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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(411)

 

 何で、いきなり綾香の方が押されているんだ?

 浩之だけではない、見ている者全員の、共通の意見だった。

 横から見ているだけでは、いきなり坂下の動きが良くなった、としか見えなかった。

 浩之でもそうだったし、実のところ、葵にしてもそうだった。ランなど、考えるべくもない。それほどに、坂下の取った構えは、地味であったと言える。確かに中途半端ではあったが、別段、それを取り立てて言うほどの変化ではなかったのだ。相対しているからこそ、綾香は気付けたのだ。

 ただ、それでも分かることはある。綾香が、押されているのは、誰の目にも明らかだった。

 見ようによっては、いきなり坂下の動きが良くなったとも見える。先ほどまではギリギリで攻撃を受けていたのが、いきなり反撃までたどり着くようになったのだから、その変化は劇的だった。

 綾香も、十分に本気を出している。しかし、それに、坂下は追いつくどころか、さらに先にまで進んでいるように見えるのだ。

 今まで、実力で超える相手を綾香が相手取る、というのは、浩之ですら見たことがなかった。マスカレッドは言うに及ばず、修治相手ですら、実力という面では、綾香の方が上だ、とはっきり言える。レベルが高すぎて判断できない、と言っても、綾香の強さは飛び抜けており、それでも目立つのだ。

 しかし、今、二人の間に、差は見えない。

 それでも超えない、と感じる辺りが、綾香が綾香たる所以。その最たるものなのだろうが、しかし、もう見えるほども差はない。

 知ったことか、と言わんばかりに、綾香が坂下に向かって突っ込む。その動きは、正直過ぎるが、正直であっても十分なほどのスピードを持って行われる。身体全体が、いきなり目も止まらないスピードに加速するのだ。

 坂下を、ぎりぎりのラインで捉えたと思った瞬間には、すでに脚が出ている。リーチを稼ぐ為の、ミドルキックだ。普通どころか、よほどのレベルの戦いでも、それ一撃で勝敗が決してしまいそうなタイミング、スピード、威力、どれも申し分ない。

 それを、坂下はあっさりと受け流す。チェーンソーの異能の必殺技をも受け流す坂下になら、いかな綾香の攻撃でも、正面から来た攻撃であれば、受け流すことは不可能ではない。先ほどまでは、それすら難しかったのが、嘘のようだった。

 しかし、問題なのはその後だ。そこまでは、それでも綾香の想定内のこと。坂下の受けが凄いのは、今更言うまでもないことなのだから、その後のことも考えないというのならば、攻撃する意味などない。

 この後、先ほどまでは、綾香の一方的な攻撃が続いたのだ。受けて相手の威力を受け流し、方向をそらせば、相手は体勢を崩すが、それが綾香の攻撃相手では出来るほどの余裕がない。ただ威力を殺すだけの受けでは、その後の綾香の攻撃を、止めることは出来なかったのだ。

 バンッ!!!

 しかし、今は違う。受け流すことは、ダメージを流すことは出来ても、綾香の体勢を崩すことまでは出来ていない。それにも関わらず、攻撃が先に届くのは坂下の方であった。綾香は、ミドルキックを受け流すと同時に出されたストレートを、ガードするしかなかった。

 綾香が一方的に攻撃するどころの話ではない。ウレタンナックルを外してからというもの、綾香の攻撃に、坂下は反撃出来るようになっていた。しかも、それを綾香はうまくさばけない。少なくとも、攻撃を続けるような余裕はなかった。

 そして、また二人の距離が開く。これは、綾香が意図的に開いているものだ。それを、先ほどまでの坂下と違って、追ったりしない。自分からも手を出す癖に、深追いをまったくしようとしない。そこに勝機がある限り、度胸によって踏み込む坂下とは思えない動きだった。

「好恵さん……?」

 付き合いの長い葵も、坂下の動きを、読むことが出来ない。相対している綾香ならば、なおさらのことだろう。

 一瞬、坂下らしくない動きで、綾香を翻弄しているのか、とも考えた。しかし、それを浩之はすぐに否定する。一回ぐらいは、それでも有効かもしれないが、しかし、二度も三度も通用する方法ではない。それに、そういう方法は、浩之ならばともかく、坂下の得意とする方法ではない。

 何より、奇襲で、綾香は倒せない。

 坂下は、葵と一緒だ。練習したことしか出来ないし、練習したことは力となる。

 そう、まさしくそれは、坂下の修練の、そして経験のなせる技だった。奇襲ではない、坂下自身の力だった。だからこそ、綾香に対抗出来る。しかし、はたで見ているだけでは、その凄さが理解できない、というだけだ。

「……私のときも、まだ手加減してたんでしょうか?」

 ぼそり、と聞こえるか聞こえないかほど小さな声で、初鹿、坂下と戦い、負けたチェーンソーは誰に言うでもなくつぶやく。

 チェーンソーと戦ったときも、坂下にここまでの強さはなかったはずなのだ。この短い間に、そこまで強くなれる訳がない。修練を力とする坂下の性質を考えれば、余計にだ。だったら、実力を隠していた、と思うしかない。/P>

 坂下を尊敬するランだって、当然、ここまでとは思っていない。あの綾香相手に、正面から競ってもなお優勢であるなど、坂下が勝つ、と思っていても、想像できないのだ。

 それほど、綾香が怪物過ぎる、ということであり。

 それに、坂下は追いついた、としかまわりには見えなかった。

 しかし、そこは、初鹿の思い違いだ。その点だけは、浩之は見誤らなかった。今浩之とチェーンソーが戦えば、途中結果はどうあれ、十回中十回チェーンソーが勝つだろうが、少なくとも、この瞬間に限れば、浩之はチェーンソーを超えたと言っていい。

 人は、成長するのだ。一度の戦いで、見違えるほど強くなれることが、人には出来るのだ。少なくとも、浩之にはその経験がある。

 そして、坂下は、強敵との戦いを、死線とも言っていいものを、超えてきた。戦い、勝って来た。それですら、負けずに来た。

 今、坂下が成長したとして、それを否定することは、浩之自身の否定とすら言えるのだ。

 だから、誰もまだ認めていないかもしれないことを、浩之は、一番最初に認める。綾香を応援しているとか、そんなことは、まったく関係ない。感じたことを、感じたままに浩之は受け入れたのだ。

 坂下は、この試合で強くなり、この試合で、綾香と並んだ、と。

 それが正しいことだと証明するように、綾香の顔が、歪む。

 

続く

 

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