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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(406)

 

 決まるときは、あっけないものだ。それを象徴するように、決まるときは、どんな抵抗もむなしく、吸い込まれるように、技は決まる。

 この試合も、そうだっった。

 スパンッ!

 酷く軽い音と共に、綾香は左拳を、まるで日本刀で斬りつけた後のように、身体全体で引き抜いた。

 日本刀は、重さではなく、切れ味で引き斬るもの。その武器の芸術、とも言える日本刀と同等か、それ以上の切れ味を持って、綾香の拳は、相手を引き斬った。

 もともと威力の出し難いラビットパンチを、綾香はこの引き斬る動きで補っているのだ。ただ、それにも問題はある。身体全体の動きは、やはり隙を作ることと、何より、別にそんな動きなどいらないほどに危険なラビットパンチの動きに、わざわざ引き斬りの威力を込める意味は、ないことだ。

 しかし、それ故に、綾香のラビットパンチは、危険。

 坂下も、その危険度をちゃんと理解し、受けないように細心の注意を払って対策を練っていた。その為の受けであり、ラビットパンチ用、つまり綾香専用の受けさえ練習していたのだ。

 だが、そんな坂下のあがきを、綾香は、手数という力押しで、押し切った。対策程度で簡単に対処できるような技ではない。対策を練って来たのが、坂下でもだ。それほど、この技は完成している。綾香命名がうさ耳パンチでなければ、もっと良かっただろうに。

 後頭部を打ち抜かれた坂下の身体は、ぐらり、と前に傾き、そのまま、前のめりに、身体が落ちる。当然だろう。綾香のラビットパンチを、これ以上ないほどの角度で受けたのだ。意識があるかどうかも分からないし、あったとしても、身体が言うことを聞くとは思えない。

 ガッ

 それでも、意識などせずとも、身体が反射で動いているのか、坂下は脚を広げて、崩れ落ちそうになる身体を支えた。支えた、というよりは、単に脚がつっかえ棒になっただけ、と言った方が正しい。

 それでも、倒れていないのは確かで、そうであれば、綾香が攻撃を止める理由はなかった。

 丁度、上体が落ちて、背中が綾香に向かって無防備だった。ラビットパンチを打った後は、さすがの綾香だって連続技とは言わないが、坂下はほとんど死に体であり、次の技を出すまでの時間は、余裕で稼げる。

 そして、綾香は、その中でも一番危険な技を選んだ。

 一度は引きつけた腕を、大きく上に振りかぶったのだ。正確には、肘を上に上げる。坂下の背中に、肘で狙いをつけたのだ。

 肘はもともと、かなり危険な部位ではある。その堅さといい、その細さといい、急所に打つには、危険過ぎる。しかし、坂下が倒れていない以上、綾香は攻撃から手を抜くことは出来ない。そんなことをしなくとも、勝てるとしても、綾香は危険な技を選択する。

 それを、意識せずに行えるこそ、綾香は、危険なのだろう。そして、強いのだろう。

 狙うは、坂下の背中、背骨の中心。鳩尾の裏、裏水月だ。背中は筋肉はついているものの、自分からは見えない分、危険度は前面よりも増す。投げられて、背中から落ちた方がダメージが小さいのは、ちゃんと受け身を取るからだ。でなければ、肩胛骨あたりが簡単に骨折するだろう。

 その中でも、延髄の次に危険な急所が、裏水月だ。打たれれば、鳩尾を打たれたときと同じように、呼吸が出来なくなるし、ダメージは背骨という、人間の重要な箇所に入る。背骨へのダメージも心配だが、息がつまれば動きが止まり、無防備な状態で、さらにもう一撃を受けることになる。それが危険度をさらに急上昇させる。

 どちらにしろ、これか、この次の攻撃がとどめになる。綾香は、すでに試合を終わらせにかかっていた。

 それを、油断、と言うのは、さすがに無茶がある。綾香の選択は、何も間違っていなかった。今攻撃しなければ、いつ攻撃すると言うのだろう。綾香のラビットパンチは、確実に坂下に決まって、その抵抗力を奪っているのだ。ここで決めておかなければ、坂下のことだ、この後も何とか耐えしのぐかもしれない。それで回復されれば、またやっかいなことになる。綾香だって、坂下の強さは十分に認めているのだ。

 しかし、そのとき、確かに、綾香は無防備になった。大きく肘を振り上げる動作で、胴体に隙を作らない、というのは人間の身体の構造上から無理だ。

 ズドンッ!!!!!

「ぐっ?!」

 綾香の口から、彼女にはありえない、苦悶の音がはき出される。それと同時に、綾香の身体は、木の葉のように、後ろにはじき飛ばされていた。

 死に体のその身体で、それでも綾香を吹き飛ばしたはずの坂下は、そのまま、その場に膝と拳を、床についた。

 ガシャンッ!!

 綾香の身体は、金網まで吹き飛ばされていた。金網に当たったダメージはないだろうが、しかし、それでも遊に三メートルははじき飛ばされていた。しかも、その拳は、綾香に少なくないダメージを与えていた。

 そして、何よりも意味があることに、綾香の動きを、ほんの少しではあるが、止めた。

 肘を振り上げた綾香の、その隙だらけの鳩尾に、坂下は拳を打ち込んでいた。身体の全てを使って、死に体の身体が倒れる勢いを利用し、そして残った力全てを前に突き出して、綾香の急所を打った。

 裏水月と同じく、鳩尾への打撃は、相手に息を出来なくさせ、相手の動きを止める。それをするはずだった綾香が、それをまったく反対の方向から、同じ効果を受けたのだ。

 決まるときは、例えどんな抵抗さえむなしくなるほどに、決まってしまう。ならば、それですら悪あがきで覆すことこと、強者たる所以。

 強者たる、証拠。

 何が起こったのか理解すると同時に、浩之は、その認めたくない事実に、しかし、目をそらせなかった。

 坂下は、強い。もちろん、そのことに異論はなかった。しかし、同時に、それだけだとも思っていた。人間である坂下には、決して怪物には追いつけない。決して、綾香の領域には手が届かない。それでも、勝とうとするからこそ、浩之と坂下は似ていたのだ。

 今、浩之は、感じてしまった。坂下に。

 その虎に、虎という人に、怪物を。

 同時に、坂下の姿が、だぶる。そこで膝と拳を床につけて、動きの取れない虎の姿が、しかし、その姿勢を無視して、かぶるのだ。

 これは、もう状況を理解するよりも先に感じていた。

 彼女が、浩之の横で、毛が逆立つのではと思うほどにその身に気、とでも言えるものを身体に張り巡らせていたことに。

 いつもの彼女なら、そんなことはありえない。それは体育会系ではあるものの、芯のところで常識的、ということでならば、三人の中で一番であった彼女が、ここまでまわりの者に感じれるほどに、ざわつく気配を発することは、ないのだ。

「まさか……」

 葵は、うわごとのように、つぶやく。

 それは、威嚇しているようにすら、感じられた。

 葵は、完全に高ぶっていた。戦いたい、とかそれ以前に、坂下のそれを、看過できなかった。

 完全ではない。あのときの葵の技だって完璧ではなかったが、それと比べてさえ、完全というにはほど遠いだろう。しかし、坂下の最後に放ったそれは、打撃の理想型に、近かった。近似解としては、十分な出来であった。マルはもらえなくとも、三角はもらえるぐらいには。

 坂下は、不完全ながら、崩拳にも似たそれを、放っていたのだ。

 そして、これが重要なことなのだが。

 その打撃のことなど、さして重要ではないとでも言うように、坂下は、バリッという音と共に、剥いだ。

 

続く

 

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