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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(409)

 

 私が、見逃した?

 綾香は、ズキズキと痛むほほの感覚にしか、確証の持てない現実を、それでも認めながらも、疑問を完全に消すことが出来なかった。

 じりっ、と距離を取って、綾香は坂下から円を描くように動く。距離は詰めない。やっきになって攻めるのは、いかに綾香が本気であろうとも危険過ぎる。

 綾香の目は、どんなスピードであろうが、とらえることが出来た。綾香がこれほど強いのは、その目と、初めて受ける攻撃でも、その目で分析して瞬時に理解出来ることにある。ネタの分かっている攻撃は、その威力を半減させる、と言っても過言ではないのだ。

 それだけに、どうやって来たのか分からない攻撃は、綾香にとっては危険過ぎる。もともと、人よりも高いレベルで戦える綾香には、理解できないものをどうこうするような経験は必要なかったのだ。

 もちろん、綾香だって、血肉のある人間であり、最強ではあると自負していても、全能ではない。綾香の瞬時の理解を超えることは、確かにある。しかし、その次の瞬間には、綾香はそれを理解して、次作の手を打つ。

 綾香が致命的な攻撃を受けないのは、受けた後の反応にずば抜けたものがあるからとも言える。それと、綾香の肉体の才能である打たれ強さが加わるのだから、それは倒れないのは当然だった。

 先ほどの坂下の攻撃は、致命的というにはほど遠い。しかし、理解できないものを受けた、という気持ち悪さは、ほほの痛み以上だ。

 今のところ、理解出来るのは、綾香のほほを打ったのは、坂下の、避けたはずの左拳であろう、ということだけだった。

 肘が入るほどには近づいていなかったし、そもそも、胴体が回転していなかったので、右で打った訳でもない。消去法で、左拳で打たれたことになる。

 坂下が、ウレタンナックルを外したのは、この為なのだろうことも分かる。相手を倒す為ならば、ウレタンナックルをつけて殴るのは、そう間違った選択ではない。が、坂下の凶器のような拳であれば、例え打撃として威力が弱くとも、ダメージを与えることが出来る。いわば金槌で殴っているようなものだ。

 左拳、しかし、打撃としてはそう強いものは打てなかった。出てくるのはここまで。

 ……とは言え、私の目をかいくぐるのは無理だと思うんだけど。

 綾香ならば、避けられた拳からラビットパンチを打つことも可能だ。だが、それもちゃんと条件がそろってのこと。左拳を、綾香は外に避けた。綾香はラビットパンチを打つ為に、わざと相手を内に逃がすように制御している。いかな綾香でも、身体の外には肘は曲がらないし、ましてや打撃など打てる訳がない。もうそれは人間の関節ではなくなる。

 外に逃げる相手に、避けられた打撃から連続技をつなげることが出来ない訳ではない。外に逃げた相手には、肘を当てるという手もある。しかし、それも技術的に言えば難しいし、通常の打撃の「引き」から動きが外れる分、難しい。打つ前から、ある程度はその準備がいる。綾香ならば、それを看破出来る。坂下の左ジャブは、その兆候はなかった。

 結論を出すのは、もっと簡単だった。綾香が、もしあの状況から相手に打撃を当てると考えれば、明らかに不可能なのだから。

 私を超える、動き?

 今まで、例えどれほどの怪物を前にしても、綾香はそんなことは思わなかった。達人、と呼ばれる人種を目の前にしても、綾香は、超えられている、とは思っていなかった。しかし、今、目の前にいる同級生は、綾香の出来ない動きをした。

 綾香は、円を描くように動きながら、ゆらゆらと身体を左右に揺らす。遊んでいるのではない、予測出来ない動きで、坂下からの攻撃を散らす為と、同じくこちらが攻撃するタイミングを読まれない為にやっているのだ。時間稼ぎをしているというのも否定できないが。

 手を、出してみるか。

 綾香は、すぐにその答えに達した。

 普通なら、そんな結論には達しない。綾香ほどの才能にあふれた人間ならば、理由は違えどなおさらだ。凡人なら恐れるし、天才ならば自分の理解を超えるものへの恐怖で、脚が鈍るところだ。

 しかし、綾香は並どころか、天才の領域からも足をはみ出しているような怪物だった。

 自分に対する、絶対の自信が、それを可能にする。一回目は不可能でも、二回目も失敗するとは思えない。三回ならばなおさらだ。そして、理解出来るまでに、自分が倒れるとすら思わない。

 よしんば、それでも綾香の理解を超えていたとしても、分からないのならば、それごと、叩き潰す。

 技一つ上回ったぐらいで、勝敗が覆ってしまうほど、ぬるい戦いではないのだ。それは、綾香でも、坂下でも、同じこと。綾香にとっても、ラビットパンチを封じられた程度は問題ないし、技を完全に封じることなど、坂下どころか、綾香にすら出来ない。

 綾香のラビットパンチが、ラビットパンチを受け流すことを想定した坂下に、それでも炸裂したように、技も所詮は使い方次第。

 どんな技すら、先に倒れてしまうのならば、意味など成さない。強者の理論。

 ぬるりと、まるで空気の中をすり抜けるように、一瞬で綾香は坂下を射程範囲に捉えていた。ただ、脚は出さない。坂下の蹴りを誘発させたい、という意味もあったし、坂下の技を解析する為には、出来るだけ身体を自由に動かしたかったのだ。

 相変わらず中途半端な位置で腕を構えた坂下は、その相手の意識をぬうように入ってきた綾香に、それでも反応していた。だが、こちらも蹴りは出さない。素拳の危険性を考えれば、蹴りよりもそちらの方がいい、というのもあるのだろう。

 先に手を出したのは、綾香の方だった。坂下に技を出させる時間を与えない為だ。そもそも、技を理解するというのも、あくまで勝つ為の手段の一つでしかない。技に坂下が拘れば、その分通常の反応がおろそかになるかもしれない。その僅かであろう隙は、それでも綾香には十分に勝敗を決める理由に結びつけられる。

 坂下は、綾香の左ジャブを、左手で綺麗に受け流す。綾香の打撃がどれだけ速かろうが、真正面から来た打撃を受け流すことが、今の坂下には出来る。綾香だって、それぐらいは理解している。

 しかし、その後の動きは、綾香の理解を、超えた。

 !?

 綾香が右ストレートを打とうと腕を動かしたときには、すでに、坂下の拳が、綾香に向かって放たれていた。綾香も、すでにストレートを打つ体勢に入っていた。技の変更も中止も、間に合わない。

 その軌道は、綾香の顔面ではない。

 右の拳の軌道上に、坂下の拳が沿っていた。

 

続く

 

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