならば、そんな戦い方をしても、じっくり腰を構えて戦うのと同じだけの安定度で、激しく動くことによる恩恵だけを受けることが出来るだろう。

 だが、坂下は、それ以外のことも嗅ぎ取っていた。

 それを口にしたとき、それが吉と出るか、凶と出るか。

「もしかして、私の前に立つのが、怖い?」

 どちらにしろ、それは、大きな爆弾だった。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む